Vaundy「かげろう」を読み解く 甲子園に’応援歌ではない応援歌’を書いた理由

夕暮れの陽炎と、無人のグラウンドの土が揺らいで見える抽象的なイメージ 楽曲

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Vaundyが2026年7月15日にリリースした新曲かげろう🛒楽天が、夏の甲子園と一緒に走り出している。2026 夏の高校野球応援ソング/『熱闘甲子園』テーマソングとして書き下ろされた曲で、TOKIO HOT 100 のチャートでも夏の顔として浮上してきた。励ましの声に馴染めない人間のための、静かに背中を押す応援歌。それが「かげろう」の輪郭だ。

面白いのは、これが「頑張れ」と叫ぶ曲ではないこと。むしろ本人が意識的に、そこから距離を取っている。応援ソングというジャンルに、Vaundyが自分のやり方で角度を付けた一曲、と言っていい。

ちなみに、Vaundyがこの規模のスポーツタイアップを引き受けるのは初めて。アニメ、ドラマは何作もやってきたけれど、日本の全国区スポーツ番組——しかも夏の風物詩——という座組は今回が最初の挑戦になる。この事実だけでもう、少し身を乗り出して聴きたくなる。

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この曲の要点

  • Vaundy「かげろう」は2026年7月15日配信リリース。作詞・作曲はVaundy本人。
  • 2026 夏の高校野球応援ソング/『熱闘甲子園』(ABCテレビ・テレビ朝日系列)のテーマソングとして書き下ろされた楽曲。
  • 第108回全国高校野球選手権大会(2026年8月開幕)を盛り上げる公式応援ソング
  • 初披露は2026年7月20日、約5年ぶりのスタジオ生配信ライブ
  • Vaundy自身のコメントでは、最初に熱闘甲子園のスタッフと話した段階から「エンディングソングを作りたい」と伝えていた

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「かげろう」というタイトルが示している距離感

まずタイトル。かげろう=陽炎は、夏の熱に焙られたアスファルトの上で、風景が揺れて見えるあの現象のこと。手を伸ばしても掴めないし、走って追いつこうとしてもその場から動かない。この「近くにあるのに触れない」感触を、甲子園を目指す球児たちの一夏に重ねてくる。

ここが上手い。夢とか目標とか、そういう言葉を一切使わずに、届きそうで届かないものの手触りをタイトル一語で提示してしまう。歌詞論に立ち入らなくても、タイトルの選び方だけで「ああ、そういう距離で書くんだな」と分かる。

Vaundyの過去作を並べてみると、この命名感覚は一貫している。「怪獣の花唄」「踊り子」「花占い」——どれも、直接的な感情語ではなく、少し斜めから状況を差し出す。今回もその流儀。応援ソングでありがちな「夢」「翼」「絆」の語彙を、正面から避けている。

「頑張れ」と言わない応援歌という設計

この曲の制作意図は、本人インタビューで珍しく明快に語られている。Vaundyは、熱闘甲子園スタッフとの最初の打ち合わせで「エンディングソングを作りたい」と伝えたという。オープニングやサビでガンと押す曲ではなく、試合の後、ダイヤモンドから引き上げていく選手の背中に流れるような音楽。そこを狙ってる。

理由の説明も、正直で面白い。音楽でストレートに『頑張れ』と言うと自分の場合はうさんくさくなってしまう気がする、男は他人に応援されたり褒められたりしても素直に受け止められない生き物だと勝手に思っている、だから球児たちが『おれたちはやったんだ』と振り返りができるような格好良いエンディング曲(BGM)にしたかった——という趣旨のことを話している。

これ、ちょっと踏み込んで考えると、応援歌の構造そのものへの問い直しになっている。従来の高校野球ソングは、応援する側(見る人)から選手への「頑張れ」を代弁する装置だった。Vaundyはそこを反転させて、選手が試合後に自分の一夏を再生するときのサウンドトラックを書いた、ということ。応援の矢印を、外→中じゃなく、中→中に付け替えている。

これがあの、応援ソングにしては妙に落ち着いた温度感の正体だと思う。

サウンドの読みどころ——鼓舞ではなく、着地の音楽

プロダクション面でも、その設計思想は徹底されている。作詞作曲、楽曲のアレンジ、アートワークデザイン、映像制作のセルフプロデュースなども自身で担当するマルチアーティストというのがVaundyの流儀で、この曲もその例に漏れない。つまり、一切の意図が本人由来で、余計な人の手が入っていない。

音を聴くと、キーとテンポの選択に迷いがない。爆発的なアッパーチューンではなく、走り抜けた後の呼吸が整うくらいのミドルテンポ。ドラムが後半に向けて厚みを増していく設計で、しかし決してスタジアム的な大合唱には振り切らない。あくまで、個人の胸の中で鳴る音楽の音量に留めている。

もう一つ気になるのは、リバーブの入れ方。全体を通して、残響が短めに設定されている印象がある。応援ソングの多くは、スタジアム的な広がりを演出するために深いリバーブを掛けがちだけれど、この曲はそれをやらない。乾いた空気感の中に声を置くことで、選手の耳のすぐそば、あるいは自宅のリビングという「近い場所」を音響的に立ち上げている。イントロで感じる、あの少し無防備な素の質感は、この処理から来ている。

ビート面では、キック中心のドン、と踏み込む足音のような打点が目立つ。行進曲的な鼓舞ではなく、ダグアウトから一歩踏み出す時の、自分自身の足音を再現しているかのようなドラム。ここも「他人が背中を押す」のではなく「自分で踏み出す」曲、という設計に合っている。

聴きどころ3点

  • ボーカルの距離感——甲子園という大舞台の主題歌なのに、マイクからの距離が近い。耳元で語りかけるようなミックスで、「大人数に届ける歌」ではなく「一人に届く歌」として録られている。
  • コード進行の揺れ——タイトル通り、進行のどこかに微妙な揺らぎがある。単純な明るいメジャーで押し切らず、曇りが差し込む。この曇りが、勝った試合の後の複雑な感情まで拾ってくれる。
  • アウトロの余韻——エンディング曲として設計されているだけあり、曲の閉じ方が丁寧。番組のラストに置かれた時に「今日の試合が終わった」という時間の区切りが自然に立ち上がる作りになっている。

これらは全部、「エンディングを書く」という最初の一手から必然的に導かれている。設計と実装がきれいに繋がっている曲、という言い方もできる。

Vaundyのキャリアの中での「かげろう」の位置

この曲の位置づけを理解するには、Vaundyがここ2〜3年で通ってきた道を並べる必要がある。2022年の大晦日にNHK紅白歌合戦に初出場2025年7月にはアニメ『光が死んだ夏』のオープニングテーマ『再会』を配信リリース。2026年に入ってからは、フジテレビ系月9ドラマ『サバ缶、宇宙へ行く』主題歌の『イデアが溢れて眠れない』、TVアニメ『黄泉のツガイ』オープニングテーマ『飛ぶ時』(yamaとのカップリング企画)と、映像作品との紐付き楽曲が続いている。

要するに、いま彼は「日本の映像作品にとってのハブ的な作曲家」というポジションに立っている。アニメ、ドラマ、そしてスポーツ番組。ジャンルを横断して、その作品世界に合わせた楽曲を提供できる書き手として、業界からの発注が集中している時期。

その流れの中で、高校野球という日本のマスカルチャーの中心にあるコンテンツと組んだ意味は大きい。アニメファン、ドラマ視聴者、Jポップリスナー、そこに今回スポーツ視聴者の層が加わる。リスナーの母集団が、また一段拡張されるタイミングにこの曲は置かれている。

個人的に面白いと思うのは、拡張しているのに音楽的には全然「万人向け」に寄せていないこと。むしろ今回のかげろうは、Vaundyのソングライティングの中でも内省寄り、しかも応援ソングという文脈でわざと内省寄りに振っている。マーケットが広がる時にこそ変化球を投げる、という判断。ここに彼のプロデューサー的な冷静さが出ている。

Vaundyのすごさをもう一段掘り下げると、「作品世界に合わせて自分の音楽を変形させる能力」が異常に高い、という点に行き着く。多くのアーティストは、タイアップを受けても結局は「自分の音楽の中に相手の作品を取り込む」形で完結する。Vaundyは逆で、相手の作品世界の中に、自分の音楽の側を溶かし込みにいく。だから曲ごとに手触りが全然違う。同じ人が書いたと思えないくらい振れ幅がある。

今回の「かげろう」で言えば、球児という具体的な人物像と、熱闘甲子園という具体的な番組枠、その両方に音を合わせにいっている。応援ソングのフォーマットを踏襲しつつ、そのフォーマットに違和感を残す形で自分の色を差し込む。この、絶妙にはみ出す加減が、Vaundyの職人技だと思う。

「熱闘甲子園」という枠と、番組音楽の系譜

枠についても補助線を引いておく。『熱闘甲子園』はABCテレビ・テレビ朝日系列全国ネットで、大会期間中に朝から夕方まで連日放送される『ABC 高校野球中継』と併せて、大会を伝える枠だ。試合が終わった夜、その日のドラマを凝縮して見せる番組。歴代のテーマソングは、日本のポップミュージックが「若さと汗と挫折」をどう歌ってきたかのアーカイブでもある。

もう少し番組の話をすると、熱闘甲子園は「勝った試合」だけでなく「負けた試合」も同じ重みで扱う番組だ。9回裏に涙を流す選手の映像、負けた学校のスタンドの表情、勝負の外にあるドラマ——そういうものを丁寧に拾う枠組みで、この番組は長年支持されてきた。だからこそ、この枠のテーマ曲は「勝利の歌」ではダメで、「勝ったチームにも負けたチームにも同じ温度で寄り添える曲」が求められる。かげろうの中庸なテンポと、明るさに曇りを混ぜた進行は、この要件を意識して選ばれた設計だと思う。

この枠で書くということは、その系譜に自分の名前を刻むということ。J-POP作家として、避けて通れない仕事の一つ、とも言える。Vaundyが最初に『僕でいいのかな』と感じ、これまでスポーツのイメージが全くなかったと思う、と語ったのも、この枠の重みを分かっているから出た言葉だと思う。

枠の重みに対して、彼が出した答えが「エンディングを書きます」だった。ここが最大の見どころ。番組のテーマソングと言われれば普通は「顔」の部分を書くのに、あえて「締め」の音楽として提出した。番組全体の温度を、盛り上げるのではなく、着地させる方向で設計している。

結果として、試合を戦った選手にも、テレビの前で一日を終える視聴者にも、同じ音量で寄り添える曲になった。これは応援ソングの一つの新しい型だと思う。

初披露のフォーマット——約5年ぶりのスタジオ生配信

曲の届け方も、この曲の性格に沿っていた。配信リリースは2026年7月15日。そして初のフル演奏披露は、2026年7月20日、約5年ぶりのスタジオライブ生配信という形式が取られた。

スタジアム的な派手なローンチではなく、スタジオの箱の中で、演奏する姿を淡々と映す配信。この選び方も曲の内向的な設計と符合している。「大きな舞台で高らかに」ではなく「近い場所で丁寧に」。届け方そのものが、曲の温度と一致している。

ちなみに前後の動きとしては、2026年9月の幕張メッセ公演を皮切りに、自身初のアジアツアーを開催予定。夏に「かげろう」で日本の茶の間を掴み、秋以降にツアーで海外へ、というスケジュール。国内での認知の底上げと海外進出の準備が、同じ夏の中で並行して走っている。

付け加えると、応援ソングの流通経路も、ここ数年で大きく変わっている。かつては番組で流れて、CDが売れて、というシンプルな導線だった。いまは番組→SNSショート→ストリーミング反復、という順番。だから曲の設計も、番組内でどう鳴るかだけでなく、切り抜かれてTikTokやショートで流れた時にどこが刺さるかまで計算に入る。かげろうを聴くと、ある一節が繰り返し使えそうな粒立ちで置かれていて、そこの想定も抜かりない。

チャートでの動きと、この曲の射程

TOKIO HOT 100 でのランクインも、順当と言えば順当。番組タイアップに伴うテレビ露出が7〜8月にかけて連日発生し、ストリーミングでの反復再生も見込めるタイプの曲だから、夏の後半にかけて数字は動きやすい。

ただ、この曲の面白さは順位そのものよりも「どこに残るか」の方にあると思う。多くの応援ソングは、大会が終わればその夏の記憶と一緒にアーカイブされていく。かげろうはその常識に対して、少し違う軌道を描く可能性がある。というのも、この曲は勝った瞬間ではなく、勝負が終わった後の感情に寄り添う設計だから。試合終了の瞬間の直後の、あの妙な静けさに合う曲。だとすると、大会が終わった秋以降にも、思い出し方によって再生される曲になり得る。

順位の数字を追うのも楽しみだけれど、この曲に関しては、10年後にもう一度戻ってきた時にどう聴こえるか、の方が本質だと思っている。

関連作と、この曲から広げる聴き方

「かげろう」からVaundyの他の楽曲を掘っていくなら、単純にヒット順で追うより「どの温度で書いているか」で並べ替えた方が発見がある。ミドルテンポで内省寄りの曲だけを抜き出すと、彼のソングライティングのもう一つの層が見えてくる。

アップテンポの代表曲群——「怪獣の花唄」「踊り子」「花占い」——だけで判断すると、VaundyはキャッチーなJポップ職人に見える。でも「かげろう」まで含めて聴くと、彼が実は「応援と鎮魂の間」みたいな微妙な感情を扱うのが得意な書き手だと分かる。この振れ幅こそが、多ジャンルからの発注に応えられている理由だと思う。

入門動線

「かげろう」に響いた人にまず薦めたいのは、2020年5月に発表された1stアルバムstrobo🛒楽天。Vaundyというアーティストの多面性が最も生々しく残っているデビュー作。ここに彼のソングライティングの原型が全部詰まっているので、かげろうの内省寄りの温度が、実は初期から一貫していたことに気付けるはず。次の1曲を挙げるなら「不可幸力」——同じく静かな鼓舞、という共通項がある。

Vaundyを長く聴いてきた人にこそ言いたいのは、今回の曲は「代表曲」というより「証拠物件」として重要になる、ということ。彼が何を書ける人なのか、応援ソングという最もパブリックな枠に置かれた時にどう振る舞う人なのかが、この一曲でくっきり可視化される。10年、20年経ってVaundy論を書く人がいるとすれば、その論考の中で「かげろう」は避けて通れない曲になっているはず。

まとめ——応援の言葉を、応援の外側から書く

「かげろう」がやっていることを一行でまとめると、「応援の言葉を、応援の外側から書く」だと思う。頑張れと直接言わずに、頑張った人が自分自身を認められる時間を音楽で用意する。応援ソングの構造をずらして、しかしジャンルが持っている機能——誰かを支えること——はしっかり果たしている。

2026年の夏、この曲は甲子園と一緒に流れる。球場のスタンドで、テレビの前で、通勤の電車で、それぞれの場所で違う人の一夏を締めくくることになる。そしておそらく、大会が終わっても曲は残る。追いつけない揺らぎを追いかけた記憶は、たぶん10年経っても消えない、と思う。

詳細な楽曲情報・イベント情報は公式サイトの発表を参照してほしい。
※本記事はTOKIO HOT 100 のチャート動向に着想を得た非公式の音楽コラムです。

まずこの作品から聴く

  • strobo(Vaundy) — 原型が詰まる1stアルバム
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  • 怪獣の花唄 — 代表曲・アップの顔
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  • 不可幸力 — 静かな鼓舞の系譜
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  • 再会 — 2025年の内省寄り一曲
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