藤井風の新曲HACHIKŌ🛒楽天が、思っていたよりずっと遠くまで届いている。渋谷駅前の銅像で世界に知られたあの犬の名前を、韓国のヒットメイカーとカナダの作家、そしてアメリカのビートメイカーが囲んで、ダンスチューンに仕立て直した。日本語のタイトルなのに全編英語詞、というねじれ方が面白い。
この曲の要点
- 「HACHIKŌ」は藤井風の3rdアルバム『Prema』のリード曲で、2025年6月13日に先行配信された。
- アルバム『Prema』本体は2025年9月5日リリース、全曲英語詞・9曲構成。
- 共作にTobias Jesso Jr.、プロデュースにSir Nolan(Nolan Lambroza)と韓国のプロデューサー250(イオゴン)が名を連ねる。
- 2022年4月にロサンゼルスで行われたコライトセッションが出発点。ビート先行で作られた、藤井にとって新しい制作プロセスの曲。
- 忠犬ハチ公のモチーフを軸にした、忠誠心とスピリチュアルな別れをテーマにしたダンスナンバー。
結論から言うと、これは”藤井風の世界仕様アップデート”だ
いままでの藤井風とは違う。ピアノ弾き語りの繊細な質感でもなく、〈死ぬのがいいわ〉的なミドルテンポの黒っぽいR&Bでもない。まずビートが走る。これまでの藤井の楽曲とは違うベクトルが掲示されたダンスチューンだと、Mikikiのレビューがはっきり書いていた通り、聴いた瞬間の第一印象は「あ、踊る曲だ」だ。
そう。踊る藤井風。ここが分岐点だと思ってる。
2020年の「何なんw」で世に出て、2022年の2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』でJ-POPの外側に片足を出して、そして2025年、3枚目でついに両足とも国外の制作コミュニティに乗せた——という筋書きが、この曲を聴くと立ち上がってくる。日本語タイトル、英語詞、韓国人プロデューサー、カナダ人ソングライター、アメリカ人ビートメイカー。5つの国籍が一曲に同居している。
曲の基本情報:Prema先行シングルとしての位置
「HACHIKŌ」は3rdアルバム『Prema』のリード曲だ。藤井風の3枚目のアルバム「Prema」が9月5日にCDとアナログ盤でリリースされることに合わせて、6月13日に先行配信された。アルバムタイトルの『Prema(プレマ)』はサンスクリット語で「愛」を意味する、と各媒体が伝えている。
特筆すべきは、全曲英語詞による3枚目のスタジオアルバム『Prema』という点。2ndまでの藤井風は岡山弁を含む日本語のニュアンスが武器だった。それを一旦手放して英語で書き直した——ここが今回のプロジェクトの肝で、「HACHIKŌ」はその方針を最初に世に問うカードとして選ばれた。リード曲の役目としてはかなり重い。
アルバムは9曲、39分のコンパクトな作り。Republic Records / UNIVERSAL SIGMA / HEHN RECORDSからのリリースで、ここに米レーベルの名が入っていることも見逃せない。ちなみに「HACHIKŌ」の「Ō」はマクロン付きが正式表記で、これがそのままローマ字での日本文化紹介として機能している。
制作の起点:2022年4月、LAでの一言
この曲の生まれた瞬間の話が、藤井本人のコメントとして各媒体に載っていて、これが妙に良い。きっかけはちょっとした遊び心だった。2022年4月、LAでのコライトセッションの際、Tobias Jesso, Jr.が、日本語の入った曲をやってみないかと提案してきたんだ。彼「渋谷にいるあの犬の名前って何だっけ?」僕「え…ハチ公?」て感じで。そしてプロデューサーのSir Nolanはその場でビートを作った。
雑談から始まった、ということだ。3年寝かせた、ということでもある。数年後、曲を完成させたくて映画「ハチ公物語」を観たんだ。その後すぐに降りてきたメロディーと歌詞をビートに合わせて歌ってみた。ビートから曲を作ったことはなかったので、まったく新しい経験だったよ。最終的に、プロデューサーの250(イオゴン)と一緒にさらに磨きをかけていった。——このコメント、読むほどに引き込まれる。
ふつう、ソングライターがビートを先にもらって歌をあとから乗せるのは、ヒップホップやK-POPの制作フローに近い。ピアノで弾きながら曲を組み立てる作家型の藤井風にとって、これは真逆のやり方。「まったく新しい経験だったよ」と言うだけの意味がある。実際、出来上がったトラックの16分ハイハットの跳ね方や、余白の取り方は、藤井の過去曲にはなかった質感だ。
参加陣を紐解く:Tobias Jesso Jr./Sir Nolan/250
顔ぶれがなかなか凄い。共作者のTobias Jesso Jr.はアデル「When We Were Young」の共作で第1回グラミー・ソング・オブ・ジ・イヤー(ソングライター部門)を獲った作家だ。プロデューサーのSir Nolan(本名Nolan Lambroza)はカミラ・カベロやショーン・メンデスの仕事で知られるビートメイカー。そしてもう一人、韓国の250(イオゴン、본명이호형)が入っている。
この250が、この曲の”色”をだいぶ左右している気がする。250は、NewJeansの楽曲のプロデュースや編曲を数多く手がけていることで知られ、韓国では独自の音の余白と質感で高く評価されてきた人だ。NewJeansの初期作品を聴いた人なら、あの妙に軽やかで、ドラムが乾いていて、上物がすかすかしているのに耳に残るあの感じ——を思い出してほしい。「HACHIKŌ」後半のビート感には、確かにそれと近い呼吸がある。
Mikikiのレビューによれば、サー・ノーランはビートメイクを担い、250は楽曲のアレンジ部分に関与しているようだ(Apple Musicでは2人ともプロデューサーとしてクレジットされている)とのこと。役割分担が明確なわけではなく、たぶん現場では滲み合っていたはず。ただ、骨格=Sir Nolan、質感の仕上げ=250、というのはトラックを聴くと納得できる。
個人的にいちばんグッときたのは、この座組みに藤井風が”抵抗なく”混ざっているところ。日本のアーティストが海外制作陣と組むとき、しばしば「日本人代表としてお邪魔します」感が滲むけれど、この曲にはそれがない。名前の呼び方も、”HACHIKŌ”というローマ字のまま、翻訳せずに提示している。翻訳しないで通す、というのが今回の姿勢だ。
サウンドの読みどころ:ダンスなのに湿っている
結論から書くと、これは”陽の顔をした別れの歌”だ。踊れるBPMと、明るいコード進行と、あの英語のフックの効き方——表面はぜんぶ陽。でも聴き終わると、なぜか少し寂しい。この二重構造が、この曲の一番の仕掛けだと思ってる。
イントロのシンセの立ち上がりを聴くと、リバーブの深さが結構ある。空間が広い。にもかかわらずビートは軽い。ハウス寄りのキックの踏み方じゃなくて、もう少し跳ねている、ネオソウルとK-POPの中間みたいなグルーヴだ。ここに250の指紋を感じる。
藤井の歌唱は抑え気味。「死ぬのがいいわ」のような胸に迫る歌い上げではなく、囁くようにビートの間を縫っていく。楽器としての声、という使い方。これはビートから作った曲だから当然そうなる、というだけでなく、藤井が自分のボーカルを”素材として置きにいく”ステージに入ったことを示している気がする。
ミックスの余白も特徴的で、キックとスネアの間にわりと隙間がある。詰め込まないアレンジ。J-POPのマスタリングは音圧競争の癖があるが、この曲はそこから完全に降りていて、海外配信基準の音量とダイナミクスで作られている。ヘッドフォンで聴くと、右奥のパーカッションが遠くで鳴っている、その距離感がちゃんと聴こえる。
聴きどころ3点
- ビート先行制作ゆえの”歌の置き方”——藤井風が自分の歌を「メロディの主役」ではなく「トラックの一部」として置いている。フックの位置が中央でなく、ビートの隙間にはめ込まれている感覚。
- 250の質感が滲む後半——キックが軽くなり、上物がスカスカになっていく後半のアレンジ。NewJeans以降のK-POPのミニマル美学が、日本人のボーカルと接続される瞬間。
- タイトルの発音そのものが仕掛け——”Hachikō”というローマ字が英語詞の中にそのまま置かれる。翻訳不能な固有名詞を、海外リスナーに”呼ばせる”設計になっている。
忠犬伝説を選んだ意味
なぜハチ公なのか。藤井本人のコメントに答えがある。忠犬ハチ公は、亡くなった飼い主を10年間待ち続け、ようやく天国で会うことができた。この曲は忠誠心に対する尊敬の念が込められている——という説明だ。
この選び方が上手いと思う。ハチ公は日本のローカルな伝説だが、渋谷スクランブル交差点の観光地としての知名度で、いまや海外リスナーもだいたい知っている固有名詞になっている。しかも「主を待ち続ける犬」という物語は、翻訳しても意味が減衰しない普遍性を持っている。ローカル×ユニバーサルの結節点、というやつだ。
そして、忠誠心という古風なテーマを、いちばん軽やかなダンスビートに乗せる、というギャップ。これが藤井風のいつもの手つきだ。重い主題を軽い顔で歌う——「死ぬのがいいわ」も「きらり」も、根っこは同じ方法論だった。今回、その方法論が英語詞と海外プロダクションで再構築されている。
ちなみに、藤井は制作の途中で1987年の映画『ハチ公物語』を観てから歌詞を書き上げたと明かしている。テキストを机で組むタイプではなく、まず映像で情景を掴んでから言葉を降ろすタイプ、ということだ。この作り方のほうがビート先行の制作フローとも相性がいい。頭で書かず、身体で書く。
キャリアの中での位置:3枚目でどこへ行くのか
結論を先に。この曲は、藤井風が「日本のシンガーソングライター」から「グローバルなポップアーティスト」に軸足を移す宣言だ、と読める。
1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』(2020年)は日本語のピアノ弾き語りが軸だった。2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』(2022年)で英語詞や海外的なプロダクションを取り入れ始めた。そして3rd『Prema』で全曲英語詞。この階段の登り方は、宇多田ヒカルが逆方向にたどったキャリア(英語詞デビュー→日本語)の裏返しにも見える。
初回盤には興味深い付録がついていて、前作『LOVE ALL SERVE ALL』リリース後からこれまでに発表された、全世界でストリーミング累計3.5億回再生されている”満ちてゆく”やプロデューサーにA. G. Cookを迎え制作された”花”、”Feelin’ Go(o)d”等6曲に、未発表曲”It’s Alright”を加えた作品『Pre:Prema』がDISC 2に収録される。日本語で書かれた既発曲群を”Pre”(前史)として位置づけ、英語詞の本編『Prema』を新章として提示する——このパッケージ設計自体が、キャリアの区切りを可視化している。
2025年のアウトサイド・ランズ(サンフランシスコの大型フェス)出演も決まっていて、動きの向きは明確に外へ向いている。日本でスタジアム公演を成功させたアーティストが、次に選ぶ舞台がアメリカ西海岸のフェス、というのは順当と言えば順当。ただ、そこに”HACHIKŌ”というタイトルの日本語固有名詞を持って行く、というのが藤井風らしい皮肉というかユーモアだ。
チャートでの動きと現在地
6月13日の配信スタート以降、この曲は各種チャートで動いている。国内配信チャートの主要指標に入っているのはもちろん、YouTubeでのMV再生も伸びていて、リード曲としての役目は果たした——というのが公開後数か月時点の状況だ。正確な週次順位・累計再生数などの数字は日々変動するので、各チャートの最新表示を確認してほしい。
面白いのは海外リスナーの反応で、SNS上では欧米・アジア双方から”日本のシブヤの犬”というモチーフに引き寄せられたコメントが目立つ。曲を入口に、ハチ公という文化アイコンを再検索する動きが起きている。ローカルな物語を輸出する、という藤井の狙いはこの点で機能している。
MVはこれまでにも藤井 風の作品を数多く監督しているMESSが手がけた。藤井作品のビジュアルワールドを一貫して担ってきた人物が、今回もカメラを回している。海外向けのプロダクションに切り替えつつ、ビジュアルの座組みは国内チームで守る——この選び方に、藤井とチームの慎重さが出ている。
この曲を分厚く聴くための補助線
「HACHIKŌ」を単曲で楽しむのはもちろん可能だが、いくつかの補助線を引くと聴き方が変わる。ひとつ目は、250がプロデュースしたNewJeansの初期楽曲。もうひとつは、Tobias Jesso Jr.が関わったハリー・スタイルズやアデルの近作。そしてSir Nolanが関わったカミラ・カベロの近年作。この3方向から「HACHIKŌ」を挟むと、なぜこの音になったのかが立体的に見える。
藤井風自身の軌跡でいえば、日本語詞時代の「まつり」「きらり」から、英語混じりの「grace」「花」を経て、この曲に至る流れ。特に「grace」でインドの聖地バラナシで撮影されたMVを提示していた時点で、藤井の視線はすでに国境の外にあった。そこから3年、ようやく音そのものが海外仕様に切り替わった、と考えるとつじつまが合う。
入門動線
次の1曲:藤井風「grace」——英語詞の萌芽が明確に出た曲で、「HACHIKŌ」の英語運用と地続き。
関連1枚:アルバム『Prema』本体(2025年9月5日)——「HACHIKŌ」を含む全9曲を通して聴くと、藤井風の”世界仕様”の完成形が把握できる。初回盤DISC 2『Pre:Prema』とセットで手に取れば、日本語期→英語期の移行がひとつの箱の中で追える。
英語詞という選択:藤井風の言語観
結論から言うと、この英語詞化は”逃げ”ではなく”深掘り”だ。日本語で書けなくなったから英語に、ではなく、英語のリズムでしか掴めない音節の重さを、あえて選び取ったように聞こえる。
藤井風はもともと、幼少期からYouTubeで洋楽のカバーをアップし続けてきた人だ。マイケル・ジャクソン、ジョン・レジェンド、ブルーノ・マーズ。10代の頃から英語詞は身体に染みていて、英語で歌う筋肉が最初から仕上がっていた。だから今回の英語詞アルバムは、キャリア後半で無理して国際市場を狙った、というより、”最初から出来ていた側の顔”が表に出てきた——という言い方のほうが正確だと思う。
ただ、日本語のポップス作家として国内で愛されてきた文脈からすると、この選択には勇気が要る。日本語の岡山弁のニュアンス、〈何なんw〉の”w”に込めた口語感、あのユーモアはどうなるのか、という不安。答えは、「HACHIKŌ」というタイトル自体に出ている。日本の固有名詞を英語詞の中に埋め込むことで、日本語のニュアンスを”翻訳”ではなく”引用”として持ち込む。この方法なら、失われるものは少ない。
ビート先行制作という新しい筋肉
藤井風はピアノの人だ。3歳から鍵盤に触れ、ピアノで作曲する人生を送ってきた。だから通常、彼の曲は「メロディとコード進行が先」「ビートは後乗せ」の順で組まれる。ところが「HACHIKŌ」は逆。Sir Nolanが作ったビートに、あとから歌詞とメロディを乗せた。
この違いは音に出る。ビート先行の曲は、メロディが小節の頭にきっちり乗らない。ビートの隙間、ハイハットの裏、キックの休符——そういう場所に歌が入り込んでくる。ヒップホップやK-POPを聴き慣れた耳には自然だが、日本のバラード伝統に慣れた耳には最初違和感があるかもしれない。
藤井本人がコメントで「まったく新しい経験だったよ」と言っているのは、この筋肉の切り替えのことだと思う。作家としての手癖を一度捨てて、ビートに従属する歌の書き方を試した。試した結果が、「HACHIKŌ」の後半で見せる、あの息を抜いた歌唱のフレーズ処理だ。ピアノ弾き語り時代の藤井風なら、ああいう置き方はしなかった。
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まとめ:この犬は、ちゃんと世界へ走っていった
「HACHIKŌ」を初めて聴いたとき、正直、最初の30秒は戸惑った。あの藤井風がこんなに軽やかに踊るのか、と。でも2周目、3周目と聴くうちに、これは軽さのふりをした重い曲なんだと気づく。忠誠、待ち続ける時間、ようやくの再会——テーマは全部、静かで重い。それを軽くしてポップスとして成立させる、というのが藤井風の変わらない仕事だ。
日本の固有名詞を英語詞の中に置き、海外プロダクションの音に乗せて、世界の配信ネットワークに送り出す。この一連の手つきは、あとから振り返ったとき、日本のポップスの歴史で結構重要な位置に置かれる気がしてる。少なくとも、「日本のアーティストが海外で通用するには英語詞にしないと」という単純な話ではない解を、この曲は提示している。日本語の固有名詞を、翻訳せずにそのまま持って行く。そういうやり方もある、ということだ。
渋谷駅前の銅像は、あいかわらず動かない。でも「HACHIKŌ」というローマ字は、いま、韓国のプロデューサーとカナダの作家とアメリカのビートメイカーの手を借りて、世界のスピーカーから鳴っている。あの犬、ようやく走り出したんだな、と思ってる。
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