suis “猫日” 徹底解剖 キタニタツヤが引いたヨルシカとの距離

窓辺で猫と過ごす午後の光を思わせる、やわらかなパステル調の抽象イメージ 楽曲

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2026年7月17日に配信された「猫日(ねこじつ)」は、ヨルシカのボーカルsuisがソロ名義「suis from ヨルシカ」で放った新作。TVアニメ『猫と竜』のオープニングテーマとして届けられ、放送開始から数週で配信各所のアニメ関連チャートに顔を出している。ここで書き留めておきたいのは、順位よりもむしろその温度のことだ。

この曲についての核心を、先に一文で置いておく。猫日は「特別な日」ではなく、失われて初めて特別だったと気づく「なんでもない毎日」を、通奏低音のように鳴らし続ける歌だ。順位表の上下より、この一点で語られるべき曲だと思う。

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この曲の要点

  • 猫日🛒楽天は2026年7月17日にデジタルシングルとして配信リリースされた、suis from ヨルシカの新曲。
  • TVアニメ『猫と竜』(2026年7月放送開始、TOKYO MXほか)のオープニングテーマ。
  • 作詞はsuis本人、作曲・編曲はキタニタツヤ。ヨルシカのn-bunaは制作に関わっていない。
  • MVはクリエイターのふわぽにが制作。猫とカップルの日常を優しく描く。
  • レーベルはPolydor Records(ユニバーサル ミュージック)。楽曲は約3分のコンパクトな尺。

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ヨルシカのsuisが、ソロで歌うということ

まず整理しておきたいのは、これはヨルシカの新曲ではない、ということ。「suis from ヨルシカ」という表記は、バンドのボーカル一人が、バンドの枠から少しだけ足を伸ばして立つときの名前だ。作詞・作曲を担うn-buna(ナブナ)が関わっていない、というのが決定的にちがう。

この名義でのソロ活動は、2021年の「平行線」あたりから緩やかに続いてきた。2024年にはフジファブリックの名曲を歌い直した「若者のすべて」も出している。ヨルシカの本編で聴くsuisは、物語の語り手としての彼女、n-bunaが書いた小説のような詞世界を、ときに突き放し、ときに寄り添って読み上げる声だ。一方で、ソロで聴くsuisは、その手から一度離れて、もう少し素の温度で歌う。「猫日」を聴いて最初に感じるのは、たぶんこの温度差だと思う。

そう。ヨルシカ本編の「花に亡霊」や「だから僕は音楽を辞めた」の系譜で身構えて聴くと、拍子抜けする。もっと近い。もっとやわらかい。

興味深いのは、今回、作詞をsuis自身が担っていること。ヨルシカにおいて詞の設計はn-bunaの仕事なので、この一点だけでも「猫日」はsuis個人の視座に踏み込んだ作品と言える。歌う人が書く言葉は、歌わされる言葉と当然ちがう。母音の伸び、子音のかみ合わせ、息継ぎの位置。歌い手の身体が最初から言葉に埋め込まれる。

作曲・編曲キタニタツヤという補助線

楽曲面を握っているのがキタニタツヤ、というのは今作の性格を決定づけている。ソロ・アーティストとしての彼を「青のすみか」(『呪術廻戦』渋谷事変OP)で知った人は多いだろうが、キタニは2017年頃から作家としても楽曲提供を続けてきた人で、バンドsajou no hanaでも活動している。ボカロP出身で、生バンドの手ざわりも扱え、ポップスの語彙が広い。

その彼が「猫日」でやっているのは、驚くほど引き算のアレンジだ。キタニ自身の楽曲にあるダークで密度の高いギターの積み方、あるいは呪術で見せた疾走感。そういう「押し出す」書法をここでは封じている。かわりに、日常のBGMとして家の中で鳴っていても違和感のない、ミドルテンポの穏やかな躯体を組んでいる。イントロの入り方を聴くと、その意図がはっきりわかる。楽器がフルで入り切らない。空間を残している。

これは、suisという歌い手の「近さ」を殺さないための設計だと思ってる。ヨルシカ本編ではn-bunaのアレンジがしばしば疾走したり大きなダイナミクスを描いたりするので、suisは物語の登場人物のように大きく振れて歌う必要がある。「猫日」ではその必要がない。だからsuisは、目の前で話しかけるくらいの距離感で歌える。キタニのアレンジは、その距離を守るための壁の低さとして機能している。

キタニ×suisというカードは、界隈的にも「見たかった組み合わせ」だった。ヨルシカとキタニは、n-buna・キタニがともにボカロシーン出身で、共通するファン層が厚い。両者のクロスは以前から待望されていて、それがsuisのソロという形で、しかも作曲・編曲を全面的にキタニが握るという形で実現したのは、シーンにとって小さくない事件だと思う。

もう少しキタニタツヤの側から見ておきたい。彼は1996年生まれ、2014年頃からネット上に楽曲を公開しはじめ、ボーカロイド楽曲の作り手としても知られる。ソロ・アーティストとしての名を一気に広げたのが2023年の「青のすみか」で、以後、他アーティストへの楽曲提供の依頼が加速している。作家キタニの引き出しの深さは、この数年で急速に外に見えるようになった。

そのキタニが、自分のソロで得意としてきた「湿度の高い疾走ロック」の対極にあるアレンジを、あえてsuisのソロに提示している。ここが面白い。作家仕事において、自分の代表色をそのまま乗せる書き手と、相手に合わせて色をゼロから作る書き手がいて、キタニは明らかに後者だ。「猫日」で聴こえる乾いたポップスの質感は、キタニ本人の作品を通ってきた耳には、むしろ新鮮に映る。

「猫日」というタイトルの発明

タイトルは「ねこじつ」と読む。「祝日」「平日」「休日」。日本語で「〜日」と付く語のほとんどはカレンダーの区分を指すが、「猫日」はどこにも存在しない。造語だ。

この造語のうまさが、この曲の入口をほぼ決めている。特別ではない、けれど自分にとってだけは特別な、猫と過ごすなんでもない一日。それに名前がついた瞬間、聴き手は自分の家の窓辺やソファや、飼っていた猫の背中の匂いを思い出し始めている。名前をつける、というのはそういう魔法だ。

suisはリリース時のコメントで「あたりまえに勝る特別はありません」という主旨のことを書いている。祝日じゃなかったあの毎日を、いま羨ましく思う、というニュアンスの短い文章で、これが曲の裏地になっている。歌詞そのものには触れないが、この裏地を知ってから聴くと、軽快なメロディの下に流れているものがくっきり見えてくる。楽しいだけの曲ではない。むしろ、失われてから気づく類いの温度を、笑いながら歌っている。

アニメ『猫と竜』との相性

タイアップ元は、宝島社刊のライトノベル『猫と竜』を原作とするTVアニメ。原作はアマラ、キャラクター原案は大熊まい。制作はOLM。「小説家になろう」発の作品で、猫に育てられた竜と、猫たちと人間たちが織りなす日常ファンタジーだ。派手なバトルよりも、種族の違うもの同士の穏やかな共生を描く作品として知られる。

この作品世界に「猫日」がハマる理由は、たぶん二段構えになっている。表面的には、猫が中心にいる物語なので猫がテーマの主題歌は当然フィットする。ただ、それだけならもっと賑やかな曲でもよかったはずだ。この曲がハマっているのは、原作が持つ「なんでもない日常こそ尊い」というトーンと、「猫日」の裏地が完全に同じ方を向いているから。竜と猫と人間が同じ卓を囲む景色は、日々の反復のなかで少しずつ深まっていく類いの豊かさで、それはsuisが歌う「あたりまえ」と地続きだ。

アニメOPは90秒でその作品のトーンを提示する仕事だが、この曲は「入り」の軽快さで視聴者を掴みつつ、繰り返し観るうちに切なさが染みてくる二層構造になっていて、OPとして息が長い。放送が進むにつれて、視聴者の中での意味が変わっていくタイプの曲だと思う。

プロダクションを聴く——アレンジの目立たない仕事

聴きどころ3点

  • イントロの余白:楽器数を意図的に絞り、部屋に置いた小さなラジオから聴こえるような距離感を作っている。ここでリスナーの姿勢を「近い」に切り替えている。
  • サビの伸ばし方:大サビでもsuisは張り上げない。息を混ぜたまま、日常の会話の延長のような音量で通す。これがヨルシカ本編との一番の差。
  • アウトロの短さ:3分弱でストンと終わる潔さ。祝祭ではなく日常の一場面として、余韻を長く引かない。名残惜しさは聴き手側に置いていく設計。

キタニタツヤのアレンジをもう少し具体的に見ると、コード進行はポップスの王道の範囲に収めつつ、ドラムのフィルやベースの動きで細かく起伏を作っている。派手なブレイクや転調で驚かせにいくのではなく、聴き終わって「なんで良かったんだろう」と首をかしげさせる方の設計。作家仕事として、これはかなり玄人の匙加減だと感じる。

suisのボーカル処理も注目したい。ヨルシカ本編ではリバーブを大きめに取って「物語の中の声」として響かせる処理が多いが、「猫日」ではリバーブがぐっと浅い。声の粒がそのまま届く。歌い手の呼吸まで聴こえる距離。この乾き気味のミックスは、キタニ側のスタンスなのか、suis側の要望なのかはわからないが、確実にこの曲の体温を決めている。

もうひとつ、この曲の作りで見逃せないのがテンポとリズムの設計。派手なBPMではないが、拍の裏の抜き方が絶妙で、聴いていると自然と身体が揺れる。ダンスのための曲ではないのに、家事をしながら小さく肩が動くタイプの揺れ。これはキタニのリズム感覚の妙で、ボカロ出身の作家によく見られる打ち込みの精密さと、生バンドの経験を持つ人の呼吸感が同居している。「なんとなく気持ちいい」の裏側には、けっこう緻密な仕事がある。

コーラスワークにも触れておきたい。「猫日」ではsuis自身のダブリング(同じフレーズを重ねる処理)が控えめに使われていて、主旋律のすぐ後ろに、ほんの少し薄い自分の声が寄り添う。合唱のような分厚さは目指していない。孤独ではないけれど、大勢でもない。ちょうど「一人と一匹」くらいの厚みで声が並ぶ。これが猫と暮らす人間の主観と重なる。

MVという第三の作者——ふわぽに

ミュージックビデオを担当したのはクリエイターのふわぽに。以前「若者のすべて」のジャケットや、平畑徹也「先日はロマンス feat. suis from ヨルシカ」のMVも手がけている作家で、いわばsuisのソロ活動を視覚面から支え続けてきた人だ。

今回のMVでは、猫とカップルが暮らす日常を、やわらかな線と光でひたすら描いている。ドラマチックな事件は起きない。ただ、朝が来て、猫が起きて、人間も起きる。それが繰り返される。この「事件が起きない」映像を3分間持たせるのは、実はかなり難しい仕事で、キャラクターの表情の微差や光の角度の変化で退屈させない構成にしている。

音楽・詞・映像の3つが揃って、はじめて「猫日」というプロジェクトの全景が見える。曲だけ聴いてもいい、MVを観てもいい、アニメOPで出会ってもいい。入口をどこに置いてもたどり着く先が同じ温度になるように設計されている。これは、シングル1曲というより、ひとつの小さなコンセプトワークに近い。

ここで話をアニメの側にも少し戻したい。『猫と竜』の原作は、宝島社刊のシリーズで、単行本9巻・文庫本を含めて長く読み継がれてきた作品だ。「小説家になろう」発で、短編としては異例の日間ランキング1位を獲得した実績もある。派手なバトルファンタジーが目立つ「なろう」市場のなかで、猫と竜と人間の日常を淡々と綴るこの作品が支持され続けてきた事実は、それ自体が示唆的だ。読者は、派手さより手ざわりを選んだ。

「猫日」がこの作品の顔として鳴っていることの意味は、そこにある。原作の読者が10年近くかけて育ててきた温度と、suisのソロが選んだ温度が、偶然ではなく必然のように合致している。制作サイドがどれだけ考えて主題歌を選んだかがわかる。

suisのキャリアの中での位置づけ

suisはヨルシカのボーカルとして、n-bunaの物語を歌う「器」としての強さで名を上げてきた歌い手だ。だからこそ、ソロ活動は「器の中身」を垣間見せる場になる。2021年の「平行線」(ABEMA『恋する週末ホームステイ』主題歌)、2024年の「若者のすべて」カバー、そして2026年の「猫日」。並べてみると、いずれも「日常の目線の高さ」で歌われている点で共通する。

ヨルシカ本編がしばしば「一度きりの物語」を語る装置だとするなら、suis from ヨルシカ名義は「繰り返される日々」を歌う装置なのかもしれない。今回、suis自身が作詞に踏み出したことで、その輪郭はさらに濃くなった。ヨルシカのファンにとっては、n-bunaが書かなかった詞をsuisが歌う、という体験そのものが小さな発見だ。

ちなみに、彼女が水曜日のナビゲーターを務めるJ-WAVE「GRUUVE BUNCH」(「GURU GURU!」内コーナー)で先行OAされていて、ラジオを日常的に聴く層にも自然に届く導線が引かれていた。プロモーション設計としても、この曲の「日常に馴染む」というテーマと一貫している。

ヨルシカという枠を一度外して聴くと、suisの声のレンジの広さがよく見える。本編では、n-bunaが用意した物語の起伏に合わせて彼女は大きく振れる。語り出しの小声から、感情のピークでの伸ばし切りまで、演劇的にコントラストをつけて歌う。ソロの「猫日」ではそのコントラストを意図的に平らに均している。プロの歌い手が「歌いすぎない」という選択をとるのは、実はかなり難しい。歌唱表現の器用さを見せることを我慢して、曲の温度を優先している。

この「歌いすぎない」を選べる歌い手の強さを、自分は久しぶりに感じた。表現の抑制は、器用さを見せる派手さより、聴き手の生活の近くに残るからだ。

チャートでの動きと、その外側にあるもの

配信リリースはアニメ本編の放送開始とほぼ同時期。夏アニメの主題歌群のなかで、この曲はどっしり構えるタイプではなく、じわじわ浸みるタイプで生存戦略を組んでいる。配信各所のアニメ関連プレイリストや、視聴者のショート動画での二次利用を通じて、じわりと届いていくカーブが見えている。

正直、この曲は初動の派手さより「クールが終わってからの残り方」で真価が決まると思ってる。アニメの最終話が近づくにつれて、視聴者の中で意味が濃くなっていくタイプの主題歌。だから、いまリアルタイムで放送を追っている人は、最終話を観たあとにもう一度この曲を頭から聴き直すことをおすすめしたい。同じ曲が違って聴こえるはずだ。

数字の話をあえてしないなら、この曲の勝ち筋は「何年か経ってから聴き返したくなる曲」の棚に入ることだ。特別な日のためのアンセムではなく、なんでもない日のBGMになる曲。棚の位置としては地味だが、長く聴かれる棚。suisとキタニタツヤという才能の組み合わせが、その棚を狙って正確に置きにきた、というのが自分の見立て。

入門動線

「猫日」から次に聴くなら、まずsuis from ヨルシカのソロ曲「若者のすべて」(2024年配信)。フジファブリックの原曲を、彼女の日常目線でどう歌い直したかを聴くと、「猫日」で発揮されている距離感の正体が腑に落ちる。もう一歩踏み込むなら、作曲を担ったキタニタツヤの「青のすみか」(2023年、『呪術廻戦』渋谷事変OP)を並べて聴きたい。同じ書き手が、疾走で押す設計と、余白で残す設計をどう使い分けているかがはっきり見える。

そのうえで、ヨルシカ本編の直近作、たとえばアルバム『幻燈』に戻ると、n-bunaの物語装置とsuisのソロの体温の差が、より立体的に見えるはずだ。この3枚を横に並べて聴く週末は、たぶん退屈しない。

おわりに——名前をつけることの静かな強さ

「猫日」という3文字は、聴き終わったあと、自分の日常のなかに小さな旗を立てる。今日はなんでもない日だったけど、そういえば猫のいた午後だったな、と思い返すためのしおり。suisとキタニタツヤと、そしてふわぽに。3人の作家が、それぞれの持ち場で丁寧に低く鳴らしたこの曲は、たぶん流行のピークが過ぎたあとに、もう一度誰かの部屋で鳴り始める。そう思ってる。

ヨルシカのファンにとっても、キタニタツヤのファンにとっても、『猫と竜』のファンにとっても、それぞれ違う入口から入ってきて、同じ場所に着地する曲。3分の中でそれをやってのけている、というのがこの曲の静かな凄みだと思う。

まずこの作品から聴く

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  • 青のすみか (キタニタツヤ) — 作曲家の別モード
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  • 幻燈 (ヨルシカ) — 本編との温度差を比較
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  • 平行線 (suis from ヨルシカ) — ソロ活動の起点
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