桑田佳祐という現象|ソロで見せる遊びと凄み、代表曲で辿る歩み

夕暮れの湘南の海と古いラジオを想起させる抽象的な音楽イメージ アーティスト

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「桑田佳祐」という名前を目にしたとき、思い浮かぶ像はきっと人によって違う。サザンオールスターズのフロントマンとして夏を象徴する歌を書き続けてきた男、あるいはソロでバラードを唸るように歌う人、はたまた年末のライブや音楽番組で妙に肩の力が抜けた喋りをするおじさん。どの像も間違ってはいなくて、そのどれもが桑田佳祐の一面でしかない。今週も新旧のカタログがチャートやプレイリストで顔を出し続けているのを見ると、この人の作品は「昔の名前」ではなく現役の音源として消費されているのだと改めて思う。

この記事では、サザンの話に触れつつも、あくまで桑田佳祐個人のソングライター/シンガーとしての歩みを軸に掘っていく。ヒット曲リストを並べるだけの紹介にはしたくない。彼が何を面白がってきて、日本のポップスの中でどんな椅子に座ってきた人なのか。そこを噛み砕けたら、初めて聴く人にも、長年のファンにも、少しは新しい景色が見えるはず。

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湘南から出てきた青年が「国民的」になるまで

桑田佳祐は神奈川県茅ヶ崎の出身。青山学院大学在学中に結成したサザンオールスターズで1978年にデビュー、というのは有名な話だ。デビュー曲「勝手にシンドバッド」がテレビの歌謡番組で流れたとき、当時の視聴者は面食らったという証言が多い。何を歌っているのか聞き取れない、リズムが急いでいる、歌謡曲の型に収まっていない。今の耳で聴くと軽快なポップスにしか感じないが、当時の日本の音楽シーンにとってはかなりの異物だった。

面白いのは、その「異物」がすぐに国民的存在に化けていく過程だ。コミックバンド的な扱いを受けた時期を経て、80年代前半にはバラードで別の顔を見せ、ソングライターとしての実力を疑う声を封じ込めた。歌謡曲・ロック・R&B・沖縄音楽・ラテン・昭和歌謡、そのどれもをつまみ食いしながら、結果として「サザンらしさ」という新しいジャンルを一つ作ってしまった。ここが桑田佳祐というソングライターの怖いところで、影響源がむき出しなのに、出てくる音は誰の模倣でもない。

ソロ活動の起点として広く知られるのは1987年のKeisuke Kuwata🛒楽天名義のシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」あたり。以降、サザンと並行しながら断続的にソロ作品を出し続け、シリアスな作家性を出す場としてソロを、祝祭的な場としてバンドを、というふうに使い分けてきた印象がある。もちろん実際はそんなに単純に線引きできないのだけれど、聴く側としては「今回はソロか、じゃあ少し歌詞を追ってみるか」という受け止め方をしてしまう。それくらい、ソロにはソロの温度がある。

プロデュース側の仕事や、原由子(妻でありサザンのメンバー)との関係、後輩ミュージシャンからの敬愛のされ方まで含めると、この人の履歴書は音源だけでは全然足りない。ラジオ番組のパーソナリティとしての顔、東日本大震災後のチャリティ企画への関わり方など、社会と音楽の距離をずっと自分の身体で測ってきた人でもある。

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「悪ふざけ」と「大真面目」が同居する作家性

桑田佳祐の音楽を一言で説明するのは難しい。R&B寄りのグルーヴを土台にした軽快なポップスもあれば、ストリングスをたっぷり使ったバラードもある。昭和の歌謡曲を丸ごと呑み込んだような曲もあれば、ブリティッシュロックの匂いがする曲もある。ジャンルで括れないというのは褒め言葉としてよく使われるが、この人の場合はそれが本当に的を射てしまっている。

ただ、通底しているものはある。一つは「言葉遊び」。地名、人名、外来語、造語、下ネタすれすれの言い回しまで、日本語の音のヌルさとキレを同時に扱うセンス。もう一つは「哀愁」。どれだけおどけた曲でも、サビや間奏のどこかに切ない一節を差し込んでくる。笑わせておいて最後に泣かせる、みたいな構造をシングル単位でもアルバム単位でもやってくる。

もう一つ挙げるなら、歌唱そのものの癖の強さ。あの独特の巻き舌、母音の潰し方、英語とも日本語ともつかない発音の処理は、若い頃は「何を歌っているかわからない」と揶揄されたが、今となっては明らかに武器として機能している。カラオケでモノマネされる歌い方、というのは要するに輪郭がはっきりしているということで、これは歌手として一つの完成形だと思う。

ソロ作品では、この「悪ふざけ」と「大真面目」の配分が少し変わる。バンドだと祝祭のノリに寄せがちなところを、ソロでは私小説的な題材、政治や時代への皮肉、老いや死といった重めのテーマにも踏み込む。全部が全部シリアスというわけではないが、サザンの名義では出しにくい話を出す場として機能してきたのは間違いない。

聴きどころ3点

  • ジャンルを跨ぐ雑食性。R&B、歌謡曲、ロック、ラテンを一枚のアルバムで平然と同居させる構成力。
  • 言葉の運び方。日本語のリズムを崩したり伸ばしたりしながら、意味とサウンドを両立させる語感の妙。
  • コミカルな曲にも必ず影を落とす作家性。バカバカしさの奥に必ず一滴の哀愁が仕込まれている。

代表作・ディスコグラフィの読みどころ

ソロの代表作としてよく名前が挙がるのは、90年代の孤独の太陽🛒楽天。全曲を自分で書き、当時の時代の空気に対して真正面から言葉をぶつけたアルバムで、桑田佳祐というソングライターがサザンの外でどこまで振り切れるかを示した作品として語り継がれている。プロダクションの手触りは今聴くと少し時代を感じるが、逆に言えばあの時期にしか作れない緊張感が閉じ込められている。

2000年代以降のソロ代表作としてはROCK AND ROLL HERO🛒楽天が外せない。タイトル通りロック側に大きく振ったアルバムで、洋楽ロック好きの桑田佳祐という側面が前面に出た一枚。バンドの祝祭感とは違う、少し孤高な佇まいがあって、ここでソロという場所の使い方が更新された印象がある。

そして2010年代のMUSICMAN🛒楽天。闘病を経て世に出た作品で、生と死、時代、家族といった主題を分厚いプロダクションで包んだ、桑田版の総合演芸盤とでも呼びたくなるアルバム。ポップスとしての聴きやすさは保ちつつ、内容はかなり踏み込んでいて、この人の「シリアスとエンタメを両立させる技術」の一つの到達点だと思う。

シングル単位で見ると、ソロの入口としてよく挙げられるのは明日晴れるかな🛒楽天。ドラマ主題歌としても広く聴かれた曲で、彼のバラード作家としての実力がわかりやすく出ている。ミドルテンポで、大仰になりすぎない編曲、それでいて歌唱の説得力で最後まで持っていく構成。桑田佳祐がなぜ「国民的」と呼ばれるのか、この一曲で肌感覚として理解できると思う。

年末という季節と結びつきが強い白い恋人達🛒楽天も、ソロを語るうえで外せない。冬のバラードとして毎年のように再生され続けている定番で、この人のメロディがいかに「季節と結びついて記憶される」タイプかを示している。桑田佳祐の曲は、夏はサザン、冬はソロ、というふうにカレンダーの中に居場所を作ってしまっている。ここまでくると、もはや個人の作家性を超えて、生活のBGMとしてのインフラに近い。

もちろんサザン名義の代表曲群 — 「TSUNAMI」「涙のキッス」「真夏の果実」「いとしのエリー」など — も、桑田佳祐というソングライターの履歴を語るうえでは切り離せない。ソロを聴くと、これらの曲を書いた人が「バンドではあえて出さなかった部分」まで見えてきて、両方の名義を行き来する聴き方が一番面白い。

日本のポップスにおける「桑田佳祐という椅子」

影響を受けたと公言するミュージシャンは世代を超えて多い。J-POPと呼ばれるジャンルが形成されていく過程で、洋楽的なグルーヴを日本語詞でどう成立させるか、という問いに一つの答えを出したのが桑田佳祐だった。その意味で、後続のシンガーソングライターやバンドのボーカリストの多くが、意識的か無意識かはさておき、彼が敷いた線の上を歩いている部分がある。

ラジオでの発信も文化的な影響が大きい。長寿番組を通じて洋楽・邦楽問わず自分の好きな曲を紹介し続け、リスナーの音楽的な視野を広げてきた。「ミュージシャンとしてだけでなく、リスナーとして優れている」というのは、この人を語るときに意外と重要なポイントだ。作り手であると同時に、常にただの音楽好きでもある。その距離感が、シリアスに構えすぎない作風にも繋がっている気がする。

震災後のチャリティ企画への関わり方や、時々の社会状況に対する発言、政治的なテーマを含んだ楽曲の存在なども無視できない。分かりやすいメッセージソングとして書くわけではなく、あくまで大衆音楽の枠の中で、聴き手に引っかかりを残す形で入れてくる。声高に主張するタイプではないが、確実に自分のスタンスを音源に刻んできた人だ。

後輩世代との交流も面白い。年末の音楽特番や自身のライブに、若手からベテランまで幅広くゲストを迎える機会が多く、そのラインナップを見るだけで日本のポップスの見取り図がなんとなく描ける。桑田佳祐というノードを中心に、世代とジャンルが繋がっていく。

今のチャートで再発見される理由

いまサブスクのプレイリストや週間ランキングで桑田佳祐やサザンの曲を見かけると、正直「まだ現役でここに居るのか」と少し驚く。ドラマやCMのタイアップで新曲が話題になるパターンもあれば、季節の変わり目に旧譜が急に再生されるパターンもある。どちらにしても、リアルタイムで音源が消費され続けているという事実は、この人のカタログが単なる懐メロになっていないことを示している。

数字の細かい話はここではしないけれど、少なくともチャートの中で新旧を横断して聴かれているタイプのアーティストであるのは間違いない。若いリスナーがサブスクで初めて出会って、そこから遡って古い作品まで手を伸ばす、という流れも珍しくなくなった。CDが売れる売れないという議論とは別の場所で、この人の曲は生き延びている。

個人的には、こういう長距離ランナー型のアーティストが今のチャートに残っていること自体が、日本の音楽市場のちょっとした健全さだと感じている。新しい曲だけがランキングを埋め尽くすのではなく、20年前・30年前の曲が普通に横に並んでいる。桑田佳祐はその状況の象徴的な一人だ。

入門動線

初めて桑田佳祐のソロを聴く人へ、3ステップで薦めるならこうしたい。まずこの1曲、として「明日晴れるかな」。バラード作家としての実力と歌唱の芯の強さが素直に伝わる。次にこの1枚、として「MUSICMAN」。時代・生活・遊び心が一枚の中に同居していて、ソロの世界観がまるごと味わえる。深めるならこの1枚、として「孤独の太陽」。桑田佳祐がバンドの外で何を吐き出したかったのかが、生々しく残っているアルバム。

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  • MUSICMAN — ソロの世界観を凝縮
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  • 孤独の太陽 — 作家性の生々しい原点
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  • ROCK AND ROLL HERO — ロック側の顔を堪能
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これから聴くならどこから — まとめとして

桑田佳祐というアーティストは、キャリアの長さの割にとっつきづらさがない。どこから聴き始めても、その曲だけで完結する強度があるし、気に入ればそこから前にも後ろにも遡れる。サザンの方から入っても、ソロから入っても、最終的には両方を行き来することになると思う。

個人的に言うと、この人を「昔から知ってる有名人」として片付けてしまうのがいちばんもったいない聴き方だと思ってる。作家としてのマニアックさ、歌手としての癖の強さ、時代への視線の入れ方。ちゃんと腰を据えて数枚聴くと、テレビで見ていた「陽気なおじさん」の像がだいぶ更新されるはずだ。夏になったらサザン、冬になったらソロのバラード、みたいなお約束の外側にこそ、この人の面白い曲は転がっている。そこを見つけに行くと、桑田佳祐は一気に「今の自分のプレイリストに居るべき人」になる。

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