TOKIO HOT 100 ランキングアーカイブ(1993年1月10日放送)

TOKIO HOT 100 1993-01-10 放送回ランキング ランキング

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1993年1月10日放送の J-WAVE「TOKIO HOT 100」を振り返る回顧コラムです。当時のチャート上位曲を手がかりに、その週の音楽シーンを読み解きます。

本サイトは非公式のファンサイトです。チャートデータの出典:J-WAVE「TOKIO HOT 100」(1993年1月10日放送回)。

この週の音楽シーン

1993年が明けたばかりのこの週、J-WAVE「TOKIO HOT 100」の頂点に立っていたのは、ホイットニー・ヒューストンの「I WILL ALWAYS LOVE YOU」だった。前年秋に公開された映画『ボディガード』の主題歌として世界中を席巻したこの曲は、もともとドリー・パートンが手がけたカントリーソングを、ホイットニー流のゴスペル的な歌唱とドラマチックなアレンジで再構築した一曲だ。前奏なしでいきなりアカペラから始まる冒頭の潔さ、そしてサビに向かって声量と感情を積み上げていく構成は、当時のラジオでもテレビでも繰り返し流れ、まさに「時代を象徴するバラード」として記憶されている人も多いだろう。年明け最初のチャートでこの曲が首位にいるということ自体が、1992年から1993年にかけての音楽シーンの空気をよく表している。

2位にはヴァネッサ・パラディの「BE MY BABY」がランクイン。フランス出身の彼女がロネッツの往年の名曲をリメイクし、ヨーロピアン・ポップスの洒脱さを持ち込んだこの曲は、当時の渋谷系的な感性とも呼応するもので、洋楽リスナーだけでなく国内のポップス好きにも支持された一曲だ。3位のマキシ・プリースト「GROOVIN’ IN THE MIDNIGHT」は、レゲエのグルーヴをメインストリームのR&B/ポップスに溶け込ませたサウンドで、当時のクラブシーンとラジオの距離が近づいていたことを感じさせる。

4位にはマドンナの「DEEPER AND DEEPER」。アルバム『Erotica』からのシングルで、ディスコ・ハウス的な四つ打ちにロック的なギターを絡めた作りは、彼女が90年代前半に見せていた挑戦的な音楽性の一端を伝えている。5位のシャーデー「NO ORDINARY LOVE」は、都会的でメロウなアダルト・コンテンポラリーの代表格として、当時のFM局のヘビーローテーション曲だった印象が強い。

6位にはベイビーフェイス feat. トニ・ブラクストンの「GIVE U MY HEART」、7位にはボーイズIIメンの「END OF THE ROAD」と、当時全盛期を迎えていたR&Bグループ/プロデューサー勢が並ぶ。ベイビーフェイスは作曲家・プロデューサーとしても90年代のR&Bサウンドを設計した人物であり、この時期のチャートには彼の手がけた楽曲が数多く登場する。ボーイズIIメンの重厚なコーラスワークもまた、90年代前半のR&Bバラードの雛形を作った存在だ。

8位のプリンス・アンド・ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション「7」は、実験精神と大衆性を両立させた楽曲で、当時のプリンスが名義やスタイルを模索していた時期の一曲でもある。9位のプレイズ「EASY WAY OUT」はハウス・ミュージックのフロア感覚をポップスに落とし込んだ曲で、そして10位のUS3「CANTALOOP」は、ジャズ・ヒップホップというジャンルを一般リスナーにまで広げたエポックメイキングな一曲だった。ブルーノートのサンプルソースを使ったこの曲は、90年代前半のクラブジャズ/アシッドジャズ・ムーブメントの象徴でもある。

こうして見渡すと、この週のTOP10には、バラードの王道からダンス、レゲエ、ジャズ・ヒップホップまで、ジャンルの境界が緩やかに溶け合いつつあった93年前後の空気が凝縮されている。ホイットニーの圧倒的な歌唱力を頂点に据えながら、その周囲には多様なサウンドが共存していたことこそ、当時のTOKIO HOT 100の面白さだったのだろう。

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1993年1月10日付 TOP10(出典:J-WAVE TOKIO HOT 100)

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