2022年の夏に届いたこの曲を、いま2020年代後半の耳で聴き直すと、当時は「映画主題歌の楽しいダンスナンバー」で片づけられがちだった顔つきが、ずいぶん違って見える。異世界混合大舞踏会🛒楽天は、星野源というアーティストが「歌モノのシンガーソングライター」から「シンセを積み上げるトラックメイカー/アレンジャー」へ軸足を移していく、その移行期のど真ん中に置かれた実験室のような曲だ。
あの頃は気づけなかった。踊れるポップスの皮をかぶって、この人はもう、次の景色に足をかけていた。お祭りの音源が、数年経って設計図に見えてくる。星野源の第2期と第3期の継ぎ目に置かれた曲だ。
この曲を初めて聴いたのは、たしか映画の予告編でだった。冒頭の数秒、シンセの上物が鳴り出した瞬間に、あ、これは主題歌の役割を軽く超えていくやつだ、と感じた記憶がある。当時はそれ以上言語化できなかった。数年経って、星野源のその後のシングルや配信曲を並べて聴くと、あの直感の正体がようやく見えてくる。だからこの記事は、当時書けなかった感想の続きでもある。
この曲の要点
- 2022年7月18日、SPEEDSTAR RECORDSから配信限定シングルとしてリリース。作詞・作曲・編曲は星野源本人。
- 山崎貴監督の映画『GHOSTBOOK おばけずかん』(2022年7月22日公開)の主題歌として書き下ろされた。
- アレンジは前作「喜劇」に続きmabanuaとの共同編曲。ドラムは打ち込みで、プログラミングは星野源とmabanuaが担当し、大量のヴィンテージ・シンセを重ねたダンス・トラック。
- 全編アニメーションのMVは、『呪術廻戦』第1期エンディングの作画を手掛けたアニメーター・五十嵐祐貴が監督。
- 収録はシングル単位。翌2023年のEP『LIGHTHOUSE』とは別の系譜にあり、以降の「生命体」に繋がる打ち込み志向の起点になった。
後追いで読む——あの夏、星野源はどこに立っていたか
結論から言うと、この曲は「星野源の第2期の終わりと第3期の始まりの継ぎ目」に立っている。第2期を『POP VIRUS』(2018)で閉じたあと、彼はコロナ禍を挟んで「不思議」「創造」「Cube」「喜劇」と、シングルを単発で放り投げるように出していた。アルバムの帳尻を合わせるための曲ではなく、その時々の実験を単品で置いていく。異世界混合大舞踏会🛒楽天もその一枚だ。
当時のインタビューや紹介記事の多くは、映画主題歌としての明るさ、ダンスの気持ちよさ、五十嵐祐貴のアニメMVのカッコよさを語っていた。それは間違っていない。ただ、翌2023年に配信された「生命体」、その先のEP『LIGHTHOUSE』、さらにその後の活動まで並べてから振り返ると、この曲で試された「シンセの塊で踊らせる」という発想が、以降の星野源のサウンドの背骨になっているのがわかる。
言い換えると、2022年時点では「映画のためのお祭り曲」に見えたものが、いまは「その後3〜4年の作風を決めた設計図」に見える。同じ音源なのに、位置づけが変わる。ポップスってこういう遅効性のものだと思う。
基本情報——映画のために書かれた、けれど映画に閉じなかった
基本情報を先に押さえておく。リリースは2022年7月18日、SPEEDSTAR RECORDSから配信限定シングルとして。同年7月22日公開の映画『GHOSTBOOK おばけずかん』(山崎貴監督)の主題歌として書き下ろされた曲で、feat.表記の「おばけ」は文字通り、制作中に立ち会ったとされる存在たちに星野本人がユーモアを込めてクレジットしたもの。
主題歌担当が発表されたのは2022年5月25日。本人コメントでは、彼岸と此岸の境がなくなり、あの世とこの世が入り乱れ、異なる世界が混ざり合って、人間と人間以外が一緒に踊れるような楽曲を作ろうと思った、と語られていた。ここが後追いで効いてくる。「あの世とこの世」「人間と人間以外」という混合の発想は、翌年の「生命体」で「生き物としての人間」という別方向の混合に接続していく。テーマの一貫性は、当時よりいま並べたほうがはっきり見える。
もうひとつ、いま重要に感じるのは「映画主題歌でありながら、映画に依存していない」という設計だ。『GHOSTBOOK』を観ていなくても曲が完結する。タイアップの物語装置ではなく、曲自体が独立した舞踏会として立っている。この距離の取り方が、後の曲まで含めた、星野源のタイアップとの向き合い方の型になっていく。
サウンド——シンセの見本市が、なぜ「軽い」まま聴こえるのか
結論を先に言うと、この曲の面白さは「重い機材で軽さを鳴らしている」ところにある。ここが後追いで一番強調したい点だ。
クレジットを見るとちょっと笑ってしまう。星野源とmabanuaのふたりで、Prophet-5、DX-7、Juno-6、Jupiter-8、OB-Xa、Minimoog、Matrix-12、PPG Wave 2.0、Emulator II、CZ-101、Music Easel、MS-20、Clavinet、テルミン——70年代から80年代のヴィンテージ・シンセを、ほとんどシンセ史の教科書のような並びで積んでいる。ドラマガWebの分析では、ドラムは打ち込み、プログラミングはmabanuaと星野源の共同、1コーラス目のスリップ・ビートや細かなフィルイン、小気味良いハイハットのニュアンス、2コーラス目のピックアップ・フィル、さらに作り込まれたドラム・サウンドが人力フィールを感じさせるダンス・ナンバーとなっていることが指摘されていた。
ふつう、ここまでヴィンテージ・シンセを重ねると音が渋くなる。80年代のブギー、あるいはコズミック・ディスコの香りが立って、良くも悪くも「わかってる人向け」の音になる。ところがこの曲は、それだけ機材を積んでも耳当たりは徹底的にポップだ。子どもが観る映画の主題歌として成立している。この矛盾こそが、mabanua共同編曲期の星野源の核心だと思う。
音楽ライターとしての耳で言うと、鍵はミックスの奥行きと、シンセごとの「役割分担」にある。ベース帯域のアナログ・シンセが太いのに、上物のDXやPPGは意図的にライトに配置されている。だから重心が下に落ちるのに、聴感は宙に浮く。BPMは体感でミッド〜アップの中間、行進でもディスコでもない不思議な速度で、これが「人間とおばけが同じフロアで踊れる」テンポとして機能している。速すぎず、遅すぎない。あの世の住人が疲れずに踊れる速さ、とでも言えばいいか。
そう。この軽やかさは、演奏の軽さではなく設計の軽さだ。当時は「またmabanuaと組んだ楽しい曲」で流されがちだったけれど、いま聴くと、これは打ち込み主体のシンセ・ポップに舵を切る前の、周到な助走に聴こえる。「喜劇」がまだアコースティックな体温を残していたのに対し、この曲はもう完全にシンセの世界に片足を踏み込んでいる。
ここで一段深く踏み込むと、mabanuaというプロデューサー/ドラマーの存在の意味も、後追いだからこそ見えてくる。もともとOvallでの活動やソロでのビートメイキング、そして数多のR&Bやジャズ系プロダクションで知られる人が、星野源の「シンガーとしての歌」を守りながら、周りの音だけを丁寧に更新していく。歌の輪郭は星野源のまま、器の側だけを少しずつ組み替える。この分業のバランスが、2020年代の星野源サウンドを支えている。「喜劇」で試された組み方が、この曲でさらに機材寄り・打ち込み寄りに振れた——という流れとして聴くと、シングル1枚ごとに小さな更新が積まれているのがわかる。
ヴィンテージ・シンセの並びについても補足しておく。Prophet-5、Jupiter-8、OB-Xa、Minimoog——このあたりは70年代後半から80年代前半のアメリカや日本のポップスを支えた定番機。一方でPPG Wave 2.0、Emulator II、CZ-101、Music Easelといった、少しマニアックな面々も同じ棚に並んでいる。作り手として、王道と偏愛を同じテーブルに乗せている。ここに「異世界と現世の混合」という曲のテーマがそのまま反映されているように見えるのは、深読みしすぎだろうか。少なくとも、機材選びが曲のコンセプトから逸脱していない。
MVの遅効性——五十嵐祐貴という選択が意味したもの
MVについても、後追いの角度で書きたい。監督は『呪術廻戦』第1期のエンディングの作画を手がけたアニメーター・五十嵐祐貴。『映像研には手を出すな!』3話にてコンテ・演出・作監・話数内デザインを担当し、映像の6割の原画を1人で担ったアニメーターで、『スター・ウォーズ:ビジョンズ』「のらうさロップと緋桜お蝶」で初監督を務めた人。この人選が、いま振り返ると重い。
2022年当時は「呪術廻戦EDの人がやる」という文脈で紹介されることが多かった。けれど、その後の日本のアニメMVやアニメOP・EDの隆盛、海外リスナーがアニメ経由でJ-POPに流入する動きを踏まえて見ると、星野源が実写ではなく全編アニメを、しかも作家性の強いアニメーターに委ねたこの選択は、以降のJ-POPアーティストが選ぶMV戦略の先回りだった。
アニメを選ぶことは、俳優としても顔が売れている星野源にとって、自分の顔を差し引く選択でもある。主題歌の作り手が前に出ず、キャラクターとダンスに主役を譲る。この距離感は、その後の楽曲でも踏襲されていく。当時は「主題歌の楽しい映像」でしかなかったMVが、いまは「星野源が自分の実像から一歩引く」戦略の入口として読める。
キャリアの中の位置——「喜劇」と「生命体」のあいだ
星野源の2020年代を時系列で並べると、この曲の位置がくっきり見える。
2021年に「不思議」「創造」「Cube」を発表。2022年に「喜劇」(feat. DJ Jazzy Jeff & Kaidi Tatham)、そして本作。翌2023年に「生命体」、そしてEP『LIGHTHOUSE』。
この並びで見ると、異世界混合大舞踏会🛒楽天は「喜劇」の陽性と「生命体」の躍動をつなぐ結び目だ。「喜劇」がまだ生バンド的な色気とアシッド・ジャズの匂いを残していたのに対し、この曲でシンセ側に踏み込み、「生命体」でシンセ主体のBPM高めのポップに一気にジャンプする。LIGHTHOUSE🛒楽天のミニマルで内省的な世界とは別の、外向きに踊るモードのプロトタイプが、まさにここにある。
もうひとつ、書き手としての立ち位置も変わっている。第2期の星野源は「日常のなかで小さく光る救い」を書く人だった。この曲では「異世界」「舞踏会」という露骨に非日常のモチーフに手を伸ばしている。おばけと踊る。彼岸と此岸が混ざる。日常を美しく描くのが得意だった書き手が、非日常の側から日常を照らし返すやり方を試している。この身振りは、後の楽曲でのモチーフ選択にも影響しているように思う。
星野源というアーティストは、キャリアの節目ごとに「顔」を変えてきた人だ。ソロデビュー初期のアコースティックな弾き語り。『恋』を含む第2期の、ソウルやファンク、シティポップを日本語ポップスに落とし込む時代。そこから第3期に入ると、打ち込みとシンセ、海外プロダクションとの共作、そしてラジオやポッドキャストでの言葉の仕事が並走するようになる。この曲は、ちょうど第2期のバンド的な質感と、第3期の打ち込み志向のあいだで、双方の呼吸が同居している最後の瞬間かもしれない。
俳優としての仕事、ラジオ『オールナイトニッポン』での言葉、EP『LIGHTHOUSE』——マルチな仕事を並列で走らせるモードに完全に入る直前のシングルとして、この曲を置いてみる。すると、映画主題歌という「一番わかりやすい仕事」の顔をしながら、その裏側でスタジオ音楽としての実験を最大限に楽しんでいる、そういう作り手の遊びの体温が伝わってくる。楽しさの記号を並べているのではなく、作り手自身が楽しんで作った音がしている。ここは、何度聴いても新しく気づく部分だ。
聴かれ方——夏の夜、車のスピーカーで急に化ける
個人的な観察として書いておくと、この曲は昼のカフェで小さく流れているときと、夜の車のスピーカーで音量を上げたときで、まったく違う顔を見せる気がする。昼だと「明るい映画主題歌」に聴こえる。夜、低音を通せる環境で鳴らすと、下に敷かれたアナログ・ベースの太さが立ち上がってきて、急にディスコの曲として輪郭が変わる。
だから「映画を観たときの記憶」で止まっているファンにこそ、一度、いい環境で聴き直してほしい。特に夏の夜、窓を開けたドライブ中に鳴らすと、彼岸と此岸の境が本当に少し曖昧になるような瞬間がある。そういう効き方をするように設計されている曲だと思う。当時のシングルとしての消費のされ方では、この側面が拾いきれていなかった気がする。
聴きどころ3点
- ヴィンテージ・シンセの積層:Prophet-5からPPG Wave 2.0まで並ぶ機材の中で、上物と下物の役割分担がクリア。渋い機材で軽さを作る手つきに注目。
- 打ち込みなのに人力に聴こえるドラム:スリップ・ビートや細かなフィル、2コーラス目のピックアップ・フィルなど、プログラミングの解像度が段違い。
- テンポの絶妙な中間性:速すぎず遅すぎない、行進でもディスコでもない歩幅。ここが「異世界と混合できる」速度になっている。
いまだから言える補助線——なぜこの曲はアルバムに入らなかったのか
ひとつ引っかかっているのは、この曲がその後のフィジカル・アルバムに素直に収録されていない点だ。2023年のEP『LIGHTHOUSE』はコンセプトEPで、この曲の系譜とは別軸。つまり本作は「映画主題歌として単発で置かれ、アルバムの物語には組み込まれなかった」曲として、いまも配信の海に浮かんでいる。
これはネガティブな話ではなくて、むしろこの時期の星野源が「アルバム単位ではなくシングル単位で実験を放つ」モードに入っていたことの証拠だと思う。単発で出して、単発で受け止めてもらう。そのぶん、後から振り返ったときに「あの曲、あそこに置かれていたんだ」と発見できる余地が残る。異世界混合大舞踏会🛒楽天は、そうやって時間をかけて評価されていく種類の曲だと感じている。
解釈が分かれるポイントも書いておく。この曲を「映画のためのお祭り曲」として軽く扱うか、「星野源の作風転換の起点」として重く扱うか。どちらの読み方も成立する。どちらが正しいというより、聴き手のなかで両方の顔を行き来できるのが、この曲の面白さだと思う。
入門動線
この曲から広げるなら、次の1曲は「生命体」(2023)。異世界混合大舞踏会🛒楽天で踏み込んだシンセ主体の打ち込みポップが、より速く、より外向きに開花した曲。関連1枚としては、その先にあるEPLIGHTHOUSE🛒楽天(2023)を。派手なシングルとは真逆の、静かで思索的な星野源が同時期に走っていたことがわかる。踊る星野源と、考える星野源。両方を並べて聴くと、この人の2020年代がぐっと立体的になる。
補足——「feat. おばけ」というクレジットについて
もうひとつ、いま振り返って好きだなと思うのは「feat. おばけ」という、あの控えめに変なクレジットだ。ヒップホップやR&Bのfeat.文化を借りながら、参加者を人間ではなくおばけにする。冗談のような表記だけれど、これは同時に「制作の場に、目に見えないものが立ち会っている感覚」を音楽の様式に落とし込む試みでもある。
本人コメントによれば、制作中にいくつかの楽しい心霊現象に見舞われたので、来ていたおばけたちについでにコーラスを入れてもらった、と語られていた。ジョークとして流してもいいし、スタジオで音を積む作業の集中とトランス状態を、そう表現していると読んでもいい。どちらにせよ、feat.欄に人間以外を立てるという振る舞いは、後の楽曲での視点の広がり——人間だけでなく生き物、日常だけでなく非日常、こちら側だけでなくあちら側——にゆるやかに繋がっている。
細部の話に見えて、じつはこの曲が「歌モノの外側」に足を伸ばし始めた印として、いちばん象徴的な一行かもしれない。当時は笑って通り過ぎたクレジットが、いまはちょっと重く読める。そういう遅効性が、この曲全体に流れている。
まとめ——お祭りの音源が、設計図に見えてくる
2022年の夏、この曲は映画館のロビーや配信のプレイリストで、楽しい主題歌として受け取られた。それでよかったし、そう受け取ることに何の間違いもない。ただ、数年の距離を挟んでから聴き直すと、機材の選び方、打ち込みの解像度、アニメMVへの委ね方、非日常モチーフへの手の伸ばし方、そのどれもが、以降の星野源を準備していたのが見えてくる。
お祭りの音源が、設計図に変わる。ポップスの後追いって、こういう楽しみ方ができる。夜、音量を上げて、もう一度踊ってみてほしい。

コメント