星野源『恋』を10年目に読み直す 逃げ恥のあとに残ったもの

夕暮れの街並みと部屋の窓から漏れる灯りを俯瞰した抽象イラスト。二人分のマグカップと観葉植物が置かれた木製のテーブル。 楽曲

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2016年秋のあの熱狂を、いまもう一度同じ温度で語るのは難しい。ドラマの主題歌としての『恋』は、当時の空気とセットで記憶されているからだ。ただ、10年近く経って改めて聴き直すと、当時は見えづらかった別の輪郭が浮かんでくる。『恋』は社会現象の記憶ではなく、星野源の音楽人生の全部が一度だけ交差した交差点として、後から意味が濃くなっていった曲だ。ヒットの規模ではなく、その後の彼がどこへ向かったかを知っているいまだからこそ、この曲の設計図が読める。

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この曲の要点

  • 🛒楽天は星野源が2016年10月5日にリリースしたシングル。作詞・作曲・編曲すべて本人。
  • TBS系火曜ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌として書き下ろされ、星野自身も同ドラマに出演した。
  • エンディング映像の振り付けは通称「恋ダンス」と呼ばれ、SNS上で模倣動画が爆発的に広がった。
  • 2018年12月19日リリースのアルバムPOP VIRUS🛒楽天に収録され、シングル群を横断する位置に置かれている。

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いま振り返って言えること:この曲は「集大成」ではなく「合流点」だった

『恋』はよく「星野源のキャリアの集大成」と語られてきた。ただ、その言い方は少し正確ではない気がしている。集大成という言葉はゴールを意味するけれど、この曲はゴールではなかった。むしろ、彼が持っていた要素が一度だけ一本の水路に合流した地点だった、と言ったほうが近い。

星野源本人が特設サイトで語っているとおり、『恋』のイントロと間奏には二胡とマリンバが差し込まれている。二胡はSAKEROCK時代の処女作『慰安旅行』のメロディを弾いた楽器で、マリンバもSAKEROCKで馴染みのある音色だ。つまり、プライムタイムのドラマ主題歌という最も広い場所に、10代の終わりに彼が始めたインストバンドの音が二種類だけ、こっそり混ぜられている。この事実は、当時も知られてはいた。ただ、その意味が重くなったのは後だ。

『POP VIRUS』以降、彼は『不思議』『創造』『喜劇』と、シーンごとに違う顔の楽曲を書き分けていく。ダンスの求心力で押す曲もあれば、静かに座って聴かせる曲もある。そういう振れ幅の後で『恋』に戻ってくると、この曲だけ全部の要素が同時に鳴っているのがよく分かる。以降の彼は、この一曲で束にしていた要素を、一曲ごとに解いて配り直していった。だから『恋』は集大成ではなく、あの後の彼が音楽的にどこへ散っていくかを予告した合流点だった。

そう。合流点だから、ここから遡ることもできるし、ここから下流に向かって流れを追うこともできる。ファンにとっての『恋』の価値は、たぶん年々そちら側に寄っている。

もう一つ、当時は言語化しづらかったことがある。この曲は、星野源が「俳優としても認知されているミュージシャン」という難しい立ち位置で書いた曲だった、という点だ。俳優と音楽家のどちらかに寄せると、もう片方の客が離れる。ふつうそう考える。でも『恋』は寄せなかった。むしろ、自身が出演するドラマの主題歌を、自分の音楽の芯にある要素で塗った。俳優としてドラマを盛り上げる仕事と、音楽家として自分の作家性を通す仕事を、同じ一曲で成立させにいった。これはあとで振り返るほど無茶な仕事で、成功したことが逆に不思議に思えてくる。

サウンドの読みどころ:AメロとBメロで音が「痩せる」設計

『恋』のサウンドで一番おもしろいのは、賑やかさの底に極端なミニマルさが仕込まれている点だ。イントロは二胡とマリンバ、キック、ベースが対等に鳴っていて、密度が高い。でもAメロに入ると、音の役割がすっと減る。ボーカルとベースとドラムだけの時間が生まれて、間奏で膨らませた分の空気を一度抜きに来る。

この「痩せる」設計は、細野晴臣の80年代の仕事や、彼が敬愛したファンクの文法から来ている呼吸で、星野の言う「イエローミュージック」の背骨でもある。派手さと痩身が同じ曲の中で切り替わるから、サビの直前で音が戻ってきた瞬間に体が跳ねる。ドラマのエンディングの振り付けが機能した理由の半分は、この抜き差しの設計にある。振付が先ではなく、曲側にすでに踊れる余白が空いている。

もう一つ、耳を澄ませたいのは間奏の二胡だ。二胡は本来もっと哀愁の楽器で、都会のダンスチューンには入れづらい。でも星野は、この曲の中で二胡を「異物」として響かせない。マリンバとリズム隊の隙間に置いて、東アジアの音色を日常の音として混ぜ込んでいる。この扱い方は、彼が『YELLOW DANCER』で試みていた「日本人がダンスミュージックをやるとはどういうことか」への回答の、いちばん短いバージョンだと思う。3分半のポップスの中に、思想が一度だけ音として現れる。

ちなみにBPMも速すぎない。踊れるけれど、家で流していても疲れない速度だ。この中庸さは、後の『Family Song』や『喜劇』にも受け継がれていく。彼のダンサブルな曲が、身体を追い込まずに気分だけ持ち上げてくれる理由は、ここにある。

あと、これは細かい話だけど、ボーカルのミックスも独特だ。ダンスチューンにありがちな、ボーカルを前に張り出させて音圧で押し切る処理をしていない。バンドの中に歌が座っている、ぐらいの位置に置かれている。だから何度聴いても耳が疲れない。10年経った現在、この曲がプレイリストで長生きしている理由は、案外このミックスの節度にある気がしている。派手な曲ほど、耳が離れるのも早い。『恋』が長く聴かれているのは、派手な部分を作りながら、耳に負担をかけないところを同時に設計していたからだと思う。

歌詞世界の再読:「夫婦を越えていく」が10年経っても古びない理由

『恋』の言葉について、当時はドラマの契約結婚という設定と重ねて読まれることが多かった。それは自然な受け取り方だし、間違いではない。ただ、10年経ってこの曲を聴くと、あの言葉たちはもっと射程の長いものを射抜こうとしていたことに気づく。

星野は制作当時のラジオで、この曲は男女どちらの目線にも縛られない、あらゆる恋の形に当てはまるラブソングにしたかったと語っている。同性でも異性でも、人間でなくてもいい。世界中で「恋」の形が変わっていく感覚から、境界を越える言葉が出てきた。そう考えると、『恋』はドラマのために書かれながら、ドラマの外の時代の変化にすでに手を伸ばしていたことになる。2016年の日本社会の空気感の中で、この射程の長さを主題歌として鳴らしたのは、ふつうに考えて大胆だ。

後追いで読み直すと、この「境界を越えていくラブソング」というテーマは、その後の星野源のパブリックな発言や、コロナ禍の『うちで踊ろう』での「みんなを分けない」姿勢にも通じている。『恋』は、彼が公人としてどういう線引きを拒否していく人になるかを、音楽の側から先に宣言していた曲でもある。当時それに気づくのは難しかった。いまなら分かる。

それから、この曲の言葉には「制度」と「関係」の距離感がある。夫婦という言葉は、日本語だと制度側の重みを持つ言葉だ。婚姻届、姓の変更、家という単位。その言葉に対して、この曲は「越えていく」という動詞を並べる。制度としての夫婦の外側に、関係としての夫婦を置き直す。ドラマの契約結婚という設定と重ねると、その表現はとても具体的で、切ない。ただ設定を離れても、この動詞の選び方は残る。関係というものが制度から少し先へ進んでいく感じ。10年前と今では、この感覚を共有できる人の数が全然違う。曲の側は変わっていないのに、社会の側の解像度が追いついた。それが「古びない」の実体だと思う。

『恋ダンス』という現象を、いま冷静に見ると

2016年秋の『恋ダンス』の広がり方は、いま思い返しても異様だった。企業の広報アカウントが踊り、学校の卒業式で踊られ、地方の商店街のイベントでも流れた。ドラマ発の振付が、テレビの外側の生活導線までまるごと巻き込んだ最後の事例のひとつだったと思う。

ただ、いまこの現象を「星野源が売れた瞬間」として語るのは、少し彼に失礼な気がする。実際には、『SUN』や『YELLOW DANCER』の時点で彼はすでにポップスの最前線にいて、『恋』はそのアクセスの入口をもう一段階広げただけだ。恋ダンスは結果であって原因ではない。むしろ興味深いのは、これほど大きなお祭りに巻き込まれても、彼が次のアルバム『POP VIRUS』でお祭りに寄り添うのではなく、ヒップホップやR&Bの語彙を深めるほうへ舵を切ったことだ。ヒットの再現を狙わなかった。

この選択が正しかったかどうかは、いまの彼のキャリアを見れば答えは出ている。恋ダンスの再演にすがらなかったから、『Pop Virus』も『不思議』も『喜劇』も別の顔で成立している。『恋』は、あそこで終わらせる勇気とセットで意味を持つ曲だった。

いま思うと、恋ダンスの現象は、YouTubeの動画共有と、Twitter(当時)の拡散と、テレビの信頼が最後にきれいに重なった数少ない瞬間だった。この後、そういう全方位の巻き込みは起きづらくなる。TikTokの登場でショート動画は個別の推薦経路の中に閉じ、テレビ発の巨大な同期はほとんど見られなくなった。つまり『恋ダンス』は、テレビとSNSが同じ方向にエネルギーを向けた、時代の最後尾のヒットの型だった。この時代性を含めて、『恋』はもう一度作れない曲だと思う。作ろうとしても、いまの生態系ではあの規模の同期は起きない。

キャリアの中の位置:SAKEROCK解散の翌年に鳴った音

忘れられがちな時系列がある。SAKEROCKが正式に活動を終えたのは2015年で、『恋』のリリースはその翌年だ。つまり『恋』は、10代終盤から続けたバンドを畳んだ直後に書かれた曲でもある。二胡とマリンバがイントロと間奏にいる理由を、この時系列に置いてもう一度考えたい。

バンドを解散した直後のミュージシャンは、たいてい二つの反応のどちらかを取る。過去を封印して次に進むか、過去を今の場所へ連れてくるか。星野が選んだのは後者だった。しかも、地上波のドラマ主題歌という最も逃げ場のない場所で、SAKEROCK的な楽器を差し込んだ。これは相当な自覚のある選択で、SAKEROCKの音を「懐かしむ音」ではなく「いま鳴らして通用する音」に更新する行為でもある。バンドの記憶を博物館に入れずに、街に連れて出た。

この態度は、彼が後年、YMOや細野晴臣、大瀧詠一といった上の世代の仕事を若い聴き手に接続していく役回りを引き受けていくことにも繋がっている。過去の良い仕事を、いまの音として鳴らし直す。『恋』はその方法論を、彼自身の一番私的な素材で先に試した曲でもあった。

もう一つ、この時期の彼にはインストゥルメンタルへの関心が消えていない、という補助線がある。SAKEROCKは歌のないバンドだった。歌のない曲で人の身体を動かす技術を、10年以上磨いてきた人が、歌のあるダンスチューンを書いた。だから『恋』は、歌が主役に見えて、リズム隊と間奏の楽器隊が対等に前に出ている。歌がなくても踊れる骨格の上に、歌を後から乗せた設計に近い。SAKEROCKでの積み重ねがなければ、この骨格の強度は出せなかったと思う。バンドを畳んだ翌年に、バンドで培った身体感覚を歌ものに換金した曲、という言い方も出来る。

聴かれ方の変化:お祭りソングから「生活に置かれる曲」へ

『恋』はいま、当時とはまったく違う場所で鳴っている気がする。2016〜2017年はイベントの曲だった。パーティで流れ、卒業式で流れ、体を動かす合図として機能していた。いまはもう少し静かで、生活の中の細かい場面に混ざる曲になった。夕方の台所、休日の掃除中、車で家に帰る道。派手なのに疲れさせない曲だから、この位置に落ち着く。

この曲は、たぶん「夕方に効く曲」として設計されている気がする。イントロの二胡は昼の音ではなく、日が傾いてからの音に近い。歌の温度は熱狂ではなく、その一歩手前の穏やかさに置かれている。ドラマの文脈から離れて、生活の中の夕方の時間帯に自然に居場所を見つけた曲、というのが今の実感に近い。もう記念日の曲じゃない。日常の曲になった。

ここは解釈が分かれるところで、逆に「いまも自分にとっては夜のダンスチューン」というファンもいると思う。この曲がどの時間帯に居るかは、聴き手それぞれの生活の側にある。それを許容する強さがこの曲の設計にはある。

聴きどころと、この曲から広げる次の一手

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聴きどころ3点

  • イントロと間奏の二胡・マリンバ:SAKEROCKからの地続き。派手なポップスの中に、彼のいちばん個人的な楽器がこっそり座っている。ここを聴くだけで曲の見え方が変わる。
  • Aメロで音が痩せる瞬間:サビの華やかさは、Aメロの引き算がなければ成立しない。ボーカルとリズム隊だけの時間の設計に注目。
  • ボーカルの余白:星野源のファルセットや語尾の処理は、この曲では抑え気味に置かれている。歌で押し切らない設計が、繰り返し聴いても飽きない理由になっている。

入門動線

『恋』を入口にするなら、次の一手は同じアルバムPOP VIRUS🛒楽天の表題曲『Pop Virus』を推したい。『恋』で束になっていた「日本人がダンスミュージックをやる」という主題が、より抽象化されて、ヒップホップとR&Bの語彙でやり直されている。方向転換の跡が見える。もう一枚、時系列を遡るならYELLOW DANCER🛒楽天。『恋』のサウンド設計の元になった思想が、アルバム一枚まるごとの規模で試されている。この2作を挟むと、『恋』が偶発的なヒットではなく、続きのある仕事だったことがよく分かる。

10年目の『恋』が残したもの

ここまで書いてきて思うのは、『恋』の価値はもう恋ダンスの記憶では測れないということだ。あのお祭りは終わった。終わってよかったとも思う。お祭りの記憶が薄れたことで、この曲そのものの設計の良さが、静かに前に出てきた。二胡とマリンバ、Aメロの引き算、境界を越えていこうとする言葉、SAKEROCK解散翌年という時系列。どれも、当時は熱狂の中で見えづらかった要素だ。

いまの星野源は、俳優としても、ラジオパーソナリティとしても、細野晴臣以降の音楽の水脈を若い世代に接続する役割でも、それぞれ別の仕事をしている。その全部を一曲に束ねていた地点として『恋』を聴き直すのは、たぶんこれから何年経っても楽しい作業になる。合流点は、上流と下流の両方を見せてくれるからだ。

この曲を10代でリアルタイムに踊った人と、いま初めて聴く若い人とでは、たぶん見えているものが違う。それでいい。同じ曲が、時間を挟むと違う場所に置かれる。ポップスとしての強さは、そこにある。

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  • POP VIRUS — 『恋』を含む方向転換の一枚
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  • YELLOW DANCER — イエローミュージックの原型
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  • Family Song — 『恋』の後の穏やかな系譜
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  • SAKEROCK / MUDA — 二胡・マリンバの源流を辿る
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