星野源『知らない』を今聴き直す 沈黙のシングルという初期地図

夜の川に架かる橋と静かな街灯、水面に映る揺れる光の抽象イメージ 楽曲

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星野 源の「知らない」は、彼のシングル群の中でもとりわけ静かに、そして少し不器用に佇んでいる曲だ。派手なヒットでもなければ、ライブの定番でもない。それでも十数年を経た今、この一曲は星野 源というアーティストの座標を測るときの、ひそかな基準点になっている。

2012年11月にリリースされた通算4作目のシングル知らない🛒楽天は、翌年のアルバムStranger🛒楽天へと繋がっていく1曲で、当時のインタビューでも本人が言葉少なだった作品として知られる。今の耳で聴き直すと、ここには後の「恋」や「アイデア」に繋がる何かの萌芽と、それ以前の彼にしかなかった手触りの両方が同居している。この曲を”当時”の紹介ではなく、いまの座標から後ろ向きに読むと、見え方がだいぶ変わる。

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この曲の要点

  • 星野 源の通算4作目シングルとして2012年11月28日にリリース。
  • 翌2013年5月発表の3rdアルバム『Stranger』に収録。前作「夢の外へ」に続くシングル。
  • リリース直後の2012年12月、星野本人がくも膜下出血で緊急手術・活動休止に入った時期の作品。
  • ミュージックビデオは隅田川に架かる相生橋周辺で撮影された。
  • ライブでの披露回数が極端に少なく、映像作品では『STRANGER IN BUDOKAN』(2014年)での演奏が知られる。

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いま振り返るとわかる「Stranger」直前という位置

「知らない」の意味は、リリース時点よりも、その後の数ヶ月・数年で変わってしまった曲だと思っている。何しろ発売から3週間ほど後、星野 源はくも膜下出血で倒れ、活動休止に入る。当時のリスナーの多くはリアルタイムで「新曲を追ううちに歌い手が病室に運ばれた」という体験をしていて、この曲は嫌でもその記憶とセットになった。

ただ、これを「病気の予感が漂う曲」と読むのは、たぶん違う。曲そのものは病を前提に書かれていない。書いた時点の星野 源は、まだ倒れていない星野 源だ。それでも、今の耳で聴くと、後の彼が抱え込むことになる沈黙や不在の感触が、この曲の中にはすでに小さく用意されていたように感じる。書き手の意図とは別のところで、時間が意味を書き足していった曲。そう。そういう作品は稀にある。

『Stranger』というアルバム名が、いま聴くとやたら重い。異邦人、他人、知らない誰か。表題曲の題名がそのままアルバムの主題を先取りしていたことに、当時はそこまで気づかなかった、というのが個人的な記憶だ。10代のときに買って、10年後にジャケットを引っぱり出してくるようなタイプの曲がある。この曲はそちら側にある気がする。

作風の読みどころ ― 引き算のプロダクション

音の話をすると、「知らない」は当時の星野 源のシングルとしてはかなり抑制的な作りをしている。「くだらないの中に」や「夢の外へ」が横ノリの気持ちよさで押してくるのに対して、この曲は音数を積まない。ギターのアルペジオ、控えめなリズム、ピアノとストリングス。派手なフィルインもフックのあるホーンセクションもない。ミックスの奥行きだけで、聴き手の姿勢を少し前かがみにさせるタイプの音だ。

面白いのは、この引き算のプロダクションが、後年の「Family Song」や「Same Thing」で戻ってくるところ。派手なヒットを何本も出したあと、彼は結局この静けさに帰ってくる。「知らない」を”通過点”ではなく”原点のひとつ”として並べ直すと、キャリアの地図が少しだけ書き換わる。

ボーカルの録り方も後の彼と地続きで、囁くようなミックスの近さがある。マイクとの距離感で情報量を作るタイプの録音。イントロで空気の湿度が変わるような入り方をしていて、これはこの時期の星野 源にしかできなかった手触りだ。今のもう少し伸びやかで、開かれた声とは違う。少しだけ、こもっている。そのこもりが、この曲の体温を作っている。

ライブで歌われない曲、という事実

ファンの間ではよく知られた話だが、「知らない」はライブでの演奏回数が極端に少ない。2014年の『STRANGER IN BUDOKAN』では披露されているが、その後のツアーでは基本的にセットリストに入らない。2017年の『Continues』ツアーでも、初期シングルを振り返るコーナーで、この曲だけがそっと飛ばされたことがある。

これを「本人にとって重い曲だからだ」と読むのは簡単だ。ただ、もう少し踏み込んで考えたい。星野 源はそもそも、シングルであっても頻繁にライブから外す曲がある人だ。「フィルム」も時期によっては歌わない。彼のライブは”ヒットの再現”ではなく”いまの自分が歌える曲”で組む思想で作られていて、「知らない」はそこの網目から自然にこぼれ落ちる位置にあるのだと思う。

ただ、そのぶん、CDで、あるいは配信で、ひとりで聴くための曲としてこの作品はしっかり残っている。ライブという公共の場に出てこない曲は、聴き手それぞれの部屋に固有の意味で置かれていく。それが結果として、この曲を長持ちさせている気がする。

今のこのアーティストの位置から見る「知らない」

ここが本題。2020年代の星野 源は、「創造」「不思議」「異世界混合大舞踏会」など、明らかにダンスミュージックとポップスの越境を意識したフェーズにいる。ビートは打ち込みの比重が上がり、コード感は色鮮やかで、リズムは横ノリからさらに複雑な方向に振れている。この地点から2012年の「知らない」を見ると、なにが浮かび上がるか。

ひとつは、”歌うためのメロディ”の骨組みが変わっていないという事実。装飾が全部剥がれた状態のメロディだけを取り出したとき、この曲と「Family Song」と「創造」のあいだには、意外なほど直線が引ける。転調の癖、譜割りの重心、上下の跳躍を控えるフレーズ設計。派手な曲を書くようになっても、この人の書き癖は「知らない」の時点でほぼ完成している。

もうひとつは、”沈黙の扱い方”だ。近年のポップな星野 源の曲にも、実は必ず小さな余白がある。フックとフックのあいだに、音が引く瞬間がある。この余白の作り方が、「知らない」ではもっと露骨に、曲全体の構造として使われている。派手さの奥に隠れている彼の癖を、剥き出しで見せてくれる曲。そう位置づけると、この作品はキャリアの初期地図の中でかなり重要なマーカーになる。

聴きどころ3点

  • イントロの湿度 ・ アルペジオが立ち上がるまでの数秒、空気が入れ替わる感じ。ヘッドフォンで聴くと、部屋の温度が半歩下がる。
  • Bメロからサビへの受け渡し ・ 盛り上げ切らない。ぐっと押し込まず、一段だけ上がる。この抑制が後年のバラードに繋がっている。
  • アウトロの引き際 ・ 余韻を長く伸ばさない。ストンと終わる。歌の重さを、余韻の演出で盛らない潔さ。

ひとりで聴く時間の設計

この曲、通勤中よりも、家に着いてからの1曲として設計されている気がする。動いている時間に効くタイプの曲ではなく、動きを止めたときに輪郭が立ち上がる。夜、部屋の照明を一段落として、他の作業を止めてから流したときに、この曲の音数の少なさが初めて”意味”になる。

ライブで聴く機会がほぼないぶん、この曲との付き合い方は完全に私的な領域に閉じている。だからこそ、聴くほうの人生の側の出来事によって、意味が上書きされていく。数年ぶりに再生したとき、記憶の中の音より少しだけ低く聞こえたら、それはたぶんスピーカーのせいじゃない。

キャリアの中での意味の変化

星野 源のディスコグラフィを一本の川に喩えるなら、「知らない」はその流れが一度細くなる地点に立っている。次のアルバム『Stranger』を経て、彼は「SUN」「恋」「アイデア」でポップの本流に躍り出る。だからこの曲を、”ブレイク前夜の作品”として消費することも可能だ。

ただ、いま並べ直してみると、そういう時系列の物語よりも、この曲は「星野 源が派手にならなかったバージョンの未来」を一瞬だけ見せてくれる作品として面白い。もし彼が国民的ヒットを打たず、細く長く歌う人になっていたとしても、この方向で通用したはずだ、と思わせる完成度。派手な曲を書けるようになった人が、あえて派手にしなかったのではなく、もともと派手にしないほうの引き出しからひとつ出してきた。

そう考えると、「異世界混合大舞踏会」や「光の跡」を経由してこの曲に戻ってきたときの手応えは、初回リリース時とはまったく別物になる。派手さの反対側の技術で書かれた曲を、派手さを知り尽くした耳で聴き直す。それができるのは、彼が長く歌い続けている、というただ一点のおかげでもある。

MVという別のレイヤー

ミュージックビデオが隅田川の相生橋周辺で撮られていることも、いま振り返るとちょっと象徴的だ。彼のMVには当時から山岸聖太監督が関わっており、映像作品としての完成度は初期からかなり高い。星野 源はソロデビュー初期の段階で、”MVをちゃんと作品として作る人”のポジションを確立していた。後年の「恋」「Pop Virus」「Family Song」の映像作品的な強度に至る前段が、この時期のシングル群に敷かれている。

MVのロケ地を巡礼するファンが今もいる、というのは、単なる懐古じゃなくて、この曲がいまだに”現在形の作品”として稼働している証拠だと思う。10年以上前のミュージックビデオの橋に、令和のファンが立っている。そういう時間の折り畳まれ方をする曲は、そう多くない。

2012年という時代の音の中で

もうひとつ、いま振り返ると面白いのが、この曲が置かれていた2012年のJ-POPの状況だ。あの年はAKB48「真夏のSounds good !」やGReeeeN、YUIといった名前がチャートの上位を賑わせていた時期で、シンガーソングライターがひとりでこの音数の少なさを提示するのは、それなりに勇気のいる選択だったはずだ。当時のオリコンやCDショップの棚に並んだ本作は、周辺の音圧の中でむしろ音量を下げて聴かせる作品として、独特のポジションにあった。

星野 源のバックバンドSAKEROCKもまだ現役で、彼のソロは”バンドを持っている人のソロ”という副題つきで受け止められていた時期だ。だから当時のリスナーの一部は、「知らない」の静けさをSAKEROCKのインスト感覚の延長で聴いていた気がする。歌モノなのに、どこかインストのような余白の設計。この読み方は、いま聴き直しても意外と説得力がある。

2015年のSAKEROCK解散、2016年の「恋」による国民的ヒット、2020年代のダンスミュージックへの傾斜。彼のキャリアはそこから怒涛の折れ線を描いていくが、その全部の起点にあるバンドの息遣いが、この曲にはまだ生々しく残っている。あれから10年以上、彼は編成も文法も更新し続けているのに、「知らない」を再生するとその全部の”手前”に一瞬で戻される。時間の巻き戻しボタンとして機能する曲、と言ってもいい。

タイトルが担う機能

タイトルの話も少しだけ。「知らない」という三文字は、そのまま読むと拒絶の言葉だ。でも歌のタイトルとして提示されると、拒絶の意味だけでは受け取られない。誰かのことを知らない、自分のことを知らない、これから起きることを知らない、いま聴いているあなたのことを知らない。ひとつのタイトルが、いくつかの読みの入口を同時に開いている。

後の星野 源が付ける曲名は、「恋」「Family Song」「不思議」「創造」「光の跡」と、どんどんシンプルで抽象的な方向に振れていく。この短いタイトルの流儀の起点も、実は「知らない」あたりにある気がしている。ワンワード、含みの多さ、複数の入口。彼のタイトルの付け方の癖を、この曲がすでに先取りしている。

チャートでの位置づけと”数字の外側”

「知らない」はオリコン初登場9位を記録した、と当時報道されている(数字の詳細は公式情報を参照)。ただ、この曲について語るときに順位を先に持ってくるのは、たぶん向いていない。星野 源のシングルとしては前作「夢の外へ」の勢いを継ぐ位置だったが、この曲の価値は初動よりも耐用年数のほうにある。

10年以上経ってサブスクで再生される回数、ファンのプレイリストに静かに置かれ続ける確率、新規リスナーが『Stranger』を通して掘り当てる頻度。そういう”長い時間で測る数字”のほうが、この曲には合っている。初動の順位でこの曲を評価するのは、たぶん、この作品にいちばん似合わない読み方だ。

次にどう聴くか、どこまで広げるか

「知らない」から入る人には、まずシングルの流れをそのまま追ってほしい。「フィルム」「夢の外へ」「知らない」の3枚は、『Stranger』というアルバムの内側に降りていくための3つの扉のような役割をしている。3曲を続けて聴くと、この時期の星野 源が何を試していたのかが、輪郭で見えてくる。

そして『Stranger』を通しで聴き終えたあと、あえて時代を飛ばして近作『Gen』に飛ぶ、という聴き方も面白い。派手な代表曲を経由せずに、静かな入口から静かな出口へと繋いでみる。星野 源のポップな側面ではなく、通奏低音の側を掴む聴き方だ。

入門動線

次の1曲: 同じ『Stranger』収録の「ある車掌」。テンポも配置もまったく違うのに、「知らない」と同じ引き算の思想で書かれている。並べて聴くと共通点が浮かび上がる。
関連1枚: アルバム『Stranger』本体。シングル3曲を含め、この時期の星野 源の手つきをまとめて掴める1枚。

もうひとつ、この曲のあとの数年で明らかになった補助線がある。星野 源はエッセイの書き手としても継続的に活動していて、『いのちの車窓から』などの散文で、自分の作品を第三者的に語り直す機会を何度も持ってきた。あの散文の距離感、自分の曲や体験を、少しだけ他人事として書く手つき、は、実はこの曲のボーカルの立ち位置とかなり似ている。歌の中の自分と、それを歌っている自分の距離。「知らない」はその距離の取り方の、音楽側の答えでもあった気がする。

ファンダムに委ねられた余白

最後に、この曲についてはひとつ、ずっと解釈が分かれている論点がある。「知らない」を、あくまで作家性の話として静かに聴くのか。それとも、書かれた時期・その後の休止・戻ってきてからの活動、全部込みで”物語”として聴くのか。どちらが正しいという話ではない。

個人的には、この曲を”物語”の側に引き寄せすぎない聴き方を選びたい、と思っている。書き手のその後の出来事で意味を上書きしすぎると、曲そのものが持っていた最初の輪郭が見えなくなるからだ。でも、そう思いながらも、10年後にこの曲を再生する自分のほうが、明らかに勝手に物語を足していることも、わかっている。

その揺らぎを、聴くほうが引き受けるところまで含めて、この曲は完成している。歌い手が答えを出さない曲。聴き手が答えを出さないまま長く手元に置ける曲。星野 源のカタログの中で、そういう役割を担い続けている数少ない一曲だと思ってます。

まずこの作品から聴く

  • Stranger — 本曲を含むアルバム本体
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  • ある車掌 — 引き算の思想が共通する姉妹曲
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  • 夢の外へ — 直前シングル・時期の空気
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  • Gen — 静けさの現在地を測る近作
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