2020年の6月に配信された折り合い🛒楽天を、今、あらためて再生してみる。当時はニュースの音の合間に紛れていった一曲だった、と思う。それが今、静かに戻ってくる。『折り合い』は大文字の名曲ではない。距離を持て余した2020年の夜に、こっそり手渡された小さな和解の曲だった。この記事は、当時の紹介ではなく、5年以上が経った今の位置から、この曲を後追いで読み直す試みです。
この曲の要点
- 星野源『折り合い』は2020年6月19日にサプライズで配信リリースされた楽曲。
- 外出自粛期間中、DAWを使って打ち込みのトラック制作からボーカル録音まで、すべて自宅で完成させた自主制作曲。
- ミュージックビデオは映画監督の三宅唱が手がけ、星野源と俳優の石橋静河が別々の部屋で過ごす男女を演じた。
- 2020年5月15日のTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』でリモート出演した際、初めてオンエアされた。
- 「うちで踊ろう」に続く、コロナ禍のなかで生まれた星野源の配信曲のひとつ。
2020年6月19日に「急に」出てきた曲だった
まず事実から。『折り合い』は2020年6月19日にダウンロード&ストリーミングで配信リリースされた。事前予告らしい予告はほとんどなく、金曜の朝に急に置かれていた曲だった、という感覚が近い。プレスリリース上の言葉を借りれば「急遽配信」。この「急遽」という副詞が、当時の空気をいちばん正確に残していると思う。
星野源はその少し前、2020年4月にInstagramで「うちで踊ろう」を弾き語りで投稿し、コラボの連鎖が世界に広がった。あの騒ぎが一段落した後の、ちょっと疲れた6月に、『折り合い』はそっと置かれた。「うちで踊ろう」が広場の曲だったなら、『折り合い』は自室の曲だ。同じ人が作ったとは思えないほど、鳴りの規模が違う。そこがこの曲の面白さで、今聴き返すとより際立つ。
初出は配信の1ヶ月ほど前だった。2020年5月15日深夜、TBSラジオ『金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』にリモート出演した回で、番組内で初オンエアされている。ラジオで先に一度鳴らして、反応を確かめてから配信に踏み切った、という順序自体、この時期の星野源らしい慎重さだったな、と今になって思う。
2020年の6月19日は金曜日だった。緊急事態宣言は5月末に解除されていたが、街の空気はまだ戻っていない。マスクの在庫がやっと安定した頃、と言えば当時の感触に近い。飲食店の営業も細切れで、ライブハウスは軒並み止まっていた。そんな週末の入り口に、宅録の小さなラブソングが1曲だけ置かれた。今から見ると、あの置き方には明確な意図があった気がする。派手に打ち出すには時期が悪すぎたし、かといって「時期が良くなるまで」寝かせるには、曲が抱えていた温度が生鮮すぎた。だから金曜の朝、そっと出した。当時、この曲は「大きく売る」文脈では語られていない。
「自宅でDAWを学び直した男」の記録として
後追いで読み直すとき、いちばん重要な補助線はこれだ。『折り合い』は、星野源が外出自粛期間中にDAWを使い、打ち込みでトラックを作り、ボーカルまで自宅で録音した曲である。プロデューサーが呼べない、スタジオに入れない、共演者と会えない。その状況で、ひとりで完結させるためのフォーマットとして選ばれたのがDAWだった。
これは当時、あまり大きな話題にはならなかった。でも今、2020年以降の星野源の音作りを追ってきた人なら、うっすら気づいているはず。バンドの生々しさで押し切っていた『YELLOW DANCER』(2015)や、生楽器と打ち込みが同居していた『POP VIRUS』(2018)から、2020年代以降の彼の音は、明らかに「打ち込みの解像度」に軸足を移している。打ち込みのスネアの立ち上がり、キックの短さ、シンセの帯域の切り取り方。あの粒立ちの追い込み方は、突然生まれたわけじゃない。
『折り合い』の音を聴くと、その入り口が置いてあるのが分かる。派手ではない。むしろわざと控えめだ。でも、ドラムパターンの選び方に「これ、自分の手で1音ずつ置いた人の音だな」という手触りがある。誰かに直してもらう前の、少し不揃いなグリッド感。当時は「宅録っぽい」で片付けられていたけれど、今聴くと、あれは学び直しの記録だった。
そう考えると、『折り合い』はキャリアの中で妙な位置に置かれる曲になる。ヒット曲ではない。代表曲でもない。でも、これ以降の星野源の音の変わり方を説明するとき、この曲を経由しないと話が繋がらない。そういう類の曲だ。
もうひとつ書き足しておきたい。星野源はもともと、SAKEROCKというインスト・バンドで木琴やギターを弾いていた人だ。生楽器のニュアンス、ミュートの深さ、フレーズの譲り合い方、そういう「合奏の中で成立する音」を体で覚えてきたタイプ。その人が一人でDAWに向かうと、当然、最初はうまくいかない。合奏で決めていた「間」を、自分ひとりで打ち込みのグリッドに割り付ける作業に置き換えないといけない。『折り合い』の音の妙な間合いは、その置き換えの途中で生まれたものだと思う。もう少し整えれば洗練できたはずのところを、あえて置き換えの途中で止めている。ここが良い。
後から振り返ると、この時期の宅録経験は、彼のプロダクションに対する態度を明らかに変えた。以降の楽曲では、ボーカルの近さ、ハイハットの粒の細かさ、低域の削り方に、「自分でここまで詰められる人」の耳が入り始める。エンジニアやプロデューサー任せでは辿り着けない箇所を、本人が細かく指定できるようになった、という言い方の方が近いかもしれない。『折り合い』は、その耳が育っていく途中の記録だ。だから完成度で語る曲ではなく、変化の始点として語る曲になる。
三宅唱と石橋静河、別の部屋の男女
配信と同時に公開されたミュージックビデオも、この曲の読み方を左右する。監督は映画監督の三宅唱。『THE COCKPIT』『きみの鳥はうたえる』などで知られる、静けさと生活感を撮らせたら日本でも屈指の作家だ。出演は星野源と俳優の石橋静河。ふたりが同じ家の別の部屋で、それぞれの「日常」を過ごしている姿が淡々と映される。
いま観返して腹落ちするのは、この映像が「会えない恋人たち」ではなく、「一緒に住んでいるのに別の部屋にいる二人」を撮っている点だ。当時は「距離」というテーマがどこを見てもあったから、少し埋もれた。でも改めて観ると、これは同居する誰かと折り合いをつけるための曲、として撮られている。ここが後から効いてくる。
「うちで踊ろう」が家という空間を祝祭にした曲だったとするなら、『折り合い』は家という空間の狭さを直視した曲。近すぎる相手とどう距離をとるか、離れられない相手とどう調子を合わせるか。2020年の6月、家にいる時間が延びれば延びるほど、実は多くの人が抱えていた小さな摩擦。あれを歌にした人は当時、そんなに多くなかった、と今でも思う。
三宅唱の映像は、動きが少ない。カメラも役者も、ほとんど大きく動かない。石橋静河は台所にいたり、床に座っていたりする。星野源は別の部屋で作業をしていたり、寝ていたりする。壁1枚を挟んだだけで、二人の時間の流れ方が微妙にずれている、その「ずれ」を撮ろうとした映像だ、と思う。ドラマチックな和解も、劇的なすれ違いもない。ただ、同じ屋根の下にいる人の呼吸が、少しずつ違うテンポで流れている。それだけを、ちゃんと撮っている。この抑制が、曲の抑制と噛み合っている。
音楽ライターとして正直に言うと、2020年6月のあの時期に、この座組を組めたことが、いちばん贅沢なことだったと思う。撮影自体が難しい時期に、少人数で、生活空間の延長のようなセットで、静かな映像を撮る。それができる監督と俳優を、星野源側が選んだ。派手なCMディレクターでも、大掛かりなロケでもなく、三宅唱と石橋静河。この選択は、曲の設計思想と完全に一致している。だから映像を観てから曲を聴き返すと、曲の解像度が上がる。逆もそう。両方セットで初めて『折り合い』は完成する。
今こそ読める、この曲の輪郭
後追いで一番書きたいのはここ。2020年当時、『折り合い』は「コロナ禍のラブソング」というラベルで受け取られた。それは間違いではない。ただ、5年以上経って、コロナという文脈が薄れた今のほうが、この曲の芯が見えやすい。
タイトルの『折り合い』は、相手との折衷案、ではない。もう少し諦めに近い。相手を変えることは諦めて、でも一緒にいることは諦めていない、そのあいだで手を打つ動詞だ。ラブソングというジャンルの中でも、この手触りを扱った曲は驚くほど少ない。恋の絶頂も、失恋の痛みも、再会の甘さもない。ただ、隣にいる人と、今日の自分の機嫌をどう折り合わせるか、という話。
これは、コロナが背景から抜けても効く曲だ。むしろ抜けたほうがよく効く。パンデミックという外部条件がなくなった今、「同じ家にいるのに気持ちが少しずれている」という状況は、より生活の側に戻ってくる。恋人でも夫婦でも家族でも友人でも、長く一緒にいる誰かがいる人に、静かに届く曲。そう読み替えられる作品として、『折り合い』は当時よりも今、届く場所が広い気がする。
星野源はその後、2022年に『喜劇』でアニメ『SPY×FAMILY』のエンディングを担当し、疑似家族の物語に音楽を寄せた。『折り合い』からの線で見ると、あれもまた「近い相手とどう暮らすか」の曲だ。この人はコロナ禍以降、ずっと同じ問いをかたちを変えて歌っている、と読める。『折り合い』はその出発点近くに置かれた小さな標識で、当時は誰もそこまで注目しなかったけれど、今なら「あ、ここから始まってたのか」と分かる。
『折り合い』というタイトルは、字面だけ見ると少し老成している。20代のシンガーがつけるタイトルではない。星野源はこのとき39歳だった。20代の万能感でもなく、40代の諦観でもない、その手前の位置から歌われている。ここも、今聴くと味わいが違う。彼はその後、40代に入って、より生活寄りの言葉を選ぶようになる。『折り合い』は、その移り変わりのちょうど境目に置かれている曲、と読んでいい。
朝でも夜でもない、平日の16時の曲
この曲がどんな時間に効くか、という話も少し書いておきたい。個人的な観測で恐縮だけど、『折り合い』は朝には少し湿っぽすぎるし、夜には少しあっさりしすぎている。いちばんハマるのは、平日の16時から17時のあいだ、まだ仕事は終わっていないけれど集中が切れかけているタイミング。窓の外の光がゆっくり色を変えていく時間帯に、この曲は不思議とちょうどよい重さで乗ってくる気がする。
祝祭の曲ではないから、パーティのプレイリストには入れづらい。かといって夜のセンチメンタルな並びに置くと、少し健やかすぎて浮く。星野源のプレイリストの中で、置き場所がちょっと難しい曲、として設計されている気がする。だからこそ、自分だけのタイミングを見つけたときにいちばん深く効く。ファンが「あの時に聴いてたな」を、それぞれ違う場面で持っていそうな曲、というふうにも言える。
もう少し具体的に書くと、この曲は「作業BGMとしては軽すぎるが、集中して聴くには軽すぎる」というギリギリの位置に設計されている気がする。歌詞の重みを追いかけようとすると、少しだけ手前で止まっている。かといってBGMに徹するには、ボーカルの存在感が濃い。この宙ぶらりんが、平日の夕方の宙ぶらりんとちょうど同じ温度で、それでたぶん、この時間に効く。ファンの方に聞いてみたい話でもある。あなたはこの曲を、どの時間に聴いていますか。
キャリアの地図でどこにあるか
2020年前後の星野源の動きを年表にすると、『折り合い』の座標がはっきりする。2018年12月にアルバム『POP VIRUS』、2019年10月にEP『Same Thing』(Superorganismや初のラップ参加のPUNPEEらと組んだ作品)。ここまでが「外に開いていく星野源」。そして2020年4月に「うちで踊ろう」の弾き語り投稿があり、2020年6月に『折り合い』が配信された。ここが「家の中に戻された星野源」だ。
『折り合い』はアルバムの目玉曲としてリリースされたわけではない。配信シングルとして単独で置かれ、そのまま単独で漂っている。これは意外と大事な点で、アルバムの文脈で聴かせる気がなかった、ということだ。1曲だけでその場に置く。その代わり、時間をかけて意味が育つのを待つ。結果として、5年経った今のほうが、意味が濃くなっている。曲の「熟成」というのはこういうことか、と思わせる例だと思う。
チャート上の話題性で言えば、当時のシングル群の中で目立ったポジションを取った曲ではない。ただ、この記事の冒頭に置いた通り、『折り合い』は数字で語る曲じゃない。数字で語れない曲を、キャリアの節目に静かに置ける、というのが、この時期の星野源の余裕でもあった。
『折り合い』を含む2020年前後の配信曲群、そしてその後の「創造」(2021)、「不思議」「喜劇」(2022)の流れは、アルバム単位で見えなかった星野源の時期の記録として、後から意味を持ち始めている。2018年の『POP VIRUS』以降、しばらくスタジオ・アルバムの空白期でもあった。この空白の中で、彼はシングル配信と自宅制作を組み合わせて、静かに耳を鍛え続けていた。『折り合い』はその期間の初期に置かれている。この時期をないものとして扱うと、彼のここ数年の変化が説明できない。
2020年の宅録曲群の中に置いて聴く
『折り合い』は、2020年に世界中のミュージシャンがそれぞれの自室で作った膨大な楽曲群のひとつだ。ここも今なら見えてくる補助線だ。当時は「宅録の曲がやたら増えた」で片付いたけれど、5年経ってから俯瞰すると、あの時期に出た宅録曲には、共通する手触りがある。人と会わずに作ると、曲は総じて内向的になる。派手なコーラスワークは減り、リバーブは狭くなり、ドラムの鳴りも小さくなる。制作環境が音のスケールをそのまま決めていた、と言ってもいい。
この文脈で『折り合い』を聴くと、当時の他の宅録曲と比べても、抑制の効き方が一段深い。派手な自己憐憫がない。孤独をドラマに仕立てない。「一人で作ったから寂しい」ではなく、「一人で作れる程度の距離感を、そのまま曲にした」という佇まい。ここが星野源らしさだと思う。同時期に世界中で作られた「家の中の曲」の中でも、感傷が薄い部類に入る。感傷を売り物にしないところが、後々まで残る強さになっている。
もう一つ言うなら、この曲は「人が誰かと折り合う」という主題を、宅録という技術的な制約と重ねている。相手と会えない環境で、相手と折り合う曲を作る。この構造の入れ子は、2020年という年でなければ書けなかった。パンデミックが終わった今、同じ曲は同じ人でも作れないと思う。だから『折り合い』は、その時期の記録としても、静かに強い。
歌の呼吸、そして小さいまま残るということ
最後にもう一点、音の話。『折り合い』のボーカルは、マイクとの距離がかなり近い。自宅録音特有の、部屋鳴りが少なくボーカルだけがぐっと前に出る質感が、そのまま活かされている。プロのスタジオで録ると、たいていはもう少し空間を作って、歌を空気の中に置き直す。それをしていない。宅録の生っぽさを整えずに、そのまま残している。この判断が、この曲の温度を決めている。
ボーカル自体も、力を抜いている。声を張らない。ビブラートも控えめ。ラブソングというジャンルでよくある「歌い上げ」で解決しない。感情を全部乗せてしまうと、この曲の「折り合い」というテーマと矛盾するからだ。誰かと折り合いをつけようとしている人は、大声で歌わない。囁くか、独り言のように呟く。この曲のボーカルは後者に近い。だから何回聴いても飽きない、というより、聴くたびに音量を少しずつ下げたくなる。
そして、この曲は最後まで小さいまま終わる。展開の中で大きく盛り上がらない。エンディングでカタルシスを用意しない。ポップスの作法から言えば少し不親切な設計だ。ただ、これは意図的な選択だと思う。生活の中で誰かと折り合う瞬間には、劇的なクライマックスは来ない。ゆっくり温度が変わって、気づいたら少し楽になっている、その手触りに寄せた終わり方になっている。だから『折り合い』は「聴きどころ」を派手に指差せない代わりに、聴き終わった後の余韻の長さで残る。5年以上経ってもプレイリストの中で場所を失わないのは、たぶんこの終わり方のせいだ。
聴きどころ
聴きどころ3点
- 打ち込みの粒立ち。派手さを抑えた分、キックとスネアの短さ、シンセの帯域の削り方に、自宅で1音ずつ置いた手触りが残っている。以降の星野源の音作りに繋がる入り口として聴ける。
- ボーカルの抑え方。歌い上げない。呼吸に近い距離で置かれた歌が、ラブソングというジャンルの温度を1段下げている。ここがこの曲の芯。
- 三宅唱によるMVとのセット。楽曲単体では見えづらい「別々の部屋にいる二人」というテーマが、映像を観ると輪郭を持つ。曲と映像で1つの作品として設計されている。
入門動線
『折り合い』から星野源に入る人には、次の1曲として「うちで踊ろう」を勧めたい。同じ時期の対の曲で、家という空間に対する二つの態度が並んで見える。もう少し広げるなら、関連する1枚として2018年のアルバムPOP VIRUS🛒楽天。『折り合い』の音の「前提」になっている、生楽器と打ち込みの往復の完成形が聴ける。この2つを経由すると、『折り合い』が孤立した宅録曲ではなく、彼の音の変遷の中の1点であることが腑に落ちる、と思う。
ファンに残しておきたい問い
最後に、答えを出さずに置いておきたい問いをひとつ。『折り合い』は、あなたにとって「誰との折り合い」の曲ですか。恋人か、家族か、同居人か、あるいは自分自身か。この曲は不思議なくらい相手を特定しない設計になっていて、聴く人の生活によって、宛先が変わる。ここが、この曲がしぶとく残っている理由だと思う。ラブソングというより、生活の中の距離の歌。5年以上前に急に配信された小さな曲が、今も自分の部屋に馴染むのは、たぶんそのせいだ。
もう一つ、書き添えておきたいことがある。この曲は5年以上、特に大きく再評価されることもなく、静かにストリーミングの中に居続けている。ヒットチャートを再びぶり返すこともなく、テレビで頻繁に紹介されることもない。それでも、消えない。プレイリストから外されない。そういう曲の寿命の長さは、リリース時の話題性とはあまり関係がない、ということを、『折り合い』は例として教えてくれる。急に売れて急に消える曲もあれば、静かに置かれて静かに残る曲もある。星野源のカタログの中で、後者の代表格として、この曲は座っている。
この記事は、答えではなく地図の一部として書いた。『折り合い』の意味を決めるのはあなた自身で、それはたぶん、この先の生活の中で少しずつ変わっていくと思う。5年前に聴いたときの意味と、今日聴いた意味と、5年後に聴くときの意味は、それぞれ違うはずだ。この曲は、そういう変化を許すだけの余白を持って作られている。だから小さいまま、長く残る。

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