星野源『くせのうた』を今の耳で聴き直す——デビュー作の弾き語りが指し示していたもの

夕方の部屋、木製の椅子に立てかけられたアコースティックギターと、開いたままのノートのイメージ 楽曲

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「くせのうた」を久しぶりに再生したら、ずいぶん印象が変わっていた。2015年の「SUN」以降の星野源を通ってから戻ってくると、この曲の輪郭がむしろ濃くなって聴こえる。踊らせるより先に、生活の隅っこにそっと座る歌があった。「くせのうた」は、後年の踊れる星野源より先に、生活を聴く星野源がいたことのいちばん静かな証拠だ。

この曲はチャートを一気に駆け上がったわけではない。じわじわと、ライブや弾き語り動画、SNSでのカバー、そういうところから染み出すように広がってきた。だからこそ、いま改めて振り返る意味がある。当時の紹介ではなく、今の耳での再読として。

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この曲の要点

  • 「くせのうた」は星野源の1stオリジナル・アルバムばかのうた🛒楽天(2010年6月23日発売)に収録された楽曲。
  • 同アルバムはビクターエンタテインメント内、細野晴臣主宰のレーベル「デイジーワールド」からリリース。
  • 『ばかのうた』は第3回CDショップ大賞に入選している。
  • 作詞・作曲は星野源本人。アコースティック・ギター中心の弾き語り編成が基調。
  • 俳優・SAKEROCKリーダーとして活動してきた星野が、シンガーとして正面から立った最初の一枚に含まれる代表曲のひとつ。

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2010年の入り口に、この曲は置かれていた

まず事実から確認しておく。「くせのうた」は2010年6月23日発売のアルバム『ばかのうた』に収録された曲だ。星野源にとってこれが1stオリジナル・アルバムで、レーベルは細野晴臣主宰の「デイジーワールド」。SAKEROCKのリーダー、大人計画所属の俳優として名前は知られていたが、歌う星野源としては、ここが正式な入り口だった。

いま冷静に見ると、この事実はけっこうすごい。デビューアルバムのレーベルが細野晴臣、というのは、日本のポップスの系譜を考えたときに、単なる縁以上のものを示している。SAKEROCKで培ったインスト感覚、俳優としての言葉への慎重さ、そして細野経由のポップス史。そのぜんぶが一枚に流し込まれた入り口に、「くせのうた」は置かれていた。

予算はSAKEROCK時代と比べて格段に少なかった、と本人が後年語っている。宣伝費も抑えて、地道な営業で回した。だからこそ、いまの位置から振り返ると、この一枚は派手にデビューしなかったことに独特の意味がある。派手じゃない歌が、派手じゃない出方で世に出た。そのことと、曲そのものの佇まいが、うまく釣り合っている。

癖というモチーフの選び方

結論から書くと、タイトルに「くせ」を選んだこと自体が、この曲の設計思想を全部言ってしまっている。誰かを好きになる過程を、ドラマチックな出来事ではなく、相手の小さな癖への引っかかりで描く。歌詞は引用しないが、そういう視点で書かれた曲だ、とは言える。

ここが、後年のヒット曲との一番わかりやすい繋がりだと思う。「恋」(2016年)でも「アイデア」(2018年)でも、星野源は生活の断片からしか感情を描かない、という一貫した書き手だ。壮大な比喩を避ける。日常の物の名前を、なるべく小さいスケールで置く。その原型が「くせのうた」にはある。というより、この時点で完成している。

そう。「恋」の作詞・作曲者は、いきなり出てきたのではなくて、6年前の同じ手つきの人だった。ここが後追いで聴くと一番おもしろい。

もう一点。同じアルバムに「ばらばら」という曲がある。世界がひとつになれない、ばらばらのままだ、という主題の曲だ。この「ばらばら」と「くせのうた」を並べて聴くと、星野源の初期の設計図がだいぶ見える。世界はばらばらのまま、その上で個々の癖に触れていく、という順序。大きな話を諦めた上で、小さな話を大事にする。この順序は、その後もあまり変わっていない気がする。

サウンドの読み——引き算の一枚に置かれた歌

サウンド面から言うと、この曲は徹底して引き算だ。アコースティック・ギターの弾き語りが基調で、装飾は最小限。SAKEROCKで見せていたマリンバやアンサンブルの遊びは、ここでは意図的に抑えられている。

イントロの数秒を聴くと、ギターのボディに指が当たる音、弦のノイズ、そういう手の距離がやたら近い。マイクとギターの距離を詰めて録っている音で、部屋の中で誰かが弾いているのを至近距離で聴いているような手触りになる。この距離感の設計は、後の「うちで踊ろう」(2020年)のあの多重録音の宅録感覚とも、意外に地続きだと思う。豪華なスタジオワークで固めない、という選択が、10年後にコロナ禍の弾き語り公開に繋がっていく。

声の質もいまとは違う。当時の星野源は、いまより線が細くて、少し裏返るような発声を残していた。これが2ndアルバム『エピソード』(2011年、オリコン週間5位、第4回CDショップ大賞準大賞)あたりから、少しずつ声の輪郭が硬くなっていく。「くせのうた」を今聴くと、この、まだ固まりきっていない声の記録としても貴重で、後年の彼の声との違いにいちいち引っかかる。

編曲クレジットが「星野源・みんな」となっているのも、この時期のスタンスをよく表している。俺のアレンジだ、と言い切らない。バンドと現場でつくった、みんなだ、と書く。この距離の取り方は、後年の「Same Thing」(2019年)でSuperorganismのOronoやPUNPEEを呼ぶような、他者を招き入れる作家性の芽にも見えてくる。

キャリアの中での位置——入り口であり、通奏低音

この曲がキャリアの中で持つ意味は、時間が経つほど変わってきた、と思う。2010年時点では「SAKEROCKの人が歌ったアルバムに入っている、静かな一曲」だった。2015年の「SUN」以降は「あの人にもこういう時期があったんだ」の代表格に位置が変わった。そして2020年前後、「うちで踊ろう」のあとの世代には、星野源の原点としてリスト上位で紹介されるようになった。

ここが今日いちばん書きたかったところで、要は、後年の星野源がダンスミュージックの人、俳優としても跨ぐ人、紅白の顔、と役割を増やしていくほど、逆説的に「くせのうた」の価値が上がっていった。派手な役割の裏で、あの弾き語りの手つきをずっと持ち続けている人だ、と確認できる曲になった。通奏低音として機能し始めた、と言ってもいい。

初期の弾き語り作品と、後の打ち込み以降の作品を、断絶ではなく地続きで聴けるかどうか。ここは星野源を語るときにけっこう分かれるところで、自分は完全に地続き派だ。「くせのうた」の視点、相手の細部を見つめる視点は、「恋」の一節にも「不思議」(2021年)にも生きている。楽器編成が変わっただけで、書き手の目線は動いていない、と思ってます。

チャートより長い時間軸で残った曲

「くせのうた」自身は、シングルとしてチャートを賑わすタイプの曲ではなかった。収録アルバム『ばかのうた』も、大きなセールス記録を残したというより、第3回CDショップ大賞に入選した、という玄人筋からの評価がまず立った。翌年の『エピソード』が週間チャート5位まで来て、そこから世に浸透していく段取りだった。

だから「くせのうた」を語るときに、初動の順位で語っても意味がない。この曲は、10年以上の時間軸のなかで、カバーされ、弾き語り動画で共有され、SNSのショート動画でも一部が使われ、じわじわ延びてきた。結果として、いま新しくファンになった人が最初に手を伸ばす初期曲の一つになっている。

この曲は、たぶん夜に効く。大きな出来事があった夜ではなくて、なにも起きなかった日の夜のほうに、輪郭がはっきりする気がする。金曜の23時、部屋の照明を一段落として、明日のことをまだ考えたくない時間。そういう場面用に設計されている、というのは言い過ぎかもしれないけど、そう聴こえる。ファンの人がこの曲をどんな夜に再生してきたか、聞いてみたい曲でもある。

聴きどころ3点

  • マイクとギターの近さ——冒頭数秒に注目。指と弦の距離が異様に近い録音で、部屋で誰かが弾いている手触りが最初に来る。
  • 当時の声の細さ——後年の低音寄りの声を知ってから戻ってくると、線の細い発声の記録として面白い。次作『エピソード』で少し変わる、その手前。
  • モチーフの小ささ——大きな比喩を使わず、相手の癖という極小の入り口から感情を描く。「恋」以降の書き手の視点の原型がここにある。

後追いだから見える、当時は言えなかったこと

ここは完全に後知恵での話。2010年時点でこの曲を聴いた人が、「この人はやがて紅白の常連になり、朝ドラ主題歌を書き、コロナ禍に日本中で歌われる弾き語り動画を投下する人になる」と予想できたかというと、たぶんできなかった。細野晴臣周りで音楽をよく聴いていた人でも、そこまでは読めなかったはずだ。

でも、いまから聴くと予兆がぜんぶ入っている。言葉の選び方が小さい録音の距離が近い編曲クレジットに他者を招き入れている。この3点が、後年のアルバム『POP VIRUS』(2018年)や、パンデミック中の一連の活動にまでそのまま繋がる。派手にキャリアの方向転換をしたのではなく、同じ手つきの応用範囲がどんどん広がっただけだ、と後追いでは読める。

この読み方に納得するかは人によると思う。「初期の弾き語りと『恋』以降のダンスは別物だ」という聴き方もあって、それも間違いではない。ただ、「くせのうた」の視点でその後の曲を並べ直してみると、意外と一本の線で読めてしまう、というのが自分の言い分だ。ここはファンの人と話してみたい論点でもある。

体調と、声と、時間の話

もう一つ、後追いだから触れられる話がある。星野源は2012年と2013年にくも膜下出血で二度の療養を経験している。「くせのうた」はその前、まだデビューして間もない時期の録音だ。あの療養期を挟んで、彼の声も、書くもののトーンも変わったと感じる人は多いと思う。

その時間軸を知ったうえで「くせのうた」を聴くと、余計に手触りが変わる。まだなにも起きていない声、というふうに聴こえる瞬間がある。これは当時聴いていた人にはたぶん見えなかった補助線で、後追いでしか成立しない読み方だ。だから、この曲は初期の代表曲であると同時に、星野源というアーティストの時間の分岐点の直前の記録でもある、と自分は思ってます。

入門動線

「くせのうた」から広げるなら、次はまず同じアルバムの「ばらばら」。世界はひとつになれないという主題の曲で、「くせのうた」と対になる思想を持っている。この2曲で1st『ばかのうた』の輪郭がだいぶ掴める。もう一歩広げるなら、2ndアルバムエピソード🛒楽天へ。声の質が少し変わる時期の記録で、初期3部作を追う入り口になる。そこから『YELLOW DANCER』(2015年)以降のダンスミュージック期に進むと、この記事で書いた”手つきは変わっていない”という話が、体感で確かめられると思う。

細野晴臣という補助線

デビュー先が細野晴臣主宰のレーベルだった、という事実は、後追いでの読解にかなり効いてくる。細野の仕事の系譜——はっぴいえんど、YMO、そして2000年代以降のソロで見せてきた、ローファイ寄りの手触りとポップスの成立——を頭の隅に置くと、「くせのうた」の録音の距離感がなぜあの近さなのか、腑に落ちる。豪華なオーケストレーションで感情を持ち上げるのではなく、部屋の空気ごと録る。この選択は、細野経由のポップス史の一つの流儀だ。

星野源はその後、細野との共作曲「ただいま」を『ばかのうた』に収録し、さらに『エピソード』以降も細野の名前が周囲に見え隠れする。2019年の細野晴臣ソロデビュー50周年ライブへの参加など、関係は途切れずに続いていく。だから「くせのうた」は、星野源の初期作というだけでなく、細野晴臣という重要な参照先を明示的に持ったデビュー曲群の一つ、として位置付けられる。ここも、当時よりも今のほうが見通しがいい。

もっと言えば、この師弟関係の存在が、後年の星野源の”他者を招き入れる作家性”の理論的根拠にもなっている、と思う。師匠にレーベルで面倒を見てもらった人は、たぶん、後輩や共演者に対しても同じ距離を取る。名義に他人の名前を並べることを恐れない。この態度の起点も、この時期にある。

俳優・書き手としての星野源が、歌に入るとどうなるか

もう一つ、後追いだから言える話。星野源はデビュー時点ですでに、大人計画所属の俳優であり、エッセイの書き手でもあった。『そして生活はつづく』(2009年、文藝春秋)のような散文の仕事は、ソロ音楽デビューの直前に世に出ている。つまり、歌を歌う星野源は、他の分野で言葉と身体の使い方を先に手に入れていた人だった。

これがなにに効くかというと、「くせのうた」のような曲での言葉の置き方の慎重さに直結する。俳優は台詞を演じるとき、台詞と自分の距離を測る。エッセイの書き手は、自分の体験と読み手の生活の距離を測る。この二つの訓練を先に受けた人が歌を書くと、歌詞のスケールを絶対に上げすぎない。大きな主語を使わない。大声を出さない。「くせのうた」の抑制は、性格の問題というより、他分野で先に鍛えられた技術の反映だ、と読むほうがしっくりくる。

この観点で聴き直すと、この曲の”素朴に見える”感じが、実は素朴じゃない、ということが分かる。素朴に聴こえるように、複数の分野で鍛えた技術を全部使って引き算している。そこがこの曲の、ちょっと怖いところでもある。

いま、この曲を再生する意味

まとめると、「くせのうた」を今かける意味は、派手なほうの星野源しか知らない耳に、静かなほうの星野源を差し戻すことにある。この差し戻しが済むと、「恋」も「創造」も「Cube」も、全部この静かな曲の応用として聴き直せる。逆順で聴く、というやり方だ。

チャート的な派手さは、この曲にはたぶん最後まで付かない。付かなくていい曲だと思う。かわりに、10年、20年経っても、初めて星野源を聴く誰かが最初に手を伸ばす初期曲であり続ける。時間軸の長いほうの資産、というのはこういう曲のことを言う。

もう一点、ちょっと補足しておきたい。この曲は「星野源の入門曲」として紹介されることが多いけれど、実際には入門曲というより、”入門したあとにもう一度戻ってくる曲”としてのほうが機能している気がする。最初に触れるのは「恋」や「アイデア」や「うちで踊ろう」で、そこから遡ってこの曲に辿り着く順路のほうが自然だし、その順路で聴いたときのこの曲の効き方がいちばん深い。逆順で入る、という聴き方は、たぶんこのアーティストに関してはずっと有効だと思ってます。

金曜の夜、なんでもない時間に一度、再生してみてほしい。この曲の癖に、こちらの生活の癖が少し合ってきたら、たぶんそこからしばらく離れられなくなる。※タイアップ・使用実績・詳細な制作エピソードなどは公式情報を参照してください。

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