2022年春、星野源の喜劇🛒楽天が海を越えた。TVアニメ『SPY×FAMILY』のエンディング主題歌として配信された、あの曲だ。三年経った今、改めてこの曲を聴き直すと、当時「アニメ主題歌の大ヒット」で片付けていた自分の耳がいかに雑だったかを思い知る。『喜劇』は日本のアニメ主題歌ではなく、西ロンドンのブロークンビーツに接続できる日本語ポップだった。後から公式に登場したDJ Jazzy Jeff & Kaidi Tathamリミックスが、その事実を可視化しただけの話で。
この曲の要点
- 星野源『喜劇』は2022年4月8日配信リリース。TVアニメ『SPY×FAMILY』第1クールのエンディング主題歌。
- 2022年6月27日、DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tathamによるオフィシャル・リミックス「喜劇 (feat. DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tatham)」が配信リリース。
- 原曲は台湾・韓国・香港のSpotifyバイラルソング・チャートで1位、米Spotifyバイラルでも最高5位を記録するなど、日本国外にまで広がった。
- Kaidi TathamはUKブロークンビーツ・シーンの創始者の一人。DJ Jazzy Jeffはヒップホップ史のレジェンドDJ。
三年後に聴くと、この曲の輪郭が変わる
結論から言う。今、2020年代半ばの星野源の立ち位置から『喜劇』を聴き直すと、この曲は「大ヒット曲」ではなく「後の展開を予告していた曲」として鳴りはじめる。当時はアーニャがカラフルな街を踊る映像と一緒に消費されて、耳が可愛さの方に持っていかれていた。私自身もそうだった。ED映像の残像が強すぎて、伴奏がどれだけ変なことをやっているかに気づいていなかった。
変なこと、と書いた。褒めている。イントロから鳴っているベースの跳ね方、キックとハイハットの間で細かく揺れているグルーヴ、ホーンとキーボードが上物で会話している構造。これはJ-POPの主題歌の書法ではない。むしろ2000年前後のUKブロークンビーツ、West Londonの一室で鳴っていた音の書法に近い。当時の耳は「星野源らしいポップな新曲」として受け取ったが、今の耳で聴くと「なぜこの人はED主題歌の座組でこれをやったのか」という問いの方が先に立つ。
そう。この違和感を可視化してくれたのが、二ヶ月遅れで出たリミックスだった。
基本情報を、いま一度整理する
『喜劇』は2022年4月8日に配信リリースされた。翌9日に放送開始となったTVアニメ『SPY×FAMILY』第1クールのエンディング主題歌として書き下ろされた楽曲だ。原作は集英社「少年ジャンプ+」で連載中の遠藤達哉のマンガで、放送前から国内外で注目度が高かった作品。星野源にとってはこの曲が2022年の初リリースでもあった。
そして2022年6月27日、原曲のロングセールスが続くさなかにオフィシャル・リミックス「喜劇 (feat. DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tatham)」が配信リリースされる。事の起こりは、DJ Jazzy Jeffが原曲を気に入ったことだったと発表されている。そこから彼が声をかけたのが、UKジャズ/ハウス/クロスオーバーのシーンの重鎮であるプロデューサー、Kaidi Tatham。この三者による共作というかたちで音源化された。
Kaidi Tathamという名前がピンとこない人向けに補助線を1本引いておく。Redditch出身、1993年にロンドンに移住。90年代末から2000年代初頭にかけて西ロンドンで生まれた「ブロークンビーツ」(bruk とも呼ばれる)の建築家の一人と評される、キーボード奏者/プロデューサーだ。Bugz in the Attic やそのレーベル People 周辺の仕事を追ってきた耳には馴染みが深い。ジャズの和声感覚と、細かく割ったビートを両方扱える珍しいタイプの職人である。
リミックスは何を「翻訳」したのか
本題。このリミックスの面白さは、原曲を大きく作り変えていないのに、聴き手が受け取るジャンルの座標軸をぐっとずらしてしまう点にある。多くの「海外プロデューサー・リミックス」は、原曲を四つ打ちの箱で流せる仕様に上書きしてしまう。ハウス化、EDM化、ラウンジ化。だが Kaidi Tatham と Jazzy Jeff は、原曲がもともと持っていた跳ねと和声を掘り起こす方向で手を入れた。原曲の中に埋まっていた「西ロンドンの遺伝子」を、露出させただけとも言える。
具体的にどこを聴くか。まず冒頭のドラムの入り方。原曲より一拍早く、粒立ちがはっきり出ている。次に鍵盤の右手のフレーズ。原曲ではさりげなく置かれていたコードが、リミックスではジャズの和声としてもう少し前に出てくる。そしてベースライン。原曲でもうねっていたが、リミックスではさらに符割りが細かくなり、ブロークンビーツ特有の「拍が滑る」感覚が立ち上がる。歌のメロディそのものは動かさず、その下で鳴っている土台を彫り直したのが、この仕事の職人性だ。
この翻訳の妙が、私は今も好きだ。J-POPをブラック・ミュージック文脈へ翻訳する仕事は数あるが、その多くは「日本語の歌をアメリカやイギリスのビートに乗せ直す」という上書き型になる。『喜劇』のリミックスは違う。原曲がもともと持っていた血の流れをUKの職人が確認して、増幅した。だから聴き比べても、原曲が「まがい物」に感じられない。むしろ、原曲の設計の周到さの方が浮き彫りになる。
キャリアの中での位置──「越境」の伏線として
結論から言うと、『喜劇』のこのリミックスは、その後の星野源の動きを予告していた仕事だと今なら言える。
星野源のキャリアを乱暴に区切ると、SAKEROCKや初期のソロ作でジャパニーズ・ソウル/シティポップの再定義をやっていた時期、『恋』(2016)で日本のポップスの中心に立った時期、その後に海外プロデューサーとの共作を増やしていく時期、がある。『喜劇』はその「海外プロデューサー期」のちょうど手前、あるいは入り口に位置している。当時は「アニメ主題歌としての大ヒット」の側面が前に出すぎて、この曲がキャリアのどの継ぎ目に置かれた曲なのかが見えにくかった。
三年経ってわかるのは、この曲は「大衆に届く曲であること」と「マニアックな音楽的野心を1曲に共存させること」の実験だったということだ。ED主題歌という最も大衆的な入り口を使って、西ロンドンの職人が反応するだけの深さを埋め込んだ。翌年2023年にはNetflix『LIGHTHOUSE』のEPが配信され、星野源はまた別の顔で音を出した。ヒットする曲を書ける人が、なぜヒット曲の中にこんな細かい工作をするのか。その答えは、後の彼の仕事を追いかけるほど輪郭が立ってくる。
チャートと国外での動きが意味していたこと
『喜劇』は日本国内のヒットとして語られがちだが、実際に起きたのはアジア圏を中心とした国境越えだった。台湾・韓国・香港のSpotifyバイラルソング・チャートで1位、ベトナム・タイ・マレーシア・フィリピンなどのアジア地域、さらにアメリカ・カナダ・チリ・ペルーなどの北南米エリアでも各国のバイラルチャートに入り、米Spotifyバイラルでは最高5位を記録した。MVも配信開始から早い段階で1,000万再生を超えた。
この事実の何が今から見ると重要か。アニメ『SPY×FAMILY』が同時に世界配信されたという追い風は当然ある。ただ、追い風だけで米国Spotifyバイラル5位までは行かない。バイラルというのは「みんなが自発的にシェアしたい曲」に反応する指標で、タイアップ力だけでは押し切れない。『喜劇』の場合、曲そのものの持つ普遍的な跳ねと、非英語圏のリスナーが「英語じゃないけど気持ちいい」と反応できる音のプロダクションが両輪だった。だからこそ Jazzy Jeff の耳にも引っかかった。
ここが2022年当時の日本の音楽記事があまり書けなかったポイントだと思う。「アニメの力でグローバルヒット」という文脈で処理してしまうと、その後に来たリミックスの意味が繋がらなくなる。曲自体が海外の一線級のプロデューサーの耳に留まる音を鳴らしていた。順番はそっちが先だ。
今のこのアーティストの位置から見えるもの
2020年代半ばの星野源は、シンガーソングライターという肩書きに収まらない場所にいる。Netflixのオリジナル番組の音楽を担当したり、海外の職人と組んだり、ライブ盤で新曲群を出したり、自分名義のシングルヒットに寄りかからない出し方をしている。この視点から『喜劇』を眺めると、この曲は「シングルヒット期の総仕上げ」と「マルチな出し方への移行」を一曲で兼ねていたことがわかる。
面白いのは、それを本人がインタビュー等で大々的に語らなかった点だ。あくまで『SPY×FAMILY』のED主題歌として、可愛くて多幸感のある一曲として提示した。深読みは聴き手の側に委ねられている。DJ Jazzy Jeff がリアクションしなければ、その深さは日本国内では長らく気づかれないままだったかもしれない。海外の耳が反応することで、原曲の設計思想が事後的に明るみに出た。この順序が『喜劇』のいちばん面白いところだ。
だから今、この曲を「懐かしい大ヒット曲」として棚に戻すのはもったいない。いま聴き直すと、鳴っている音の情報量が、当時思っていたよりずっと多い。
聴きどころ3点
- ベースラインの符割り──原曲もリミックスも、拍の頭に置かず、隙間に置く。UKブロークンビーツ的な「拍が滑る」快感がここに詰まっている。
- 鍵盤の和声──サビ裏で控えめに動くコードの選び方に、Kaidi Tathamが反応した理由が透けて見える。ジャズと歌謡の間に橋を架けている。
- 歌とビートの距離感──メロディはど真ん中のポップ、下は西ロンドン。この二階建てが崩れずに1曲として鳴り切っているのが、書き手と演奏陣の技術。
「どんな時間に効く曲か」という読み
ひとつ、当時からずっと考えていた読みを置いておきたい。『喜劇』は「一日が終わって、まだ終わりきらない30分」の曲として設計されている気がする。夕食の片付けが済んで、湯を沸かして、明日のことを少しだけ考える、あの中間の時間。EDに置かれた理由もそこにある。物語の余韻を保ちながら、視聴者を明日側に戻す。派手に踊らせもしないし、しんみり泣かせもしない。中間の温度で長く持つ。
この「中間の温度」がリミックスでも保たれているのが、私は嬉しい。ハウス化しすぎればクラブの曲になってしまうし、ラウンジ化しすぎればBGMに落ちる。どちらにも寄り切らずに、原曲の生活時間帯をちゃんと引き継いだ。この点でも Kaidi Tatham の判断は職人的だ。だから今夜、家でこのリミックスを流しても、生活が邪魔されない。むしろ整う気がする。
プロダクションを、もう一段だけ細かく
もう少しだけ、音の話を続けたい。『喜劇』の原曲は、リズムの土台が絶妙に古い。80年代前半のフィリー〜ブギー・ソウルの香りがするドラムの叩き方で、BPMもゆったりめに設定されている。だが上物のホーンやキーボードは現代的な整音がなされていて、耳当たりはあくまで2020年代の日本のポップスとして届く。この「古い骨格に新しい皮膚」という設計が、Kaidi Tatham の仕事と相性が良かったはずだ。彼のソロ作を聴くとわかるが、Tathamはずっと「昔のジャズやソウルの骨格を、いまのビート感で現代化する」ということをやってきた人だから。
もう一つ、ミックスの空間設計。原曲は歌がかなり手前に立っている。歌の子音が明瞭に聞こえるバランスで、リスナーの体感距離が近い。リミックスでは、歌の位置はそのままで、周りのビートと鍵盤がもう半歩前に出てくる。結果として歌とビートの距離が縮まり、ダンスミュージックとしての機能性が少し増す。踊るための曲ではないが、身体がわずかに動く。この「わずかに」の設計が、家で流したときの気持ちよさを決めている。
コード進行にも触れておく。ノン・ダイアトニックな寄り道が数箇所あって、これがジャズ耳に「おっ」と思わせるトリガーになっている。歌謡曲のフォーマットの中に、こっそりジャズの語彙が仕込まれている。派手ではない。派手にやれば「小難しい曲」に落ちる。派手にやらないから、大衆の耳を通り抜けて、聴き込める人の耳には引っかかる。この匙加減が『喜劇』という曲のいちばんの発明だと、今の私は思っている。
「なぜ日本の曲が海外に届いたか」を、もう一度
2020年代前半、日本の曲が海外バイラルに乗る現象がぽつぽつ起き始めた。多くはアニメ・ゲームなどのビジュアル文脈が牽引した。『喜劇』もその文脈で語られがちだが、リミックスの成立過程を知っていると、少し別の見方ができる。Jazzy Jeff が反応したのは、映像ではなく音の方だ。彼は原曲を「気に入った」と伝えられている。そこから Kaidi Tatham を引き入れた。この初動には、アニメの追い風は関係ない。純粋に、耳が反応した。
ここに、日本のポップスが海外に届くときのもうひとつの経路がある。映像タイアップに乗る大衆的な届き方と、プロデューサー・DJの耳を経由する届き方。前者は数字で見えやすいが、後者は事後的な仕事──リミックスや共作──というかたちで表れる。『喜劇』は珍しく、両方の経路が同時に走った例だ。だから2022年時点ではその意味が見えにくかった。今から見ると、両方あったから曲が長生きしている。
そしてもうひとつ言えるのは、日本語で歌われている曲が海外の職人の耳に留まるためには、「翻訳しても残るもの」が音の中に必要だということだ。『喜劇』の場合、それはリズムと和声だった。歌詞の意味が分からなくても、下で鳴っている音楽の設計が伝わる。この当たり前だが難しいことを、この曲は達成していた。
三年後の耳が、当時の自分に言いたいこと
正直に書く。2022年当時、私はこの曲を「星野源が主題歌でまた当てた」くらいの温度でしか聴いていなかった。ヒットチャートを追っている音楽ライターとして最低の耳だったと思う。リミックスが出て初めて、原曲の下で何が起きていたかに気づいた。恥ずかしい話だが、これは記録として残しておきたい。曲の本当の価値は、しばしば公式のリアクションが来て初めて可視化される。
だから今、この記事を書きながら思うのは、大ヒット中の曲を評価するのは実は難しいということだ。数字と映像とタイアップの情報量が多すぎて、音そのものに集中しにくい。数年経って情報の熱が下がってから聴くと、ようやく音が前に出てくる。『喜劇』はまさにその段階に入っている曲で、いま改めて聴くのに向いている。
もう一つ、今の位置から見えることを書いておきたい。『喜劇』以降の星野源は、自分名義のシングルで大ヒットを狙う出し方から、少し距離を置いている印象がある。Netflix『LIGHTHOUSE』のライブセッションEPをはじめ、企画やコラボの中で音を鳴らす場面が増えた。『喜劇』は、そうしたフェーズ転換の直前に置かれた「大衆的な出し方の最後の一発」であり、同時に「その後の職人的な仕事への序章」だった、と読める。両方が同居しているから、この曲は聴き飽きない。
入門動線
『喜劇 (feat. DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tatham)』から広げるなら、まず Kaidi Tatham のソロ作を1枚聴いてみてほしい。西ロンドンのブロークンビーツがどういう質感の音楽なのか、身体で理解できる。その耳で『喜劇』のリミックスに戻ると、Tathamがどこを触ってどこを残したかが立体的に見える。星野源側からは、彼が海外の職人と組んで生まれた仕事群、そして2023年のLIGHTHOUSE🛒楽天EPを聴くと、『喜劇』が線として繋がる位置にいたことが確認できる。
残しておきたい問い
最後に一つだけ、答えの出ていない問いを置いて終わりたい。『喜劇』の原曲とリミックス、あなたはどちらを「本編」だと感じるだろうか。私はいまだに揺れていて、その日の気分によって答えが変わる。朝は原曲、夜はリミックス、みたいな乱暴な使い分けをしていた時期もある。この曲は、聴き手の生活のどこに置かれるかで顔が変わる曲だ。だからきっと、これを読んでいるあなたの答えは、私の答えとは違うところにある。
大ヒット曲は、時間が経つほど「あの時代の記号」になっていくものだけれど、『喜劇』はそうならなかった。三年経っても、鳴っている音の情報量が減らない。むしろ増えている気さえする。それは、この曲が「一過性のヒットのために書かれた曲」ではなく、「長く鳴らすことを前提に書かれた曲」だったからだと、今の位置からははっきりそう思う。

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