星野源「Family Song」をいま聴き直す 『恋』の次に置かれた一曲の意味

夜の台所に灯る小さな明かりと、木のテーブルに置かれた二つのマグカップを描いた抽象的なイラスト 楽曲

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2017年8月に出た曲を、2020年代半ばのいま改めて聴くと、耳に入ってくる情報が当時とはだいぶ違う。星野源Family Song🛒楽天の話をしたい。ヒットの記憶としてはもちろん残っているけれど、キャリアの折れ線を引き終わった側から見ると、この曲は「祝祭のあとに何を置くか」という問いの答えとして、いまのほうが輪郭がはっきりする。

『恋』の熱狂の直後に、彼は祝祭ではなく食卓を選んだ。その選択の意味は、いまのほうがよく見える。当時は「ドラマ主題歌の連打」「また当てた」という文脈で受け取っていた気がする。振り返れば、この曲を『恋』の次に置いたことこそが、その後の星野源のいちばん大きな設計だったのではないか、と思う。

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この曲の要点

  • 星野源10枚目のシングル。2017年8月16日リリース(ビクター/スピードスターレコーズ)。
  • 日本テレビ系水曜ドラマ『過保護のカホコ』主題歌。作詞・作曲・編曲すべて星野源本人。
  • オリコン週間シングルランキング1位を獲得。星野源のシングルとしては初の首位
  • のちに2018年12月19日発売のオリジナル5thアルバムPOP VIRUS🛒楽天に収録。『恋』『アイデア』と並ぶ、同アルバムの三本柱の一つ。

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『恋』の次に、なぜ「家族」だったのか

この曲がリリースされたのは、『恋』の社会現象からおよそ10ヶ月後。2016年10月に出た『恋』が「逃げ恥」と一緒に日本中の生活音になってしまったあと、次の一手として彼が選んだのが「家族」の歌だった、というのが事実関係。

いまの位置から振り返って言えるのは、これは驚くほど攻めた選択だった、ということ。ヒットの再現を狙うなら、もう一度ダンスビートを鳴らせばよかった。恋愛の続編でもよかった。ところが彼はテンポを落とし、ミッドテンポのソウルに寄せて、テーマを「家族」に振った。イントロのオルガンのふくよかさ、控えめに置かれたホーンの色、リズム隊の踏み込みすぎない歩幅。派手なフックで殴りにいく作りではなく、部屋の中でずっと聴いていられる質感で組んである。

当時これを「地味だ」と受け取った人も一定いた。自分もどこかでそう思っていた気がする。ただ、いま聴くと、この地味さは意図的な地味さだ。『恋』の熱で持ち上がった注目を、日常の温度まで一度戻す。祝祭を続けるより、祝祭のあとの生活を歌うほうへ舵を切っている。

その後の彼の動きを知っているいま、この選択は伏線だったと読める。2018年『アイデア』、そして2020年『うちで踊ろう』、コロナ禍の弾き語り配信、家の中の音楽への傾斜。「外の熱狂」から「家の中の日常」へ、というグラデーションの始点として、この一曲は置かれている。

ミッドテンポのソウルという設計

サウンドの読みどころは、ミッドテンポのソウルという骨格をどう組んでいるか、にある。星野源の音楽的なルーツは細野晴臣周辺のポップスと、60〜70年代の黒人音楽——スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイあたり——にあることを本人が繰り返し語ってきた。『YELLOW DANCER』(2015年)で提示した「イエローミュージック」の延長線として聴くと、この曲の位置はわかりやすい。

ただし、『YELLOW DANCER』のときのようにダンスの快感を全面には出していない。ホーンは主役に立たず、鍵盤とベースが会話するように前に出る。歌のメロディは音域を広げず、話し声の高さに近いところで丁寧に運ばれる。ここが重要で、家族の歌にファルセットの跳躍を持ち込みすぎると、途端に「特別な瞬間」の歌になってしまう。彼はそれを避けている。特別ではない毎日のほうを鳴らしたかった、というのが音の作りから読める。

編曲は星野源本人。バンドメンバーに朝まで付き合ってもらい、細かくこだわりながらレコーディングしたことを、リリース時に本人がコメントしている。バンドで鳴らしきったうえで、ミックスで角を落として、部屋着みたいな質感に仕上げている。凝っているのに、凝った顔をしない。

聴きどころ3点

  • イントロの鍵盤の”広さ”。派手なフックで掴みにいかず、部屋の空気を作りにいく。ここで曲の温度が決まる。
  • サビの音域の低さ。跳ねる感情ではなく、話しかける距離感で歌が置かれている。家族の歌としてのリアリズム。
  • アウトロのフェード感覚。物語をきれいに閉じずに、生活の続きへ流していく作り。ドラマの絵づらと重ねて聴くと、この余韻の設計が効いてくる。

『過保護のカホコ』というタイアップの正しさ

タイアップは日本テレビ系水曜ドラマ『過保護のカホコ』の主題歌。高畑充希主演の、親の愛が濃すぎる娘の物語。事実として押さえておきたいのは、この曲は「家族万歳」の歌ではない、ということ。ドラマの側も、家族の温かさを賛美するだけの作りではなく、過剰な愛の息苦しさと、そこから出ていく話でもあった。

だから、この曲が主題歌として機能したのは、ドラマの複雑さを「家族の歌」の一言で丸めなかったからだ。「あなたは何処にでも行ける あなたは何にでもなれる」というメッセージ性——本人が特設サイトでも繰り返し触れている——は、家族を絶対の絆として固定しない。血縁の外に開いていく可能性のほうを歌っている。

2017年時点ではここまで明確には受け取っていなかった。多様な家族のかたちが社会的な言葉として広がったのは、その後の数年でのこと。同性パートナーシップ、選択的夫婦別姓、ステップファミリー、そういう議論が地上波のドラマにも普通に入ってくる前の、少しだけ早い一曲だった。いま聴くと、この曲の輪郭のやわらかさは「早すぎず、遅すぎず」の絶妙な位置にある。

キャリアの折り返し地点として

星野源のシングル史の中で、この曲は「初のオリコン1位」というマイルストーンでもある。初週で19.2万枚を売り上げ、8/28付オリコン週間シングルランキング1位に初登場。通算10枚目のシングルで自身初の1位を獲得した前作『恋』は最高位2位を上回り、初週売上も『恋』で記録した10.2万枚から9万枚増でシングル自己最高だった。

ただ、キャリアの折り返し地点として重要なのは、順位より、そのタイミングで何を歌ったかのほう。1位を取りにいった曲が『Family Song』であるという事実は、彼のスターダムの作り方をよく表している。派手に売るための曲で1位を取ったのではなく、日常の温度に戻る曲で1位を取った。この順序は、その後の彼の立ち位置——テレビの向こう側で気を張らないでいられる人、家の音楽の側にいる人——を作った、と思う。

2018年『アイデア』(NHK連続テレビ小説『半分、青い。』主題歌)、同年12月のアルバム『POP VIRUS』での総括、2020年『うちで踊ろう』の家からの発信、2023年『生命体』の内省。折れ線をつなぐと、『Family Song』はその起点だったとわかる。「外の祝祭」から「内側の生活」への視点の移動が、ここから静かに始まっている。

いま、この曲はどう聴かれているか

個人的な観察を少し書く。この曲は、平日の夜に効く曲として設計されている気がする。金曜の解放感でも、日曜の憂鬱でもなく、水曜の21時くらい。仕事が半分残っていて、明日もある、みたいな夜。ドラマの放送枠が水曜だったのは偶然として、この曲のミッドテンポの歩幅は、その時間帯の呼吸に合う。

もうひとつ。結婚式のBGMランキング系のサイトで長く名前を見かける曲でもある。祝いの席で流れる曲としては、ハッピー100%の曲より、少し陰影のあるこの曲のほうが選ばれ続けているのは面白い。参列者の中には離婚した人も、家族と疎遠な人もいる。この曲の「家族の外に開かれた」設計は、そういう場面で角を立てない。結婚式で選ばれ続けている理由は、たぶんそこにある。

もちろん、これは自分の読みで、実際にどう受け取っているかは聴く人の生活次第。ただ、リリースから時間が経ってもプレイリストから消えないのは、祝祭のピークで作られた曲ではなく、生活の温度で作られた曲だからだと思っている。ピークの曲は熱が引くと聴かれなくなる。生活の曲はずっと横にいる。

いまなら言える補助線

2017年当時、この曲について書かれた記事の多くは「ドラマ主題歌としての完成度」「『恋』からの連続ヒット」を軸にしていた。それはそれで正しい。ただ、後追いで補助線を引くとしたら、こう書きたい。

ひとつめ。この曲は、星野源が「国民的」という言葉を引き受けにいった曲ではなく、むしろ「国民的」から半歩身を引くための曲だった。1位を取りにいく設計ではなく、1位のあとの居場所を作る設計。だからこそ、その後の彼はテレビの人気者として消費されずに済んだ。

ふたつめ。「家族」というテーマ選びは、2020年以降の彼のプライベートの変化——結婚、生活者としての発信——とも結びついて、いまなら別の意味で読める。もちろん本人のプライベートを曲に読み込みすぎるのは筋が違うけれど、この曲を発表した時点で彼はすでに「生活の側の音楽」を志向していた、という順序は押さえておきたい。ライフイベントが曲を作ったのではなく、曲のほうが先にそこにいた。

みっつめ。この曲は、ソウルミュージックの日本語化の一つの到達でもある。歌謡曲でもJ-POPでもなく、しかし洋楽の直輸入でもない、日本語の話し声で成立するソウル。細野晴臣以降の系譜として、あるいは山下達郎とはまた別のアプローチとして、この曲の言葉と音の噛み合わせを聴き直す価値はある。

ドラマ主題歌としての機能——曲が絵を邪魔しない

ドラマ主題歌としての設計についても書いておきたい。地上波の連ドラの主題歌には、実は難しい制約がある。エンディングで30秒〜1分だけ流れて、次週の予告が入って、あっという間に切れる。だからサビの頭で耳を掴む必要がある一方、ドラマの余韻を消してはいけない。この二つは基本的に矛盾する。

『Family Song』のサビの入り方は、その矛盾の解き方として上手い。テンポを上げてぶつけにいかず、鍵盤とベースの隙間から静かに立ち上がる。ドラマの最後の芝居の温度を、そのまま音楽に受け渡す作り。派手なフックを頭に置いていないから、次週の予告や提供クレジットが被さっても、曲の印象を壊さない。

これは、テレビの中で音楽をどう成立させるかを知っている作り手の仕事。星野源はドラマ・映画・CMの主題歌をたくさんこなしてきたけれど、映像の隣で鳴らす音楽の距離感の取り方が、この曲でかなり洗練されたと思う。『恋』はサビの頭で世界を塗り替えにいく曲だったのに対して、『Family Song』は映像の続きを引き受ける曲。同じドラマ主題歌でも役割が違う。

結果的にこの設計は、テレビの外——ストリーミングやプレイリスト——で聴かれるときにも効いた。ヘッドフォンで通勤中に聴いても、家事の合間に流しても、曲のほうから注意を奪いにこない。生活の音量に馴染む。この「馴染む設計」は、その後の彼の楽曲にも一貫して見える特徴で、その原型がここにある。

歌の距離感——マイクとの近さ

もう一つ、音楽的な観察を書き足しておく。この曲のヴォーカルは、マイクとの物理的な距離がかなり近い。専門的な言葉で言えば、オフマイクではなくオンマイクで、息の音や口の中の音までうっすら拾っている。ミックスでも極端に前に出しすぎず、しかしバンドの中に埋もれさせない絶妙な位置に置いている。

この距離感は、この曲の主題と噛み合っている。家族の歌を、大きな会場の後ろの席に届ける歌い方ではなく、隣に座って話しかける距離で歌う。ステージから客席に投げる声ではなく、台所で背中越しに交わす声のほうに寄せている。

星野源のヴォーカルは、もともと大声で押し切るタイプではない。話し声と歌声の中間、みたいな独特の質感がある。その特徴が、この曲でいちばん機能している気がする。『恋』は歌のキャッチーさで押した曲だったから、ヴォーカルも少し前のめりだった。『Family Song』は逆で、歌が少し引いて、代わりに部屋の空気ごと届ける。

2017年の日本ポップスの中での立ち位置

2017年の日本のヒットチャートを思い出すと、この年は米津玄師『打上花火』(DAOKOとの共作)、Official髭男dismの躍進前夜、あいみょん『君はロックを聴かない』、といったあたりが動いていた年。J-POPが「シティポップの再評価」と「歌モノの復権」の両方で温まってきていた時期で、その真ん中に星野源がいた。

『Family Song』は、その中で「日本語のソウル」という独自ポジションを確立した曲でもある。シティポップ的な洒脱さも、フォーク的な情緒も、どちらにも寄り切らない。ソウルの骨格に日本語の話し声を乗せる、というアプローチは同時期にほとんど競合がなかった。だから彼はこの路線をひとりで走れた。

この孤立したポジションは、その後の日本ポップスにも影響を残した。King Gnu、藤井風、Vaundy——それぞれ違うタイプのアーティストだけど、共通して「洋楽の骨格に日本語の日常を乗せる」路線を洗練させてきた世代。彼らの登場の前触れとして、星野源の『Family Song』〜『Pop Virus』の流れがあった、と後追いで言える。もちろん本人が意図的に道を作ったわけではないだろうけれど、結果として道が続いた。

そう思うと、2017年時点でこの曲が「ドラマ主題歌のヒット」として消費されただけだったのは、少しもったいなかった。音楽的な達成としても、後続への影響としても、もう一段高く評価されていい曲だと思っている。

『恋』とセットで語られることの限界

ひとつだけ、解釈が分かれるだろう論点を置いておきたい。この曲を『恋』とセットで、「ヒットの連打」として語ることの限界について。

連続ヒットの文脈で読むと、『Family Song』は『恋』の弟分になる。ただ、音楽的な設計思想としては、この二曲はむしろ対になっている。『恋』が外へ開くダンスの曲だとすれば、『Family Song』は内へ折りたたむ生活の曲。ジャンルもテンポも狙いも違う。同じ人が作ったから連続でヒットしたのではなく、狙いを変えたから両方当たった、と読むほうが実像に近い気がする。

この二曲を「兄弟」と読むか「対」と読むかで、その後のキャリアの見え方が変わる。兄弟と読めば、彼は同じ路線でヒットを重ねてきた人になる。対と読めば、彼は毎回設計を変えている人になる。自分は後者の読みのほうが、実際の作品史に合っていると思っている。ここはファンによって意見が分かれるところで、正解は一つではない。

入門動線

この曲から次の一曲へ広げるなら、同じアルバム『POP VIRUS』に収録された『Pop Virus』(アルバム表題曲)を勧めたい。『Family Song』の「日常の温度」の路線を、もう一段ヒップホップ/R&Bのほうへ寄せた曲で、彼の音楽的な現在地がわかる。関連する一枚としては、その一つ前のアルバムYELLOW DANCER🛒楽天(2015年)。『Family Song』の骨格になっているソウル/ファンクの引き出しがどこから来ているかを、丸ごと聴ける一枚。ここまで戻ると、『恋』も『Family Song』もアイデアの元がよく見えてくる。

もう一つ、時代を跨いで聴くなら、コロナ禍以降の『不思議』(2021年)や『生命体』(2023年)へ。『Family Song』の「生活の側の音楽」という視点が、その後どう深まっていったかを追える。この曲を起点に、彼の折れ線をたどり直す聴き方は、たぶんいちばん豊かな入り口になる。

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  • — 対として聴きたい前作シングル
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