チャートを眺めていて、指が止まる曲がたまにある。派手なタイアップでも巨大なフェス出演でもなく、タイトルの温度だけで一度クリックさせてしまうタイプ。辻井くぬえのお金がないから🛒楽天は、まさにその種類の一曲だと思ってます。生活の輪郭がそのままタイトルに滲んでいる。だからスクロールが止まる。
この曲の要点
- 辻井くぬえは2002年生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身のソロアーティスト。楽曲制作を中心に、映像・写真・プログラミングまで自作するマルチ表現型の作家。
- 2022年に楽曲『Labradorescence』の完成をきっかけに本格的な活動を開始し、2023年にはEP『月の川』を発表している。
- 作風はシューゲイズ、ロック、シンセウェーブ、ダリアコア、ハイパーポップなど複数ジャンルをJ-POPに落とし込むハイブリッド型。
- 「お金がないから」は、その延長線上にある宅録感覚の楽曲。タイトルが日常語であることが、Z世代の生活実感と直結している。
まず、この曲がなぜ引っかかるのか
引っかかる理由は、タイトルの日常性です。「お金がないから」——この五文字は、SNSのタイムラインで一日に何度も目にする言い回しに近い。飲みに行けない、旅行に行けない、推し活を諦めた、そういう会話の口実として使われる語彙。それがそのまま曲名になっている時点で、聴く前から生活の一場面に接続してしまう。
私自身、深夜にストリーミングを漁っていて、この手の「タイトルで撃たれる」曲は年に数曲しか出会わない。派手なプロモーションで届く曲より、こういう地味な引力の曲の方が結局リピートに残る、という感覚がある。しかも辻井くぬえの場合、タイトルの生活感とサウンドの実験性のギャップが独特で、開いて再生した瞬間に想像の斜め上に連れて行かれる。そこがこの人の中毒性だと思ってます。
もうひとつ、単純な話。「お金の話をポップスの中心に置く」曲は日本語圏でそこまで多くない。恋愛、季節、青春、別れ——王道の題材に比べると、貨幣の話は歌詞にしにくい。しにくいから、やった時点で一段目立つ。
辻井くぬえというアーティストの立ち位置
プロフィールの事実だけで押さえておきたい。辻井くぬえ(Tsujii Qunuee)は2002年生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身のソロアーティスト。楽曲制作を中心に、映像・写真・プログラミングまで自分の手でやる、いわゆる「一人称の制作環境」を持つ作家です。2022年に『Labradorescence』の完成をきっかけに本格始動、2023年にはEP『月の川』を出している。
ここで大事なのは、彼女がバンドではなく単独名義であること。そしてジャケットもMVも自分の領域として引き受けている、いわゆるベッドルーム世代のソロという枠に近い。DAW一台で音を作り、フォトショップで絵を組み、動画も自分で編集する——2020年代に入ってから急増した、この「全部自分」型のZ世代クリエイターの一人という理解でいいと思う。
茅ヶ崎という土地の記号性も少しだけ効いている。湘南の陽の匂いのある地名から、こういう内省的でジャンル横断的な音楽が出てくること自体、時代の変わり目を感じさせる。かつての湘南サウンドの外側から、まったく別種の音が生まれている。この位置ずれが、そのまま彼女の音楽の距離感になっている気がする。
「お金がないから」のサウンドをどう聴くか
結論から言うと、この曲は「タイトルの重さ」と「音の軽さ」の落差で聴かせるタイプの作品だと感じてます。ここは私の一次的な聴取感想であって、公式ステートメントの引用ではないことを前置きしておく。
辻井くぬえの過去作を並べて聴くと、彼女の設計思想が見えてくる。EP『月の川』にはシューゲイズ、ロック、シンセウェーブ、ダリアコア、ハイパーポップといった複数ジャンルが同居している。この幅の中で、彼女はいつも「重い題材を軽い質感で運ぶ」か「軽い題材を厚い音像で膨らませる」か、どちらかを選ぶ。タイトルに生活の重さを掲げた楽曲では、前者の方針を取る可能性が高い。
宅録前提のプロダクションで気になるのは、ボーカル処理の距離感です。マイクとの距離をあえて近づけて、息の混ざる質感を残すのか、それとも思いきりリバーブに沈めて、部屋鳴りごと聴かせるのか。辻井くぬえは後者に寄せがちで、声を空間の中に浮かべる作家だと感じている。生々しい歌唱をあえて霞に包むことで、生活の痛みを直接ぶつけない構造になる。この間接性が、彼女の作品を「陰鬱にならないZ世代の憂鬱ポップ」として成立させている。
あと、シンセの選び方。プリセットそのままではなく、明らかに一度歪ませてから使っているような音が多い。ハイパーポップ経由の感覚で、ローファイと過剰なブライトネスが同居する。ここを聴きどころにすると、この曲の細部が急に立ち上がってくる。
「お金の歌」というテーマの系譜
お金を歌の中心に据える曲は、実は世代を横断して存在してきた。ただ、それぞれ温度が違う。バブル期には成り上がりの熱量として、90年代のオルタナでは資本主義への皮肉として、2010年代のヒップホップではフレックス(自慢)の道具として、お金は歌に登場してきた。
2020年代、Z世代の日本語ポップスに現れる「お金の話」は、この系譜のどれとも少しずれる。皮肉でもなく自慢でもなく、もっと生活のグレーな部分。家賃、サブスク、光熱費、推しの現場、コンビニのおにぎり——固有の額面が並ぶわけでもないのに、明らかに家計簿の話をしている、あの感じ。辻井くぬえの「お金がないから」も、この系譜に位置づけて聴くと解像度が上がる。
この題材の面白さは、共感の入口が異常に広いこと。恋愛の曲は、恋愛をしていない人には少し遠い。お金の話は、日本で暮らしている多くの人にとって、他人事にしにくい。ここに刺さる人は多い。だから、こういうタイトルの曲は口コミで広がりやすい構造がある。
キャリア上の位置づけ——実験の延長として
キャリアの流れで捉えると、この曲は「実験期の到達点」と「一般層への接近」の間に立っている、と読んでいます。ここも私の解釈。
2022年の『Labradorescence』でスタートを切り、翌2023年のEP『月の川』で複数ジャンルの引き出しを一気に見せた辻井くぬえ。その後の楽曲群——「PILOT」「ねえ、起きて」「瑞花」「We was alive」など——を見ても、明らかに一曲ごとに違うサウンドを試している。この振り幅は、普通のシンガーソングライターにはない。DAWとプログラミングを扱える作家だからできる芸当で、彼女はそれを毎回変えることで自分の輪郭を作っている。
「お金がないから」は、その実験の途上にありながら、タイトルという「入口」を一気に一般化した曲だと思う。音は攻めていても、タイトルで人を引ける。この二段構えは、インディペンデントな作家がリスナー層を広げていく上での王道パターンで、彼女は自然にそれを踏んでいるように見える。
チャートでの動きと、その意味
チャート面での具体的な順位や指標は、本稿では扱わない(各種チャートの公式データをご確認ください)。ただ、こういう「大手事務所色の薄い、宅録寄りのインディー作家」がチャートに顔を出してくる現象自体が、2020年代の日本の音楽リスニングの構造変化を物語っている。
ストリーミング以降、リスナーは「レーベルの規模」ではなく「プレイリストの脈絡」で曲を発見するようになった。TikTokやYouTube Shortsで15秒の抜粋がバズれば、そこから本編に飛ぶ。マス媒体の露出がなくても、曲そのものの引力で人が集まる。辻井くぬえのようなソロ作家がチャート圏内に姿を見せることは、この構造変化の当たり前の帰結なのだと思ってます。
もう一点、タイトルによる検索動線の強さも見逃せない。「お金がないから」というフレーズは、そのままGoogle検索やSNS検索の常用句と重なる。曲名がSEO的にも強い。狙ってつけたかは分からないけれど、結果として、曲名の日常性が発見される確率を押し上げている構造がある。
タイトルの5文字を音楽ライター視点で分解する
「お金がないから」——助詞「から」で終わる曲名は、日本語ポップスの中でも実は少数派です。名詞止めか、体言+助詞のうち「の」「よ」「ね」で終わる曲名が圧倒的に多い。それが「〜から」で終わっているということは、この曲名自体が「途中で切れている文」だという設計になる。原因は言ったけれど、結果はまだ言っていない。この宙吊り感が、聴く前の期待値を作る。
この設計は偶然ではないと思ってます。曲名が「未完の文」であることによって、リスナーは自然と続きを補完しようとする。「お金がないから、何?」——飲みに行けないのか、諦めたのか、そういう自分を笑うのか。この余白の作り方は、宅録世代のシンガーソングライターに共通する感覚で、90年代のJ-POPが「言い切る」ことで力を出していたのとは真逆の話法です。断言せず、途中で置く。
Z世代宅録の作法と、この曲
Z世代の宅録シンガーソングライターに共通する作法として、私が勝手に整理しているものが三つある。一つ、部屋の空気感を隠さないボーカル録音。二つ、ジャンル横断を「越境」ではなく「初期設定」として扱う姿勢。三つ、感情の断言を避け、断片で置くリリック構造。
辻井くぬえは、この三つを教科書のように押さえつつ、映像や写真まで自分で組み上げる分だけ世界観の統一度が高い。曲だけ聴いても、MVを見ても、SNSのビジュアルを見ても、同じ人の指紋が残っている。この統一感は、外注前提の商業作品ではなかなか出せない質感で、Z世代の一人ブランド化の一例として観察する価値がある。
「お金がないから」は、この総合表現体の中の一曲として置かれた時に、より重みが出る。単体で聴いても成立する曲だけれど、彼女のInstagramやTikTokの投稿を並行して見ながら聴くと、曲の生活感が二倍になる。ここが、宅録世代の作品の楽しみ方だと思ってます。
プロダクションの細部——DAW世代のリアリティ
制作環境の話も少し。辻井くぬえのように「全部自分」でやる作家の音を聴くとき、私はいつもキックとベースの帯域処理に耳を向けます。ミックスエンジニアを外注しないタイプの宅録作家は、往々にしてローエンドの整理に個性が出る。派手に鳴らすか、あえて薄くしてサブベースだけで支えるか、そもそも生ドラム的な質感を捨てるか。この選択が、その作家の「部屋」の広さを決める。
もう一つ、コーラスワーク。宅録の強みは、ボーカルを何十トラックでも重ねられること。逆に弱みは、重ねすぎると人工的になる。辻井くぬえは、その匙加減が上手いタイプに聴こえる。声のダブリングを厚く重ねる曲もあれば、ソロで抜き切る曲もあり、一曲の中でも場面で切り替える。この使い分けが、彼女のトラックを単調にさせない要素だと思ってます。
そう。宅録は、「一人で完結できる」という自由と、「一人で完結してしまう」という閉塞、その両方を抱えている。この両義性をどう乗り越えるかは、Z世代のソロ作家全員の課題で、辻井くぬえの場合はジャンル横断という戦略でその閉塞を回避しているように見える。毎回別のジャンルを試すことで、「部屋」の広さそのものを更新している。
聴く前・聴いた後——曲との付き合い方の提案
実用的な話をひとつ。この曲は、朝の通勤中に聴くよりも、夜の帰り道か、部屋で作業しながら聴く方が体に馴染む気がしている。私自身、この手の宅録ポップスは、電車の中よりイヤホンで作業BGMにした時の方が沁みる。生活の中で鳴らして、生活の音と混ざって成立する曲だから。
もうひとつ提案するなら、一度スピーカーで、部屋の空気を通して聴いてみてほしい。ヘッドホンだと近すぎて聴こえる細部が、部屋のスピーカーだと逆に「その場に音が置かれた」感覚で立ち上がる。宅録の作品は、実は宅で聴くのが一番相性がいい。当たり前の話だけれど、案外みんなヘッドホンで完結させてしまう。
聴きどころ
聴きどころ3点
- タイトルの日常語感と、実験的なサウンドプロダクションの落差。「重い題材」を「軽い音」で運ぶ設計を意識して聴くと、曲の狙いが見えやすい。
- ボーカルと空間の距離感。マイキングとリバーブ処理の作法は、彼女の他作と比較すると個性が立ちやすいポイント。
- シンセ音色の選び方。プリセットをそのまま使わない、一度加工してから乗せるハイパーポップ以降の質感が随所にある。
まずこの作品から聴く
- 月の川 — 作風の全引き出しがわかるEP
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入門するなら、この順で
入門動線
辻井くぬえに初めて触れるなら、「お金がないから」でタイトルの引力にまず撃たれておいて、次に2023年のEP『月の川』を通しで聴くのが一番わかりやすい。EPの中で複数ジャンルの引き出しを一気に浴びると、「お金がないから」がその引き出しのどこから取り出された曲なのかが立体的に見えてくる。
もう一曲挙げるなら「PILOT」。方向性のコントラストが分かりやすく、辻井くぬえの振り幅を短時間で把握できる。この二曲+一枚を押さえておけば、次の新曲が出た時に「今回はこっち側に振ったな」と読める耳ができる。
「非公認」で残るポップスとは何か
最後にひとつ、書いておきたい話。辻井くぬえのような作家は、いわゆる「認められる」ルートの外側で音楽をやっている。テレビの歌番組にはあまり呼ばれないし、大手事務所のプッシュもない。それでも曲は残る。ストリーミングのアルゴリズムと、リスナーの口伝えで、時間をかけて広がっていく。
この「非公認のまま残るポップス」の存在感は、2020年代以降、明らかに増している。私自身、ここ数年でリピートしている日本語ポップスの半分以上が、大手の広告予算がついていない作家のものだったりする。テレビよりSpotifyのプレイリスト、CDよりTikTokの15秒抜粋、そういう変化の中で、辻井くぬえは真ん中を通っている作家のひとりだと感じてます。
「お金がないから」という曲名を、そういう文脈で見直すと、また違う意味が浮かび上がる。作る側にも、聴く側にも、お金がない。それでも音楽は鳴る。この構造自体が、この曲のもう一枚の背景になっている、と思っている。
まとめ——生活の言葉が、そのまま曲名になる時代に
「お金がないから」というタイトルを、ポップスの中心に置ける作家が現れたこと自体、時代の空気だと思ってます。2020年代の日本語ポップスは、恋愛の外側にある生活の重さを、少しずつ歌えるようになってきた。辻井くぬえはその流れの中で、宅録・ジャンル横断・自作ビジュアルという三拍子で自分の位置を確保している作家です。
この曲を聴き終えた後、もう一度タイトルに戻ってみてほしい。同じ五文字が、聴く前と聴いた後で少し違って見える。そこまで持っていくのが、彼女の作品の狙いだと感じてます。
※本記事は非公式の楽曲解説であり、放送番組や公式チャートとの提携関係はありません。リリース情報・チャート順位の詳細は各公式サイトをご確認ください。


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