大森元貴という書き手の名前を、いつから意識するようになっただろう。バンドの再集結が発表された2022年の夏、あるいは配信で数字が跳ね続けた2023年の秋、たぶん人によって入口が違う。ただひとつ共通しているのは、この人の曲は「聴き流させてくれない」ということ。メロディの真ん中に、いつも何かが立っている。
Mrs. GREEN APPLEのフロントマンにして、全楽曲の作詞・作曲・編曲を一手に担う人。ソロ名義でも作品を出す人。そしてバンドの絵作りにまで手を伸ばす人。肩書きを並べるだけで疲れる。ただ、彼の凄みは兼任の多さではなくて、そのどれもが「同じ体温で通っている」ことにある。チャートの順位表に載る前に、彼が積み上げているのは”一人の作家の生活史”みたいな連続性だ。
このアーティストの要点
- 大森元貴は1996年9月14日生まれ、東京都出身。5人組バンド Mrs. GREEN APPLE のボーカル兼ギターで、バンドの全楽曲の作詞・作曲・編曲を担う中心人物。
- バンドは2015年にEMI Records(ユニバーサル ミュージック)からメジャーデビュー。2020年に「フェーズ1完結」として活動を一区切りし、2022年に「フェーズ2」として再始動した。
- 2021年にはソロプロジェクトを始動し、3曲入りEP『French』でソロデビュー。バンドとは別の一人称で書く場を持っている。
- 近年は配信ヒットとフェス動員の両方で存在感を強め、日本のポップ/ロックシーンで最も指名されるソングライターの一人になっている。
いま彼の名前が並ぶ理由
結論から言うと、大森元貴が今のチャートで強いのは「曲がよく回る場所を、複数持っているから」だ。テレビの主題歌枠、配信のプレイリスト、SNSで踊られる短尺、フェスの終盤に鳴る合唱曲。それぞれ求められる形が違うのに、彼はそのすべてで結果を出せる引き出しを備えている。1つのヒットで説明できる作家ではない。
そう。ここ数年の彼を追ってきた人ならわかると思うのだけど、シングル1曲ずつの寿命がとにかく長い。リリースから半年経っても再生数の伸び方が鈍らない。ふつう配信時代は消費が速いはずなのに、彼の曲は”数ヶ月かけて広がる”タイプの動き方をする。テレビで流れて、学校で聴かれて、フェスで歌われて、また戻ってくる。この循環を作れる書き手が、いま日本にどれくらいいるだろう。
チャート上位に居続けることそのものより、「消えないカーブ」を引けることが強い。数字は瞬間の写真に過ぎない。彼が積んでいるのは、もう少し長い時間軸の資産だ。
プロフィールと歩み — 個人史としてのMrs. GREEN APPLE
大森元貴は1996年9月14日、東京都に生まれた。バンド名の由来やメンバー編成の話は他所に譲るとして、注目したいのは彼が「小学生の頃から曲を書いていた」という部分。10代の前半にはすでに、自分の手癖として楽曲のフォーマットを持っていた作家だ。同世代のシンガーソングライターと比べても、”書き始めた時期の早さ”は際立っている。
Mrs. GREEN APPLE は2015年にEMI Records(現ユニバーサル ミュージック内のレーベル)からメジャーデビュー。当時の彼はまだ18歳前後で、それでもファーストアルバムの段階でバンドサウンドの土台と歌モノとしての強度を両立させていた。初期作の完成度は、いま聴き直しても「よくこの年齢でここまで書けたな」と素直に思う。ピアノもホーンもストリングスも、必要とあれば躊躇なく入れる。ロックバンドという入れ物の使い方が、最初から広かった。
2020年、バンドは「フェーズ1完結」という形でいったん活動に区切りをつけた。解散でも休止でもなく、章を閉じる。この表現の選び方に、この人の作家性が出ている気がしてならない。作品を「時期ごとの物語」として捉える視点。連続するアルバム群を、単なる年表ではなく一つの長編として扱う姿勢。バンドとしての区切り方すら、彼にとっては作品の一部だったのだと思う。
その空白期間に大森は、2021年にソロプロジェクトを立ち上げた。3曲入りEP『French』でソロ名義のデビュー。バンドという集団の看板を外して、一人称のまま書く場所を確保した。この時期のインタビューでの発言を追っていくと、彼が「バンドの大森元貴」と「ソロの大森元貴」を明確に分けて設計していたことがわかる。似た顔をしているようで、書き方の温度が違う。
そして2022年、バンドは「フェーズ2」として再集結する。ここから先の動きの速さは、たぶん誰の想定も超えていた。配信のヒット、大型フェスの動員、テレビ露出。フェーズ1で積んだ土壌の上に、ソロで磨いた作家性が乗った。二段ロケットで飛んだ、と言うと乱暴だけど、実感としてはそれに近い。
音楽性の核 — 「明るさ」の使い方が上手すぎる
大森元貴の音楽の核は何かと聞かれると、私はいつも「明るさの操作」と答える。彼はメジャーコードの扱いが本当にうまい。ふつう、ポップスで長調のメロディを長く続けると、途中で耳が飽きる。単調に感じ始める。ところが彼のメロは、明るいまま最後まで走り切っても飽きが来ない。理由はいくつかある。
ひとつはコード進行の細やかさ。同じキーの中でも、途中に借用和音や転調のフックを差し込んで、耳の座標を微妙にずらしていく。もうひとつはメロディの跳躍幅。無理な跳ね方をしないのに、フレーズの頭で音を上に持ち上げて、そこから降りていく形が多い。歌い出しの時点で場面が一段高いところに置かれる感じ、と言えばいいだろうか。
そして歌詞の側で、明るいメロディの下に重い題材を潜ませてくる。祝祭のような音の上に、生きることのしんどさが同居している。この二層構造が、彼の曲を「表面的なハッピーソング」から遠ざけている。初期作の『Speaking』や『Just a Friend』を今の代表曲と並べて聴くと、この二層構造は昔からずっと変わっていない。手法として一貫している。
編曲の話もしておきたい。彼の曲はストリングスや管楽器、ピアノの入り方が贅沢だ。バンドの4ピース/5ピース編成に閉じない。ロックバンドを名乗りながら、実質はスタジオで組み上げるポップ・オーケストラに近い時期の作品が何枚もある。フェーズ2以降はよりダンサブルな方向、四つ打ちやシンセの前景化も目立つ。「明るくてよく踊れて、でも歌モノとして強い」領域を、この人はずっと更新している。
聴きどころ3点
- メロディの跳躍と着地:頭の音を高い位置から始めて、サビで気持ちよく降ろす。歌い出しで景色を切り替える設計が徹底している。
- 明るいサウンドと重いテーマの同居:祝祭的なアレンジの下に、喪失・不安・自問がある。二層構造が飽きさせない。
- 編曲の贅沢さ:ストリングス、ホーン、シンセ、コーラス。バンド編成の外側の音を、必要ならためらいなく入れる。
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代表作・ディスコグラフィの読みどころ
代表作の話を、時系列で少しだけ。まず初期のVariety🛒楽天(2016年)。バンドとしての最初のフルアルバムで、10代の作家がここまで振れ幅を持って書けるのかと当時ざわついた一枚。ポップスとロックのあいだで、まだ迷いながらも既に軸ができている。
次にENSEMBLE🛒楽天(2018年)。ここでバンドの色が一気に広がる。ホーンやストリングスの使い方、コーラスワーク、曲の中の場面転換。ライブ映像を見ると分かるが、この時期からライブの盛り上がり方が「合唱系」に完全に移行している。観客が声を出すことを前提にした曲設計が、この頃から明確になった。
フェーズ1の締めくくりに位置するのがAttitude🛒楽天(2019年)。バンドの初期衝動と作家としての成熟が、ちょうど交差した地点にある作品。ここまでを一つの章として閉じたうえで、大森はソロEPFrench🛒楽天(2021年)に向かう。バンドの外側で、内省的な一人称の場所を試している。フェーズ2以降の曲作りの下地は、ここで整えられた気がする。
そして再始動後のバンド作品ANTENNA🛒楽天(2023年)。フェーズ1と比べて、明らかにビートが強くなっている。四つ打ちの推進力、シンセの前景化、コーラスの立体感。ポップネスは維持したまま、ダンスミュージックとしての側面が押し出された。ロックバンドの器で、いま最も広い層に届く音を鳴らそうとしている——その意思が全体に貫かれている。
個々のシングルにも触れておくと、フェーズ1時代のポップアンセム群と、フェーズ2以降の配信ヒット群では、明らかに設計思想が違う。前者はアルバムの一曲として置かれても機能する強度で書かれているのに対し、後者は単曲でストリーミングを回るように、イントロの短さ、サビの引きの強さ、TikTok的な尺の切り取りやすさまで意識されている。この切り替えを、同じ書き手が同じクオリティでやってのけているのがこの人の異常な地力だ。
ソロ名義「大森元貴」という別室
ソロプロジェクトについても少し。2021年のEP『French』でスタートして以降、大森はソロ名義でもコンスタントに作品を出している。バンドの大森元貴とソロの大森元貴、何が違うのか。私の聴き方だと、ソロの方は”編曲の贅沢さ”を一段抑えて、書き手の一人称を前に出している印象がある。バンドが持つ祝祭感を、あえて一度手放している。
正直に言うと、ソロを聴いてからバンドに戻ると、バンドの曲が別の景色に見える。バンドの合唱パートの一つひとつが、実は個人の独白として書かれていたことに気づく瞬間がある。ソロは、バンドの補助線みたいに機能している。この二つを行き来する経験は、長年のファンにとっても新鮮な発見が多いはずだ。
カルチャー的な文脈 — 「バンドで売れる」の再定義
2010年代後半以降、日本のロックバンドが置かれた状況はけっこう厳しかった。配信の主役はソロシンガーやユニット、あるいはボーカロイド発の楽曲になり、フェスの中心にはヒップホップやポップの色が濃くなっていく。「バンドで書いてバンドで売る」ことのハードルは、たぶん00年代より一段上がった。
そんな中でMrs. GREEN APPLE がやってきたのは、バンドという形を守りながら、書き方を配信時代に合わせていく作業だ。「バンドサウンドの中に、配信で映える設計を潜ませる」。この言い方でしか説明できない。ギターのリフを立てながら、シンセの色も入れる。合唱を意識しながら、短尺で切り取れるフックも用意する。この折衝を、大森はほぼ一人で背負ってやっている。
もう一つ、彼のカルチャー的な貢献として、「明るい曲でも本気で書ける」という前提を若い世代に示したことがある。ロックの文脈だと、暗さ・怒り・葛藤を書くことに正しさが偏りがちだった。ミセスは明るさを本気で書く。祝祭を軽薄と呼ばせない。この姿勢がどれだけ若いバンドの背中を押したかは、この先数年で見えてくるはずだ。
いまチャートでの立ち位置
チャートの数字の話は、正直あまりしたくない。数字はスナップショットで、彼らの本質は瞬間の順位より、その持続時間にあるからだ。ただ事実として、フェーズ2以降のミセスは、配信・CD・カラオケ・SNSの複数指標で年間クラスの成績を出し続けている。一発ヒットではない、複数曲が長く回り続けるタイプのチャートポジションを取っている。
これが何を意味するかというと、リスナー層が固まって新規流入と両立している、ということ。既存ファンが離れずに、新しく入ってきた人も定着する。この双方向がないと、複数曲を長く回すカーブは描けない。ラジオでの選曲、テレビでの露出、フェスでの合唱、そのどれかに寄り切らずに、全部で均等に強い。バランスの取り方が上手い、では説明が足りない。設計思想として全方位を初めから狙っている。
これから聴くならどこから
初めて聴く人にどこから薦めるか、これは毎回悩む。バンドの入口とソロの入口で違うし、フェーズ1とフェーズ2でも違う。無難に言えば、まずは近年のヒット曲をシングル単位で聴いて、それからフェーズ1の代表アルバムに戻る流れが分かりやすい。今の音でこの書き手を掴んでから、遡って「初期からこの色があったのか」と気づく順番。
アルバム単位で味わいたい人には、フェーズ2の総括的な一枚である『ANTENNA』をまず勧める。バンドの現在地が、たぶん一番くっきり見える。そこから遡って、フェーズ1の集大成である『Attitude』、初期の到達点である『ENSEMBLE』。ここまで来れば、ソングライター大森元貴の輪郭はかなり見えるはずだ。
ソロの方に興味が出たら、EP『French』から。バンドの祝祭を一度手放した、静かな別室の音。バンドの曲を新しい角度で聴き直すための補助線として、これほど機能する作品もない。
まずこの作品から聴く
- ANTENNA — フェーズ2の現在地
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入門動線
- まずこの1曲:フェーズ2以降のシングルヒットから1曲。配信で最も回っている曲を選べば、いまの音の輪郭がすぐ掴める。
- 次にこの1枚:アルバム『ANTENNA』。フェーズ2のバンドの現在地を、10曲以上の連続で味わえる。
- 深めるならこの1枚:フェーズ1の集大成『Attitude』。初期の衝動と成熟のちょうど交点。ここまで聴くと、この作家の連続性が腑に落ちる。
周辺の作家性 — アートワークとMVまで自分で見る人
楽曲以外の話も少しだけ。大森は Mrs. GREEN APPLE の作品のアートワークやミュージックビデオのアイデアにも関わっている。ジャケットの色使い、MVの構成、タイトルロゴのトーン。作品を「音」だけで完結させず、視覚を含めた一つのパッケージとして設計している。この「絵まで自分で見る」姿勢は、いまのバンドでは珍しくなってきた。
MVを何本か続けて見ると、映像の中に反復するモチーフがあることに気づく。円形の構図、光の粒、色の飽和。曲ごとに演出のスタッフは変わっても、”作品全体の色調”は途切れずに繋がっている。この一貫性はたぶん、彼が最終判断を握っているから生まれる。音と絵と言葉、すべてが同じ設計図から出ている感じ、と言えばいいだろうか。
結局、大森元貴という人
まとめに入る。大森元貴は、たぶん今の日本のポップスで最も器用な作家の一人だ。器用、という言葉を軽く使いたくないのだけど、他にうまい言い方が見つからない。バンドとソロを分けて設計できる。明るい曲と重い題材を同居させられる。合唱曲と短尺曲を同じ手で書ける。フェスの終盤とカラオケのど真ん中を両方取れる。
それでいて、どの曲にも同じ人の指紋が押されている。ここが決定的だと思っている。器用な作家はたくさんいるけど、器用さを”作家性の希薄さ”に変えずに済んでいる書き手はそう多くない。彼はメロディの跳躍、コード進行、明るさの下の重み、この三つで自分の署名を毎回残していく。だから何曲聴いても、飽きないのに散らばらない。
フェーズ1、ソロ、フェーズ2。この連続を一本の作家史として読むと、大森元貴という書き手のスケールが少しずつ見えてくる。今週のチャートは通過点でしかない。10年後、20年後にこの人の作品群をまとめて聴き直したときに、いまが「面白い時期だったな」と振り返られる。そう思ってます。


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