LANAが蘇らせた”翼の折れたエンジェル”——Z世代のシティポップ再解釈

夜のネオンに照らされたマイクとレコード、翼のシルエットが浮かぶ抽象的な音楽イメージ 楽曲

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チャートで急に気になる曲名を見つけた。『翼の折れたエンジェル』——80年代を通ってきた人なら、この曲名だけで反射的にサビのメロディが浮かぶはず。1985年に中村あゆみが歌ったあのロック・バラードを、2020年代の女性ラッパーLANAが自分のものとしてやり直している。カバーというより、時代を跨いだ書き直しに近い。今このタイミングで、Z世代のリスナーがこの曲名を検索している事実そのものが、ちょっと面白い現象だと思う。

まずは事実確認——LANAとは誰か

LANAは日本の女性ラッパー/シンガー。SNSやストリーミングを主戦場に、R&Bとヒップホップの中間で自分の位置を作ってきた。歌えるラッパー、というより、ラップができるシンガーと言ったほうが近い時期もある。ふわっとしたメロディの上に、鋭い言葉を素っ気なく置く。その温度差が彼女の武器で、ここ数年でフィーチャリング仕事も一気に増えた。

過去のシングルやEPを追うと、失恋や自己肯定、女性としての生きづらさをテーマにした曲が多い。ただし説教にはならない。感情を抑えた歌い口で、聴き手に距離を残したまま突き刺してくる。この距離感が、80年代のロックバラードを2020年代に持ってくるときに効いてくる。

もう一方の原曲について。『翼の折れたエンジェル』は中村あゆみが1985年にリリースした楽曲で、作詞は高橋研、作曲も高橋研。バブル前夜の日本のロック・バラードとして、いまも歌謡曲・J-POPのプレイリストに定期的に顔を出す定番曲だ。都市の夜、傷ついた女性、それでも立ち上がる意志——シンプルだが強度のある構図で、時代ごとにカバーされ続けてきた。

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なぜ今、この曲だったのか

ここ数年、日本の若手アーティストによる80年代・90年代曲の再解釈が確実に増えている。海外のシティポップ再評価とは別ラインで、国内のZ世代シンガー/ラッパーが親世代の名曲を自分のトラックで塗り替える動きが目立つ。TikTokの短尺リスニング文化も後押しした。原曲を知らない若い層が、まずカバー版のサビでその曲名を知る、という逆流が普通に起きている。

『翼の折れたエンジェル』はその流れに乗せやすい曲だ。タイトル自体がイメージ喚起力を持っているし、モチーフ(傷ついた女性、都市、夜)はそのまま現代のR&B/ヒップホップ語彙と重なる。40年前の高橋研の詞世界と、LANAが普段歌っている「都市に生きる若い女性の消耗と抵抗」は、驚くほど地続きなのだ。

個人的には、この選曲センスがまず勝ちだと思ってる。名曲ならなんでもいいわけじゃない。LANAの歌い口と原曲テーマが噛み合わないと、ただの企画物カバーで終わる。この曲は、彼女がずっと歌ってきたことの延長線上に、たまたま先輩の名曲があった、というくらい自然に接続する。

サウンドの読みどころ——引き算のカバー

原曲『翼の折れたエンジェル』は、80年代らしいゲートリバーブの効いたドラム、太いエレキギター、開放的なサビのコーラス——いわゆる産業ロック/ジャパニーズ・ロックの黄金フォーマットで作られている。中村あゆみの太い声が真正面から突き抜ける、豪腕のプロダクションだ。

LANA版のアプローチはその真逆に振ってくる、というのがおそらく本作の肝だ。歌詞・写真に触れずに一般論として言えることだけを書くと、彼女のカタログはビートを引き算し、隙間で聴かせる曲が多い。ドラムは808寄り、上物は最小限、声そのものを楽器として前に出す。ロックバラードの熱を、都会のR&Bの体温に落とし直す作業になる。

この「熱を下げる」ことの効果は大きい。原曲が正面から叫んだ痛みを、LANAは口の中で噛み殺すように歌う。同じ言葉でも、叫ぶのと呟くのでは意味が変わる。80年代の「翼が折れても飛ぶ」という直球のエンパワーメントが、2020年代では「翼は折れてる、でも歩く」くらいの等身大に翻訳される。この温度差こそが、カバーが成立する理由だ。

もう一つ注目したいのは、ラップと歌の配分。LANAはメロディを崩さずに歌える人だが、途中でフロウを混ぜることで原曲にはなかったリズムの層を作れる。バラードにヒップホップの脈拍を通すことで、40年前の曲が今日のプレイリストに違和感なく並ぶ。この”間”の作り方は、彼女がラッパー出自であることの強みでもある。

カバーという行為の重み——先輩の曲を引き受けること

名曲カバーは、実はかなり難易度が高い。原曲のファン層は「本家のほうがいい」というデフォルトの評価軸を持って聴いてくる。だから中途半端に原曲へ寄せると「劣化版」と処理され、逆に離れすぎると「原曲リスペクトがない」と言われる。この二重の罠を抜けるには、カバーする側に明確な視点が要る。

LANAの場合、その視点は「同じテーマを、自分の世代の言葉と音で言い直す」というシンプルなものだと思う。中村あゆみが1985年に歌った”傷ついたエンジェル”を、2020年代の東京で似たような消耗を抱える女性の目線に置き直す。時代設定を変えずに衣装だけ着替えたのではなく、モチーフだけ受け取って自分の時代に持って帰ってくる。この距離の取り方が、カバーとして誠実なのだと思う。

ちなみに『翼の折れたエンジェル』はこれまでも複数のアーティストがカバーしてきた曲で、その意味で”手垢のついた”ナンバーではある。ただ、女性ラッパーが本気で取り組んだ例はほぼなかった。ここに新しいレイヤーを一枚足せたなら、それだけで意味がある。

LANAのキャリアの中での位置づけ

LANAはここ数年、自身のオリジナル曲でファンベースを広げてきた。ラップ的な言葉数の多さと、歌としての引きの強さを両立できる稀有なタイプで、日本の女性R&B/ヒップホップ・シーンでは指折りの存在感を持っている。オリジナルで自分の物語を積んできたアーティストが、あえて名曲カバーに挑む——このタイミング自体が、キャリアのフェーズを一段上げに来ているサインだ。

オリジナルだけを積み続けるアーティストは、コアなファンには届くが、外側の層には広がりにくい。一方で、誰もが知る名曲を経由すると、普段そのアーティストを聴かない層にも名前を届けられる。ただしその代償として「カバーの人」と印象づけられるリスクもある。だから多くのアーティストはカバーに慎重で、やるとしてもキャリアの中盤以降を選ぶ。

LANAの場合、オリジナルでの実績が既にあるうえでのカバーなので、この心配は小さい。むしろ「この人が中村あゆみを歌う」と聞いた時点で、興味を持つリスナー層は明確に広がる。40代・50代のリスナーがLANAを認知する導入曲になり得るし、逆に若い層が中村あゆみの原曲まで辿る動線も作れる。両方向に効くカバーだ。

チャートでの動きと、いま起きていること

具体的な順位や再生回数の数字は動きが早いので、ここでは細かく書かない。ただ、日本のラジオ/ストリーミング系のチャートに、LANA名義の『翼の折れたエンジェル』が食い込んでいるという事実そのものが、シーンの動きを表している。

ここ数年のチャートを俯瞰すると、ヒップホップ/R&B系アーティストの曲が普通に上位に並ぶようになった。10年前ならJ-POPの主流バラードとアイドル・アニメ主題歌でほぼ埋まっていた枠に、Creepy Nutsやちゃんみな、Awichといった名前が定着し、そこに続く形でLANAのような次の世代が浸透してきている。この地殻変動の一部として、今回のカバーヒットも読める。

もう一点、名曲カバーがチャート上位に来る現象は、ストリーミング時代の特徴でもある。プレイリスト経由で「知ってる曲」に触れやすくなり、原曲との聴き比べが1タップで完結する。この環境は、カバー曲にとって明確に追い風だ。数字は出さないが、ここ数週の動きは追う価値がある。

関連作品と、次に聴くなら

LANA版『翼の折れたエンジェル』にハマったなら、聴くべきものは大きく二方向ある。ひとつはLANA自身のオリジナル・カタログ。カバーで気になった声質と間の使い方が、自分の曲だとどう機能するかを確かめると、彼女の輪郭が一気にくっきりする。

もうひとつは、当然ながら中村あゆみの原曲。1985年のプロダクションの熱量、太い声、ゲートリバーブの効いたスネアの気持ちよさは、LANA版とはまったく別の魅力を持つ。聴き比べて初めて、カバーで何が変えられ、何が残されたかが見えてくる。この作業自体が、名曲カバーを楽しむ一番の醍醐味だと思う。

正直、この一曲でLANAを知った人には、ちょっと羨ましさすらある。ここから彼女のオリジナルを遡っていく数週間はかなり楽しい時間になるはずだ。逆に古参の中村あゆみファンにとっても、40年前の曲がいま別の声で走り出す景色は、悪くないんじゃないかと思う。翼が折れたまま歩き続ける人の歌が、世代を超えて更新されている。それだけで十分な事件だ。

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