『映画ドラえもん のび太の宝島』の劇場でこの曲を聴いた2018年春の記憶と、2020年冬にドコモのCMからテレビ越しに流れてきた同じ曲の記憶は、自分の中でうまく地続きにならない。同じ曲のはずなのに、鳴っている場所も、届く相手も、途中で入れ替わっている。星野源ここにいないあなたへ🛒楽天は、そういう不思議な二重露光の中に置かれた一曲だ。
この曲の価値は、主題歌の隣で静かに始まり、二年半かけて主題歌より長く効く曲になったことにある。
今の星野源の位置——『POP VIRUS』を経て『不思議/創造』を挟み、2024年の『Gen』でよりビート志向のプロダクションに舵を切った、その現在地——から振り返ると、この静かなバラードは意外な補助線を引いてくれる。当時は「映画の挿入歌」という枠で読まれていたものが、いまはむしろ、星野源のバラード作家としての骨格をいちばん素直に見せた一曲として、あとから輪郭が浮いてくる。
この曲の要点
- 2018年2月28日、11thシングル「ドラえもん」のカップリング曲としてSPEEDSTAR RECORDSからリリース。作詞作曲は星野源本人。
- 『映画ドラえもん のび太の宝島』(2018年3月公開)の挿入歌として書き下ろされた楽曲で、劇中クライマックスで流れる。
- リリースから約2年10か月後、2020年12月から放映されたNTTドコモ「ドコモの学割」新CM「先生からみんなへ」篇のCMソングに起用された。
- 星野源自身がCMに出演する形の、CMソングと本人出演がセットになった珍しい”二度目のブレイク”を果たした曲。
「ドラえもん」の陰にいた曲、という最初の位置
まず事実を並べ直しておく。この曲は単体シングルではない。2018年2月28日に11枚目のシングルとしてJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントの社内カンパニーであるSPEEDSTAR RECORDSより発売された「ドラえもん」の、B面として収録された楽曲であり、表題曲「ドラえもん」は『映画ドラえもん のび太の宝島』の主題歌、B面の「ここにいないあなたへ」は同作の挿入歌としてそれぞれ書き下ろされた。
2018年春の時点では、話題の中心は明らかに主題歌の「ドラえもん」だった。エンドロールで流れ始めると劇場内に子ども達の大合唱が響くほどの人気ぶりを見せ、その光景をSNSで報告する親世代のツイートがタイムラインを何度も流れていった。一方、挿入歌のこちらは「クライマックスで流れる、大人が泣いてしまう曲」として、少し後ろの席でそっと語られていた印象がある。子ども向けの大合唱アンセムと、大人が黙って聴いてしまうバラード。同じシングルに、対の役割で入っていた。
面白いのは制作順で、『ROCKIN’ON JAPAN』2018年4月号のインタビューでは、この曲が同シングルのタイトルチューンであり映画主題歌でもある「ドラえもん」よりも先に生まれた楽曲であることが語られていたという点だ。順序で言えば、こちらのバラードが先にあって、そこから世代を横断するアンセム側の「ドラえもん」が組み上がっていった。いま並べて聴くと、その先後関係は素直に納得できる。バラードで捕まえた芯があるから、A面のアンセムを子ども側にどこまで振り切っていいかが決められた、という順序に見える。
つまり、シングルの中では明らかにB面ポジション。しかし作家の側では、この曲が先だった。ここが後追いで効いてくる。B面を上に置いた設計、と言っても言い過ぎではない気がする。
後追いで見える骨格——バラード作家・星野源のプロトタイプ
この曲を「星野源のバラード」の中に置き直してみる。「くだらないの中に」「Family Song」「アイデア」の後半、そして近年の「喜劇」まで、彼のミディアム〜バラード曲を並べたとき、ここにいないあなたへ🛒楽天は、装飾を最小限にした一番シンプルな骨格を持っている。ピアノとストリングス寄りのアレンジ、ゆったりしたテンポのうねり、サビでコードの明度がふっと開ける瞬間の作り方——このあたりは、そのあとの星野源バラードでも繰り返し使われる語法だ。
特に、Aメロで低い位置からじわじわ持ち上げていって、サビで一気に上がりきらないまま余韻を残す設計。ここが上手い。全部を鳴らし切らないことで、聴き手側の”呼吸の余白”が確保される。CMソングとしてリピート再生に耐えたのは、この余白のおかげだと自分は思っている。歌が全部を占領しないから、CMの映像とナレーションが入ってくる隙間ができる。逆に言えば、この余白があるから、映画のクライマックスにも、教室のCMにも、後にリスナー個人の生活にも、同じ体積で入っていける。
プロダクションで言うと、この曲は”抑えた録り”の教科書みたいな一曲だ。ボーカルにあまり過剰なリバーブを乗せず、近くで語りかける距離感で置いてある。バックの弦とピアノが一歩下がっているから、歌のテクスチャがそのまま前に出る。派手なフックはない。派手なフックを作らなかったことが、この曲の設計思想だと思う。
2018年の段階では、この地味さは「映画に寄り添うため」と読まれていた。主題歌「ドラえもん」よりもさらに映画のストーリーに寄り添って作られたことが指摘されている。それは正しい。ただ、いまから見ると、それだけの説明では足りない。この抑制はもう少し普遍的な設計で、だからこそ映画を離れても機能した。「映画のために抑えた」のではなく「抑えて作った曲を映画に置いた」の順序で捉え直したほうが、この曲の後年の展開はスッと理解できる。
二度目の登場——2020年冬、CMで文脈が入れ替わった
この曲の運命が変わったのは2020年の冬だ。株式会社NTTドコモが、イメージキャラクターの星野源、長谷川博己、新田真剣佑、橋本環奈、浜辺美波が高校の先生を演じる新TVCMシリーズ第2弾「先生からみんなへ」篇を12月1日から全国でオンエアし、音楽には星野源の楽曲「ここにいないあなたへ」が使用された。
ここでの文脈の入れ替わり方が、いま振り返るとかなり大きい。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で多くの学校行事が中止された2020年、CMの中で5人は学生たちにサプライズで季節外れの打ち上げ花火でエールを送る内容で、既存映像の合成ではなく本物の花火を打ち上げることにこだわって制作された。曲は元々、宝島の海と冒険に寄り添うために書かれたはずだった。それが二年後、行事の消えた高校生の冬に鳴っている。
この転用は、単なる「いい曲だから使い回された」以上のことをやっている。映画の主題からいったん剥がれて、”いなくなった相手を思う”という、この曲の一番裸の芯だけが残った。冒険譚の湿度が抜けて、代わりにコロナ禍の”会えなさ”が入り込んだ。曲の骨格がしっかりしていたから、この置き換えが成立した。
2018年と2020年で、この曲を「初めて聴いた」と言う人の顔ぶれは、たぶん半分以上入れ替わっている。ドラえもんのクライマックスで泣いた人と、季節外れの花火のCMでふと足を止めた人。同じ曲を、別の入口から拾っている。曲は同じでも、リスナーの記憶に紐付いた”場面”は完全に別物だ。だからこの曲を語るとき、どっちの入口から入ったかで印象がかなり分かれる。ファン同士で話すとその差がわりと面白く出る、という話でもある。
キャリアの中の位置——「ドラえもん」の裏で保存されたもの
2018年から2020年の星野源は、ものすごく忙しかった時期だ。同年末に『POP VIRUS』を出し、「Same Thing」でSuperorganismを迎え、「アイデア」で朝ドラの主題歌を担当し、シティポップ以降のR&Bとダンス志向のプロダクションを一気に押し進めた。その流れの中で、この静かなバラードは、正直あまり大きな話題として並走していなかった。
ただ、いま2024年の『Gen』以降の位置から振り返ると、この曲は”通過されなかった”ことがむしろ効いている。ビート志向で塗り替わっていく星野源の中で、ここにいないあなたへ🛒楽天は、装飾を足していない状態のバラード原液として保存されてしまった。だから、後年のドコモCMで無理なく前線に戻せた。もし当時ここに凝ったアレンジを乗せていたら、たぶん2020年の教室のCMには合わなかった。
キャリアの物差しで言うと、これは”寄り道”ではない。バラード作家としての基準点を、映画のB面という形でそっと置いておいた——そんな仕事だったと自分は読んでいる。派手な代表曲としてカウントされにくいが、あとから何度も参照される種類の一曲。全キャリアの中で、この位置に置ける曲は意外と少ない。
もう一つ、後追いで言えることがある。2019年10月から2024年11月まで、A面の「ドラえもん」はTVシリーズ『ドラえもん』のOPとして長く鳴り続けた。「ドラえもん」はTVシリーズ『ドラえもん』(第2作2期)の放送時間帯変更に合わせ、2019年10月5日から2024年11月2日までオープニング曲として使用された。この五年余り、A面は毎週土曜の朝に流れていたわけだ。その隣で、B面はCMという別ルートで生活の中に残り続けた。同じシングルの両面が、まったく違う日常の時間帯に定着した。この事例は、シングル文化がストリーミング以降にどう分解されていくかの、わりと象徴的なケースだと思う。
CDのシングルという単位で買っていた時代なら、両面はセットで語られた。いまはサブスクの中で、A面とB面はそれぞれ別の再生履歴に散らばっていく。「ドラえもん」のプレイリスト、朝の家事プレイリスト、CMで気になった曲のプレイリスト——同じシングルの二曲が、別の文脈のプレイリストに分かれて格納される。この曲は、その分解が明るく起きたひとつの実例だと思う。
この曲が”効く”時間
結論から言うと、この曲は夜の曲だと思う。もっと言えば、”移動していない時間”に効く曲として設計されている気がする。
星野源のアップテンポ側——「恋」「Family Song」「アイデア」「不思議」——は、朝や通勤の時間帯にきれいにハマる。歩幅を整える曲だ。一方でこのここにいないあなたへ🛒楽天は、たぶん歩いているときには少し重い。座って、手が止まっているときに合う。夜、風呂上がりの部屋。長距離の運転で助手席の人が寝てしまったあとの高速。金曜の遅い時間、洗濯物をたたんでいる背中。そういう場面で鳴ると輪郭が変わる。
ドコモCMのシチュエーションが季節外れの花火だったのは、この時間感覚と一致していた。花火は、動きを止めて空を見上げる時間の音楽だ。この曲の呼吸と噛み合う。ファンの方で「毎年冬になると再生数が上がる」という感覚を持っている人がいたら、たぶんそれは気のせいではない、と思っている。CMの記憶と、冬の空気と、この曲のテンポが、同じ場所に格納されている。
クライマックスに置かれた”手紙”としての機能
映画側の話も少しだけ。『映画ドラえもん のび太の宝島』は、シリーズ第38作にあたる長編で、宝島を巡る冒険譚の中に”家族の別れと再会”のドラマが軸として組まれていた。挿入歌がクライマックスに置かれたのはそのためで、この曲は物語の情報を運ぶのではなく、感情の温度を保つために鳴っている。台詞と台詞のあいだで、観客の呼吸を整える役をやる。バラードのテンポと、シーンの静止した時間感覚が噛み合っている。
この”呼吸を整える”役を、後にドコモCMがそのまま拾い直した。花火の打ち上がる前の間。カウントダウンの合間。空を見上げる沈黙。曲は映像に対して同じ働き方をしている。映画のクライマックスと、CMのクライマックスが、機能として同じ形をしていた。だから移植が成立した。
楽曲を”手紙”に喩える言い方は使い古されているが、この曲に関しては、その古い比喩がわりと正確に当てはまる。手紙は届く相手が入れ替わっても機能する。宛先の名前を書き替えても、便箋の文面が壊れないから。この曲はそういう作り方で書かれている、と思う。
星野源の”話しかける歌”の系譜に置く
星野源のバラードには、一貫して”二人称に話しかける”文体がある。「Family Song」は家族に、「アイデア」は自分と誰かに、「喜劇」は隣にいる存在に。呼びかけの相手が違うだけで、フォーマットは近い。この系譜の中にここにいないあなたへ🛒楽天を置くと、”いないこと”を最初から前提にしている、という点で少し特殊な位置にあることが分かる。
他の曲は、隣にいる相手に向けて話しかけている。この曲は、隣にいない相手に向けて話しかけている。この違いは小さいようで大きい。返事が返ってこない前提で書かれた歌は、必然的に呼びかけの音量が落ちる。声を張らない。だから抑制が効く。プロダクションの引き算は、この文体の必然だった。
この視点で並べ直すと、”バラードで抑えて書く星野源”の系譜の起点近くに、この曲が置ける。あとの「喜劇」(2022年)の静けさに至るラインの、ひとつ前の駅にこの曲がある感じ。ファンの方には、この二曲を続けて聴く並びをぜひ試してほしい。文体が地続きなのが、たぶん聴いて分かる。
いま読むと変わって聴こえるところ
歌詞の中身には踏み込まないが、テーマだけ言うと、この曲は”ここにいない相手”に向けて呼びかける構造で書かれている。2018年当時、これは主に映画のクライマックス——長く一緒に旅した仲間との、別れと再会にまつわる情景——に接続されていた。
ところが、この”ここにいない相手”というモチーフは、そのあと数年で意味が広がった。コロナ禍で会えなくなった人。オンライン授業で顔だけ見ていた同級生。介護や単身赴任で離れて暮らす家族。星野源本人が公私の変化の中で歌ってきた”日常の隣にいる存在”というテーマとも、地続きにつながってしまった。
だから、いまこの曲を「映画のバラード」としてだけ聴くのは、ちょっともったいない気がしている。宝島の物語の背景から一歩剥がして聴くと、もう少し広い射程を持った”手紙のような曲”として鳴る。ファンにはとっくに聴き取られてきたことかもしれないが、あらためて、そう読み直したい一曲だ。
聴きどころ3点
- ボーカルの距離感——リバーブを深く乗せず、耳元で語られる距離で録られている。歌のテクスチャがそのまま前に来る設計。
- サビの”上がり切らなさ”——最上段まで登り切らないメロディの止め方。ここで余白が生まれ、繰り返し聴くたびに違う情景がハマる。
- アレンジの引き算——バックのピアノと弦が一歩後ろに引いていて、無音に近い瞬間がある。派手なフックを持たない選択が、CM二年半後の”復帰”を可能にした。
ファンに置いておきたい問い
ひとつだけ問いを残しておきたい。もしこの曲が『映画ドラえもん のび太の宝島』の挿入歌として書かれていなかったら、それでも星野源はこの骨格のバラードを書いただろうか。
自分の見立ては、”書いていたと思う、ただし発表するタイミングをもっと後ろにずらしていたかもしれない”だ。この抑制されたバラードは、映画という具体的な”渡し先”がなかったら、たぶんアルバムの真ん中の目立たない位置に静かに埋め込まれていた気がする。映画という額縁があったから、B面という位置でも、これだけの数の耳に届いた。逆に言えば、映画という額縁が”重すぎて”、曲本来の広さがちょっと後回しになった側面もある。
この問いは、たぶんファンの間で答えが分かれる。分かれたままでいい。分かれることそのものが、この曲がまだ現在進行形で読み替えられている証拠だと思う。曲は、書かれた瞬間で完成しない。誰にどう聴かれ直すかで、あとから意味が足されていく。この曲は、いまも足され続けている側の一曲だ。
入門動線
この曲から広げるなら、まずは同じシングルのA面ドラえもん🛒楽天に戻ってほしい。B面のこの曲を先に理解してからA面を聴くと、A面の”全世代アンセム”としての設計が逆算で見えてくる。次の一枚としては、アルバムPOP VIRUS🛒楽天(2018年12月)を勧めたい。同じ時期の星野源が、バラードとダンスの両方をどう解いていたかがまとめて分かる。この曲の”抑えた作り”が、実は同アルバムのアップテンポ曲の設計思想と裏でつながっていることに気づけるはずだ。

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