星野源の「喜劇」がまた聴かれている。2022年春、アニメ『SPY×FAMILY』のエンディングとして世に出た曲。あれから数年経って、キャリアの折り目がいくつも増えたいま、この曲を聴き返すと最初の印象と違うものが立ち上がってくる。DJ Jazzy Jeff と Kaidi Tatham を招いたリミックス版は、その”違うもの”を先取りして掘り当てていたのかもしれない、と最近よく思う。
「喜劇」は、明るいポップスの顔をした遺書のような曲だ。当時はそう読めなかった。
この曲の要点
- 喜劇🛒楽天は星野源が2022年4月8日に配信リリースした楽曲。TVアニメ『SPY×FAMILY』第1期エンディング主題歌として書き下ろされた
- 2022年6月27日、DJ Jazzy Jeff と Kaidi Tatham を迎えたリミックス版「喜劇 (feat. DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tatham)」が配信リリースされた
- オリジナル版はSpotifyグローバル・バイラル・チャート入りののち、台湾・韓国・香港のSpotifyバイラル・ソング・チャートで1位を記録。米国のバイラル・チャートでも最高5位まで上がった
- 編曲は星野源と mabanua の共同名義。ローズピアノ、エレピ、ベースがビートの後ろに置かれた鍵盤中心のプロダクション
- 後年、2023年公開の劇場版『SPY×FAMILY CODE: White』でも星野源はED主題歌「光の跡」を担当し、シリーズとの関係が続いた
2022年の「喜劇」、いま聴くと最初と別の曲に聴こえる
結論から書く。「喜劇」は初出時、”アニメの明るいED”として受け取られた曲だった。でも数年経ったいま、これは星野源のキャリアの分岐点に置かれた重要な曲だと思っている。より正確に言えば、「うちで踊ろう」以降、パンデミック期を通過した星野源が、次にどう鳴るかを決めた曲。
2020年から2021年、彼はSNS発の即興曲、無観客のスタジオライブ、大量の配信を経ていた。それまでのアルバム単位のリリース設計は一度崩れている。そこから2022年春に出てきたのが「喜劇」だった。アニメタイアップ、シングル配信、リミックス、後日のライブ音源、と流通の仕方まで含めて設計が変わっているのが分かる。曲そのものだけでなく、届け方が変わった。そこが大事だと思ってる。
そして2023年、Netflixのオリジナル番組と連動した『LIGHTHOUSE🛒楽天』EP(2023年9月8日配信)で、彼はライブセッション主体の音源に振り切る。ここで振り返ると「喜劇」は、”アルバム作家・星野源”から”曲単位で世界に置いていく星野源”への切り替わりの一歩目に見える。当時はまだ、そうは読めなかった。
Jazzy Jeff & Kaidi Tatham リミックスは”再解釈”を先取りしていた
2022年6月に出たリミックス版がなぜ大事か。あれは他人による再解釈が本人の再解釈より先に来た、珍しい事例だと思っているからだ。
DJ Jazzy Jeff はヒップホップ史のレジェンドで、Kaidi Tatham は UKジャズ/ハウス/クロスオーバーの重鎮プロデューサー。共通するのは”鍵盤とグルーヴを軸にしたブラックミュージック的解像度”で、そこは星野源のホームでもある。Jazzy Jeff が「喜劇」を気に入ったことがきっかけでプロジェクトが立ち上がったと発表されているが、注目すべきは、彼らがこの曲から何を掘り出したかだ。
オリジナルはミドルテンポの日本語ポップスで、鍵盤の残響と裏拍のグルーヴがきれいに折り重なっている。リミックスはそのグルーヴ側だけを抽出して、日本語ポップスの外側に持ち出した。ざっくり言えば、原曲の骨と皮のうち”骨”を取り出して別の皮を巻いた。裏拍のアクセントを一段はっきりさせて、Rhodes系の鳴りを前に出し、ボーカルを楽器のひとつとして扱っている。これは、星野源が2015年の『YELLOW DANCER』でやろうとしていたことの、海外側からの回答に近い。
面白いのは、星野本人がラジオでリミックス制作について語ったとき、”リズムの裏拍”の話になっていたことだ。日本のポップスと海外のブラックミュージックのリズムの取り方の差、そこにお互いの翻訳が発生していた、と。今なら分かるが、あのリミックスはただの海外向け販促ではなく、星野源が次のフェーズで何を鳴らすかの予告編でもあった。2年後3年後の彼のサウンドを、外側の人間が先に翻訳してみせた形になっている。
「喜劇」の作風を、いま音楽的にどう読むか
音として聴きどころを挙げるなら、まず鍵盤の設計。星野源本人のインタビューでローズにモジュレーションを強めにかけたイメージと語られていた通り、揺らぎのあるエレピが曲全体の”体温”を決めている。ここが一番の骨格で、ボーカルはそこに乗っかっている感じ。
コード進行は、SPY×FAMILYのEDという枠を考えるとかなり凝っている。素直なJ-POPのサビ進行を避けて、テンションと転回形で装飾を積んでいくやり方。子ども番組と大人のリスナーが同居する枠のなかで、”大人の耳”が飽きない設計になっている。ここは mabanua との共同編曲の効き所だと思ってる。
そして、ボーカル処理。サビでファルセットを差し込むことで、明るいメロディの真ん中にわずかな脆さが乗る。この脆さが、後になって効いてくる。テーマは、家族というほど強くない、でも他人よりは近い、その中間にある関係を肯定する曲。血のつながりを前提にしない共同体の話。SPY×FAMILYという原作の主題ともきれいに噛み合っている。当時はそこが「アニメの合致」に見えていた。いま聴くと、そちらのほうが本題で、原作が偶然重なっていたようにすら感じる。
聴きどころ3点
- ローズピアノの揺らぎ:モジュレーション強めのエレピが曲の”体温”を決めている。イヤホンで聴くと右チャンネル寄りに配置された鍵盤の揺れがよく分かる
- 裏拍のグルーヴ:オリジナルは日本語ポップスとして自然に流れるが、リミックス版と聴き比べると、実は裏拍の取り方でブラックミュージックの流儀に片足を突っ込んでいたと気づく
- サビのファルセット:明るいメロディの中央に一瞬の脆さを差し込む処理。ここが曲全体の”喜劇=完全な明るさではない何か”というトーンを決めている
キャリアの中で「喜劇」はどこに置かれる曲か
星野源のシングル系代表曲を並べると、「恋」(2016)、「アイデア」(2018)、「不思議」(2021)、そして「喜劇」(2022)、「Same Thing」以降の英詞トライ、と続いていく。この並びの中で「喜劇」は、”タイアップに完璧に応えつつ、自分の音楽的野心を隠さない曲”の到達点だと思っている。
「恋」の時期の星野源は、ドラマの求心力を借りて社会現象を作った。「アイデア」は朝ドラという別の巨大枠に、複雑な曲構成で挑んだ実験。「喜劇」はもう一段先で、アニメというグローバル配信の枠を借りて、ブラックミュージック的なグルーヴを世界に持ち出した曲になった。台湾・韓国・香港でSpotifyのバイラル1位、というのは、アニメのおかげと片付けるには少し違和感がある結果で、”日本語ポップスの音そのものが越境した”と読んだほうがしっくりくる。
そして2023年の『LIGHTHOUSE』EP、2023年の劇場版『SPY×FAMILY CODE: White』のED「光の跡」担当と続くなかで、彼の”曲単位で世界に置いていく”モードが定着していく。この流れの起点として「喜劇」を置くと、キャリアの見え方が変わる。単発のタイアップ曲、ではない。
チャートでの動き — 数字の外にあった動き
「喜劇」は国内主要チャートで長く滞在したロングセラーだが、この曲に関しては国内順位より海外のバイラル・チャートの動きのほうが後々の評価に効いてくる。台湾、韓国、香港のSpotifyバイラル・ソング・チャートで1位。ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンなどのアジア地域、アメリカ、カナダ、チリ、ペルーなどの北南米のバイラル・チャートで上位。米国は最高5位。数字の細部は各国のSpotify指標を参照してほしいが、東アジアと東南アジア、そして南米、という広がり方が面白い。
数字の話で言うと、ミュージックビデオも配信後の早い段階で1,000万再生を超えている。これも当時としては新曲配信の速度としては強い動きで、アニメEDという入り口を持ちながら、そこから曲だけが独立して歩き出した挙動になっている。EDのカットアウトだけで消費される曲、ではなかった。
この越境の実績があったから、Jazzy Jeff & Kaidi Tatham 版が生まれた。ここは順序が大事で、リミックス→バイラルではなく、バイラル→リミックスの順で起きている。海外での動きを見た海外のレジェンドが手を挙げた形になった、と考えると、この曲の”通り”の良さが分かる。
ファンの聴き方 — この曲はどう生活に入り込んでいるか
個人的な観察を書いておく。「喜劇」はプレイリストに入れっぱなしにされる曲で、シャッフルで不意に出てきたときに一番効く曲だと感じている。ハレの日の曲ではない。かといって明確な失恋ソングでもない。金曜の夜、仕事終わりの帰り道、そのぐらいの気分に一番はまる気がする。
面白いのは、リミックス版のほうが”BGMとして強い”という声をよく見ることだ。オリジナルは歌の重心が強くて聴き入る曲、リミックスは空気を変える曲、と使い分けているファンが多い印象。カフェのプレイリスト、車の中、作業中、あるいはDJセットの繋ぎ。原曲とリミックスがそれぞれ別の生活のシーンに配置されていて、両方が同時に生きているのがこの曲の面白いところだと思ってる。断言はしない。ただ、そう聴かれている気がする。
もうひとつ。「喜劇」というタイトルの取り方は、聴くたびに解釈が変わる。喜劇=ハッピー、と受け取ることもできるし、”人生は喜劇のふりをした何か”という含みで受け取ることもできる。ここが分かれる曲で、ファン同士で語り合うと面白い論点になるはず。作り手が明るく寄せたのか、暗く寄せたのか、それとも中間で止めたのか。この曲の余白は、その中間にある。
いま聴き返して見えてくる、後追いの補助線
時間が経って見えたことを、いくつか。
ひとつめ。「喜劇」は、パンデミック期の曲だ。制作時期の空気を考えると、明るい曲を作ることに強い意志が要った時期の曲。ハッピーな曲を、素直にハッピーとしては書けない時期に、それでも書いた曲。この文脈は当時あまり語られなかった。いま振り返ると、あの明るさは”あえての明るさ”だったと分かる。
ふたつめ。SPY×FAMILY という原作は、”他人同士がなぜか家族をやる”物語だが、これは星野源が長く扱ってきた主題と重なっている。血縁でも恋愛でもない距離感の共同体。「ドラえもん」の主題歌「ドラえもん」、「うちで踊ろう」の広がり方、そのラインの延長線上に「喜劇」がある。原作と歌い手の主題が偶然重なった、というより、この主題を書ける歌い手として発注が来ている。この一致は後から見るとより鮮明だ。
みっつめ。Jazzy Jeff & Kaidi Tatham 版は、”日本語ポップスがブラックミュージックの文脈に翻訳される”事例として、後々もっと参照されるべき仕事だと思う。Jポップの海外リミックスは他にもあるが、レジェンド級の名前が動いて、しかも原曲の芯を尊重した翻訳になっている例は珍しい。ここは音楽史的にも小さくない出来事で、いまの日本の音楽が海外でどう受け取られているかを考えるサンプルとして、この2曲は並べて聴く価値がある。
入門動線
「喜劇」原曲でこの曲の骨格を掴んだら、次にJazzy Jeff & Kaidi Tatham 版を聴くと、同じ曲の別の面が立ち上がってくる。この2つを続けて聴くのが、この曲の一番楽しい入り方だと思う。そこから広げるなら、2018年のアルバム『POP VIRUS🛒楽天』を1枚通して聴くのがいい。「喜劇」に至るまでの鍵盤中心のプロダクション、mabanua との仕事の蓄積、そして星野源が”J-POPをブラックミュージックの側から書き直す”作業をどう積んできたかが、通しで見える1枚になっている。
この曲を、これから聴き返す人へ
「喜劇」は明るい曲だ。同時に、明るくあることの困難を知っている曲でもある。当時のリスナーは前者を、いまのリスナーは後者を、同じメロディから受け取ることになる。曲は変わらないのに、聴く側が変わると別の曲になる、その典型例。
Jazzy Jeff & Kaidi Tatham 版が2022年の段階で世に出たのは、この曲の”長い賞味期限”を裏付ける事件だったと思う。海外のレジェンドがこの曲に手を伸ばした、という事実は、時間が経つほど大きく見えてくる。時々思い出したように再生される曲。プレイリストの中で、静かに強い曲。そういう位置に、この曲は落ち着いている気がする。
あの春、テレビの終わりに流れていた明るい曲。いま聴くと、あれはやさしい遺書だったのかもしれない、と思うことがある。分からない。ただ、そう聴こえる日が確かにある。
Jazzy Jeff と Kaidi Tatham という人選の意味
もう少しだけ、リミックスの人選について踏み込んでおきたい。この2人が並ぶ意味は、日本のリスナーには少し伝わりにくい部分がある。
DJ Jazzy Jeff は、80年代からアクティブなヒップホップ史の生き証人。DJ、プロデューサー、そして選曲家として、ソウル・R&B・ジャズを横断してヒップホップの文脈に持ち込んできた人。単なる”名前貸し”のDJではない。Kaidi Tatham は、ロンドンのブロークンビーツ/UKジャズ/ハウスの重要人物で、鍵盤奏者としてもプロデューサーとしても手数が多い。この2人が並ぶことで、リミックスは”USヒップホップの流儀”と”UKクラブジャズの流儀”の両方に片足を置いた仕上がりになっている。
これは、日本のポップスの海外リミックスとしてはかなり贅沢な布陣だと思う。しかも、原曲の日本語ボーカルをそのまま活かしている。翻訳せずに、リズムの解像度だけ書き換えている。この判断は、いま聴くと相当踏み込んだ判断で、日本語のまま海外の耳に届けるという、後の英詞トライとは別のルートを提示している。
個人的には、この2人を呼べた時点で「喜劇」というプロジェクトはすでに勝っていたと思っている。曲が良かったから呼べた、というより、曲の設計が最初からこういう翻訳を受け付ける構造になっていた。ここが星野源の作家性の強い部分で、Jポップの枠に見える曲が、実はもっと広い座標系の上に建っている。

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