King Gnu「Teenager Forever」を今聴き直す 白日の直後に置かれた一曲の意味

夜明けの街を走る車のヘッドライトと、揺れる若い季節の残像を思わせる抽象的なイメージ 楽曲

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King Gnu「Teenager Forever」がまた聴かれている。配信から5年以上経った曲が、いまチャートやプレイリストの端でしぶとく再生され続けているのは、あの頃は気づきにくかった芯が、時間を置いて見えてきたからだと思う。青春を終わらせない歌ではなく、青春という言い訳を静かに畳んでいく歌として、今のほうが芯に触れる。

2019年末、Teenager Forever🛒楽天が世に出た瞬間のことは、正直あまり覚えていない人も多いはずだ。直前に「白日」があまりに大きく鳴りすぎて、続く一曲がどれほど良くても、まず「白日の次」という枠で聴かれてしまう時期だった。だから当時のレビューの多くは、この曲の明るさやポップさを、白日の暗さの反射として語っていた。今読み返すとちょっと惜しい。もっと単体で聴かれてよかった曲だ。

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この曲の要点

  • 2019年12月20日に先行配信、2020年1月15日発売の3rdアルバム『CEREMONY』のリード曲。
  • ソニーの完全ワイヤレスノイキャンイヤホン「WF-1000XM3」と、ハイレゾウォークマン「NW-A100シリーズ」のCMソング。
  • MVはPERIMETRONのOSRINが監督。メンバー4人それぞれのプライベート・ドキュメンタリー構成で、井口はフィリピン、常田はロシア、勢喜はグアムでの新婚旅行、新井は母親に車を贈る場面が収められた。
  • 音源化前からライブで長く演奏されていた楽曲で、CDリリースは3rdアルバムでの初収録となった。

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「白日の次」ではなく「CEREMONYの入口」として読む

この曲は、白日の続編ではない。3rdアルバム『CEREMONY🛒楽天』の入口として設計された曲だ。ここを間違えると、いまでも「明るいだけの曲」に聞こえてしまう。

『CEREMONY』は「開会式」で幕を開け、「閉会式」で閉じる。式典の構造を借りて、1枚のアルバムを一つの通過儀礼に見立てた作りだ。そのなかで本曲は3曲目、序盤の光の側に置かれている。並びで言えば「開会式」→「どろん」→「Teenager Forever」→「ユーモア」→「白日」。影と光を交互に置きながら、白日にたどり着く導線になっている。この配置を意識して聴くと、Teenager Foreverは白日と対をなす明るさではなく、白日にたどり着くための呼吸として置かれていることがわかる。

当時のレビューの多くは、曲単位で消費される配信時代のリスナーを前提にしていた。それは間違いではない。ただ、King Gnuというバンドが本当にやりたかったのは、たぶん最初からアルバム単位の設計だ。彼らがその後リリースしていく作品を並べて振り返ると、シングル的なキャッチーさとアルバム的な構築を両立させる書き方に、常田大希は明らかにこだわっている。Teenager Foreverはその実験がはっきり見える初期のサンプルだった。

そう。だから今聴くべきなのは、この曲単体ではなく、この曲から白日までの5曲の流れだ。

ノイズキャンセリングのCM曲だったことの、いまわかる意味

タイアップは、ソニーのWF-1000XM3とハイレゾウォークマンNW-A100シリーズ。当時は「大手電機メーカーのCM」という枠で片付けられがちだったが、これはノイズキャンセリング機能を売る商品のCMだったという事実を、いま改めて重く見ておきたい。

ノイキャンイヤホンが売ろうとしていたのは、静けさだ。街の騒音を消して、耳の中だけを自分の時間にする道具。そこにこの曲が乗った。歌のテーマは若さや衝動の側にあるのに、届け先の設計は「一人で耳を塞ぐ時間」だった。この矛盾が、実はこの曲の一番おもしろい所だと思っている。派手なアンセムではなく、耳を塞いだ通勤電車の中や、深夜の徒歩5分で効くように鳴っている。

アレンジを聴いても、ドラムの抜けやベースの粒立ち、井口の高音域の伸びは、ハイレゾ機器での再生を意識したとしか思えない解像度で作り込まれている。イントロのシンセの空間処理、Aメロで抜けていくハイハット、サビ手前の一瞬の間。いい環境で聴くほど景色が変わる曲というのは、こういう作り方をしている。CMタイアップと楽曲の中身が、こんなに矛盾なく噛み合っているケースは、実はそんなに多くない。

MVを今見ると、これは「別れ」のドキュメンタリーだった

PERIMETRONのOSRINが監督したMVは、公開当時「メンバーそれぞれの素顔が見られて楽しい」という文脈で語られることが多かった。井口のフィリピン、常田のロシア、勢喜の新婚旅行、新井が母に車を贈るシーン。仲の良さと、まだあどけない4人の姿。

これを2020年代半ばのいま見直すと、少し違って見える。King Gnuはこの後、規模が一気に変わっていく。ドームクラスの会場、大型タイアップの連発、常田のmillennium paradeでの並行活動、井口のバラエティ露出。4人が同じ場所に集まって、同じ温度で遊ぶ時間は、あの頃と同じ形では戻ってこない。MVは無邪気なホームビデオに見えて、「この4人がこの距離感でいられた最後の時間」の記録として、後から意味を書き換えられた作品になっている。

PERIMETRON側のコメントで、常田が「取り巻く環境も出会う人たちも変わりながら突っ走ってきたけど、そんなの関係なく遊ぶかと言われて作った」という趣旨のことを話している。あの言い方も、今読むと少し切ない。変わっていくことをすでに知っていた人の言葉に聞こえる。

もう一つ、後から気づいたこと。この曲のMVで、常田がロシアに、井口がフィリピンに、それぞれ違う国に散らばっていた画作りは、後のKing Gnuの構造をすでに予告していた。バンドが一つの塊として動くのではなく、各メンバーがそれぞれ違う場所で違うものを見て、また戻ってくる。common studioを軸に、常田はmillennium paradeで別方向に走り、井口はソロや俳優仕事に手を伸ばす。それでも4人で戻ってくるとKing Gnuになる。あのMVは、その後の4人の動き方の縮図だった。当時は「メンバーそれぞれの休暇」に見えた画が、いま見ると「これからのバンドの働き方」の宣言に見える。

サウンドの設計 — なぜサビが「切なく」聞こえるのか

この曲を明るい曲として片付けられない理由は、コード進行にある。サビは一聴すると開放的なメジャー感で走り抜けるが、途中で挿し込まれるマイナー寄りの経過音が、光の中にわずかに影を残す。井口の声がいちばん抜ける音域を、その影の上に乗せているから、笑顔で歌っているのにどこか泣きそうに聞こえる。

もうひとつは、テンポ感だ。前のめりに走るBPMではなく、少しだけ余裕を残した速さで組まれている。この余裕が、聴き手に「立ち止まる余地」を与えている。ライブでの高揚感と、家で一人で聴いたときの感触が、これほどはっきり違う曲もそう多くない。フェスの終盤で歌う曲としての強度と、深夜のイヤホンで沈む曲としての強度を、両方持たされている。

常田大希の書法をここまで並べてきた曲順(白日、飛行艇、傘、そしてTeenager Forever)で振り返ると、彼は「明るい曲を明るいだけで終わらせない」ことに一貫してこだわっているのがわかる。明るさの中にわずかな翳りを混ぜる。翳りの中にわずかな救いを残す。そのバランス感覚が、後の「一途」や「カメレオン」まで真っ直ぐ繋がっている。

この曲が「効く」時間帯

個人的な観察として。この曲は、朝より夜のほうが強く効く気がしている。もう少し言うと、金曜の終電の一本手前、みんなが少し疲れて黙っている車両で、イヤホンから鳴り始めた瞬間に化ける。祝祭のBPMなのに、なぜか「終わり」の匂いがするからだ。

アンセムとして機能する時間帯(フェス、金曜の夜、卒業式のような節目)と、鎮静剤として機能する時間帯(帰路、失恋の翌週、転職前夜)を、両方持っている曲だと思う。ファンの間でも、「元気が出る曲」派と「泣ける曲」派で聴き方が分かれているのは、たぶんそのせいだ。あなたはどっち側で聴いてきただろうか。ここは結論を書かずに置いておく。

キャリアの中での位置 — 「橋」としての役割

キャリアの地図に置くと、この曲の位置ははっきりする。前が白日、後ろがCEREMONY以降の巨大化する King Gnu。その間に置かれた橋だ。

白日でバンドは一気に国民的な認知を得た。ただ、白日はあまりにも「陰の側」に振れた曲で、あのままの路線でシングルを続けていたら、バンドは早い段階で行き詰まっていた可能性がある。Teenager Foreverは、白日で開いた扉を、光の側にもう一度こじ開け直す役目を担った。この曲があったから、その後の「三文小説」や「一途」「カメレオン」といった多彩な振れ幅が、違和感なく受け入れられていった。

音源化前からライブでずっと演奏されていた曲だという事実も、いま振り返るとよくわかる。バンドが本当にやりたかったポップさは、実は白日より前からここにあった。売れる前から温めていたポップの原型が、白日のあとにようやくCM曲としてパッケージされて世に出た、という順序だったわけだ。だから、この曲は「白日の次」ではなく、むしろ「白日より前からあったもの」として聴かれるほうが自然だと思う。

「白日」と「Teenager Forever」の間にある温度差

2曲を並べて比較すると、書き手としての常田大希の器用さが見えてくる。白日は、罪や記憶をテーマにした、いわば内側に潜る曲だった。テンポの重心が沈んでいて、井口の歌い方も抑えめだ。対してTeenager Foreverは、重心を上に持ち上げて、井口の一番抜ける音域で走らせている。同じ人が同じ時期に書いたとは思えないほどの温度差があるのに、どちらもKing Gnuの音として成立している。

この振れ幅の広さが、後の彼らのキャリアを支える体力になった。ロックバンドとして、あるいはミクスチャーバンドとして、どこの音域でも書ける。この確認作業が、CEREMONYというアルバム全体のテーマだったと思う。Teenager Foreverはその中で「一番明るい振れ幅」を担当した。担当したというより、それしかできない立ち位置に自分から立った、という言い方のほうが近い。

正直、当時の自分はこの曲を白日ほど繰り返しては聴かなかった。派手さと分かりやすさが、逆に「軽い」と感じてしまった。数年経って戻ってきたら、軽く聞こえていた部分が、実は一番丁寧に作り込まれた場所だったと気づいた。曲の受け取り方が変わったというより、こちらが少し年を取っただけだ。

今こそ言える補助線 — 「青春の延命」ではなく「青春の閉じ方」

タイトルは「Teenager Forever」。10代よ、永遠に。当時はストレートな青春讃歌として受け取られた。SNSの反応も「若さ最高」「10代の頃を思い出す」といったトーンが多かったと記憶している。

ただ、この曲を出したとき、メンバーはもう20代の後半に差しかかっていた。10代の側の人間が「10代よ永遠に」と歌うのと、20代後半の側の人間が「10代よ永遠に」と歌うのは、意味がまるで違う。今聴くと、これは「青春を延ばそう」という歌ではなく、「青春という言い訳をどう畳んでいくか」の歌に聞こえる。畳むために、いったん明るく打ち上げる。花火のような曲だ。

5年以上が経って、当時この曲で泣いていた10代は20代半ばになり、20代だった人は30代になった。曲の意味は聴き手の年齢に合わせて自動的に更新されていく。この曲がいまだにプレイリストで生き残っているのは、たぶん「もう若くない」と感じ始めた人たちが、自分の輪郭を確かめるために再生しているからだ。

ライブでの育ち方 — 音源より、生で強い曲

もうひとつ、後から効いてくる事実。この曲は音源化される前から、King Gnuのライブで長く演奏されてきた曲だ。つまり、スタジオで作って世に出したのではなく、ライブハウスの熱で先に育って、その熱をそのまま音源に閉じ込めた曲だということだ。

この作られ方は、あとから聴くとかなり大きな意味を持つ。今のKing Gnuはドームクラスの箱で演奏している。ライブハウスで4人が汗をかいて鳴らしていた頃の距離感は、もう戻ってこない。Teenager Foreverは、その距離感がまだ生きていた時期の記憶を保存している曲だ。ライブ映像で見返すと、フロアと同じ高さでバンドが鳴らしている時間の質感が、そのまま音源に染み込んでいるのがわかる。

ライブの現場で先に育つ曲は、音源で聴いたときにも独特の「間」が残る。ミックスでは消しきれない、生演奏由来の呼吸だ。この曲のサビ前の一瞬の溜めや、Bメロからサビへのつなぎ目の粘りは、たぶんスタジオで発明された類のものではない。ライブで何度も鳴らしているうちに、4人の身体に染み込んだタイミングが、そのまま定着している。

聴きどころ3点

  • サビの開放感の下に混ざるマイナー寄りの経過音。笑顔と涙の同居がここで作られている。
  • Aメロで抜けるハイハットの粒と、サビ手前の一瞬の間。ハイレゾ想定の解像度で作り込まれた空間設計。
  • MVのプライベート映像。4人が同じ距離感でいられた時期の、後から意味が変わる記録として。

入門動線

この曲から広げるなら、次の1曲は同じアルバム収録の「どろん」。Teenager Foreverの光の側を支えていた影の側で、この2曲を並べて聴くと『CEREMONY』の陰陽の設計がはっきり見える。関連1枚は当然『CEREMONY』全編通し。「開会式」から「閉会式」まで、飛ばさずに一度通して聴いてほしい。1曲ずつ配信で摘まみ食いしてきた人ほど、通して聴いたときの印象が変わる。

チャート・受容のいま

数字の細かい話は公式の集計に譲る。ただ、配信から年数が経ったいまも、季節の変わり目や卒業シーズンにストリーミングの順位が動く曲であることは、ラジオのオンエア動向や再生数の推移を追っているとわかる。旬の一発ではなく、カレンダーに紐づいて毎年少しずつ再生される種類の曲になった、ということだ。

King Gnuの近作を先に知って、この曲に遡ってくる若いリスナーも増えている。「一途」や「カメレオン」から入って、Teenager Foreverまで来た人は、たぶん少し戸惑うはずだ。今のKing Gnuより、声がまだ若い。演奏が少しだけ荒い。でも、その荒さが逆に、当時のバンドの体温を残している。完成された今の彼らからは聞こえない何かが、ここには入っている。

まとめ — 5年後にまた意味が変わる曲

Teenager Foreverは、リリース当時に受け取り損ねた意味を、聴き手が年を取るごとに少しずつ回収していく曲だ。青春讃歌として聴いた10代は、いつか青春の閉じ方の歌として聴き直す。CMソングとして流し聴きした人は、いつかノイキャンイヤホンで一人になった夜に、この曲のもう一つの表情に気づく。

King Gnuというバンドを、シングル単位で追ってきた人にこそ、いま『CEREMONY』ごと聴き直してほしい。この曲は、そのアルバムを開けるための鍵として置かれていた。鍵の役目に気づくまで、少し時間がかかっただけだ。

まずこの作品から聴く

  • CEREMONY — 本曲を含む3rdアルバム全体像
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  • 白日 — 直前のブレイク曲、対比の軸
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  • どろん — 同時期のシングル、影の側
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  • — CEREMONY内のバラード対比
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