2013年5月にリリースされた星野源『化物』が、2020年代以降、何度も文脈を書き換えられながら聴き直されている。当時は3rdアルバム『Stranger』の1曲目、いわば”復帰後の最初の一音”として受け取られた曲。あれから10年以上が経ち、シティポップの再文脈化、ドラマ主題歌ヒットの連打、パンデミック期の「うちで踊ろう」、そして再びの体調不安を経て、この曲の輪郭は当時よりくっきりして見える。今の位置から振り返ると、『化物』は復活の歌ではなく、”化けていく途中の記録”だったのだと分かる。
この曲を「復活ソング」として片付けてしまうと、たぶん一番大事なところを取り逃す。むしろ星野源というアーティストが、その後の10年でどこへ化けていったかを予告した楽曲として読み直したい。
この曲の要点
- 化物🛒楽天は2013年5月1日発売の3rdアルバムStranger🛒楽天1曲目に収録された楽曲。
- 制作の直接的な動機は、前年12月に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎への想い。
- レコーディング終了直後に星野源はくも膜下出血で倒れ、療養を経て復帰。世間には”復活の歌”として受け取られた経緯がある。
- 2020年12月25日『Mステ ウルトラSUPER LIVE 2020』で、「うちで踊ろう」「恋」と並べてテレビ初披露された。
2013年という年の音楽的な地層
『化物』の位置をもう少し正確に測るには、2013年という年の日本のポップの地層を思い出しておきたい。この年、いわゆる”シティポップ”の再評価はまだ本格化しておらず、EDMの流入と、AKB系グループの物量の残響と、ボカロ以降のインターネット出自の作家群が接近しはじめていた頃。J-POPの中央線に、”生バンドの意匠”を持ち込む書き手は、実は多くなかった。
その中で『Stranger』は、ストリングス、ホーン、マリンバ、スティールパンといった生楽器のパレットを、あえて古典的に鳴らしにいっていた。星野源自身がボーカルのほかにギター、マリンバ、スティールパン、ピアノ、タンバリンまで担当していると、公式のクレジットにも記されている。多重録音による”ひとりバンド”的な質感が、当時のJ-POPの主流の音像とは違う手ざわりを作っていた。
『化物』はその『Stranger』の1曲目。つまり、”これから聴かせるのはこういう音楽です”という所信表明の位置に置かれた曲だ。ここに演歌でも歌謡曲でもない、しかし完全に洋楽でもない、独特のブレンドが最初から置かれていた。10年後にシティポップの海外再評価の波を経て、この曲の設計の先見性はむしろクリアに見えるようになった。
後追いで見えてくる、この曲の本当の主役
結論から書く。『化物』の主役は星野源本人ではなく、亡くなった中村勘三郎という存在だ。ここを外すと、この曲は”回復してよかったですね”という感傷的な物語に矮小化してしまう。
星野源自身がラジオやインタビューで繰り返し語ってきたのは、この曲が2012年12月に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎への追悼として書かれたということ。星野は2003年の舞台『ニンゲン御破産』で勘三郎と共演した経験があり、その”化けていく人”の凄みを間近で見ていた。歌舞伎の芸の系譜のなかで、身体ごと別のものに変わっていく人がいる。その驚きが起点になっている。
ところが。レコーディング直後に星野本人がくも膜下出血で倒れる。翌年5月にアルバムがリリースされると、ライターや取材者から「これは星野さんの復活の歌ですね」と繰り返し言われた。星野自身は「勘三郎さんの歌なんだけどな」と内心思っていた、と後年になって明かしている。
ここが面白い。この曲は制作者の意図と、世に出た後の受け取られ方が、最初からズレていた。そしてそのズレを、星野源本人は否定せずに引き受けた。「勘三郎さんが天国から自分を戻してくれて、『この曲は僕のために作ったけど源ちゃんの歌にした方が良いよ』って言ってくれたような感じがして」と、後にラジオで話している。作者の手を離れた曲が、誰かの人生に上書きされて別の意味を持つことを、この人はかなり早い段階で許した。今から思えば、これが以後10年の星野源の作家性の骨格になっている気がする。
サウンドの読みどころ 芸能の血と現代のポップの継ぎ目
音として『化物』は、じつは相当に凝ったアレンジをしている。復活のドラマの陰でここが見過ごされがちだけれど、いま聴き直すと、この曲は星野源が”歌謡・芸能の血”と”現代のポップ”を無理やり一枚のトラックに縫い合わせようとした最初の実験に近い。
イントロから入ってくる管とストリングスの立ち上がりに、明らかに舞台の幕開けの意匠が乗っている。歌舞伎の口上や、寄席の出囃子のような”はじまりの合図”の感覚。それをそのまま演歌的な湿度に落とさず、ホーンで抜け感を作って前に押し出す。星野源のバックボーンにあるSAKEROCKのインスト職人的な設計と、大衆音楽の華やかさを、ここで一回ぶつけている。
ボーカルの録り方も注意して聴きたい。全体を通して声はやや前寄りに立てられていて、リバーブは深く沈めていない。復活直後というより、”人前に立つ人”の声の距離感で録られている。ここが、後年のドラマ主題歌でのオンマイクな親密さとは違って、少し観客席までの距離がある。舞台の上から届ける声、という意識で作られているように聞こえる。
そう。この曲は”個室”の音楽ではなくて、”劇場”の音楽として設計されている。だから2020年の『Mステ ウルトラSUPER LIVE 2020』でテレビ初披露されたとき、8年寝かせた曲が違和感なく大画面に立ち上がった。もともと大きな場所に向けて書かれていたからだ。
「化ける」という言葉を、この人はどう扱ってきたか
タイトルの『化物』を、”人間離れした才能”の比喩として読むのが一般的だ。ただ、星野源というアーティストのその後の動きを踏まえて聴き直すと、この「化ける」は、もう少し能動的な意味を持っている。誰かに化かされるのではなく、自分から化けていく。役者的な変身の意志だ。
2013年時点の星野源は、まだ”ミュージシャンで役者もやる人”というポジションで、大衆的な認知は限定的だった。翌2014年に脳出血で再び療養に入り、2015年に『SUN』でブレイクし、2016年『恋』で社会現象になる。『化物』は、この爆発の”直前直前”に置かれている曲だ。
面白いのは、その後の代表曲を並べたときの語彙の違い。『SUN』『恋』『ドラえもん』『Family Song』のあたりは、日常や関係性のなかの多幸感を歌う言葉が中心にある。『Pop Virus』『不思議』『喜劇』『生命体』と時代を下ると、”生きていること自体の質感”に軸が移っていく。その一番手前で、『化物』は”変身”という古い日本の芸能語彙を持ち出している。以降の星野源が二度と正面から使わなかったキーワードだ。
言い換えると『化物』は、星野源が”芸能の血”を最も濃く出した楽曲であり、そのあと彼はより口語的で普段着のポップの方向へ舵を切っていった。だから今聴くとこの曲だけ、ちょっと着物の匂いがする。他の代表曲群のなかにポンと置くと、明らかに手触りが違う。この違和感こそが、後追いで発見される価値の一つだ。
2020年、Mステで並べられた3曲の意味
『化物』の位置づけを大きく書き換えた事件がある。2020年12月25日の『ミュージックステーション ウルトラSUPER LIVE 2020』で、星野源は「うちで踊ろう」「化物」「恋」の3曲を披露した。『化物』はここで、8年越しにテレビ初披露となった。
この選曲の並びが効いている。2020年の代表曲としてのパンデミック賛歌「うちで踊ろう」、2016年の国民的ヒット「恋」、そして2013年の『化物』。時系列でも、性格でも、全然違う3曲。この真ん中に『化物』を挟んだのは、ただの旧曲サービスではなかったはずだ。
2020年という年は、有名無名を問わず多くの人がふつうに生きていた地面を一度失った年だった。「うちで踊ろう」が持っていた励ましは、明るいのに、どこかで死や不在の気配とセットになっていた。その文脈のなかで『化物』を歌う意味は、2013年当時とは別のものになっていた。復帰の記念曲でも追悼曲でもなく、”何かを失いながらも、また立ち上がってみる人”のための曲として、勝手にアップデートされていた。
星野源は自身のラジオ『星野源のオールナイトニッポン』でも、この披露について触れている。作者本人ですら、この曲の意味が更新され続けていることを受け入れている、という言い方が正しい気がする。
ライブでの『化物』 開演を告げる曲としての機能
『化物』はライブでの扱いも独特だ。2014年2月、日本武道館で開催された復帰後のワンマンライブ『STRANGER IN BUDOKAN』では、1曲目に『化物』が置かれた。復帰の号砲としての1曲目。ここでの意味は、疑いなく”復活の歌”寄りだった。
ただ、それ以降のツアーやフェス出演でも、この曲は”ライブの導火線”としての役割を担うことが多い。冒頭に置くと、その日の会場の空気を一気に劇場モードに切り替える機能を持っている。派手なイントロ、跳ねるリズム、視覚的にも身体が動きやすい構造。ライブでの『化物』は、CD音源以上に”はじまりの合図”としての性能を発揮する。
逆に言うと、この曲は音源だけで完結する曲ではなく、”場を開く”機能を含めて設計されている曲だ。8年間テレビでは披露されなかったのに、ライブでは要所要所で登場し続けた、というアンバランスも、そういう性格の曲だからだと思う。テレビの3〜4分の枠より、90分〜2時間のライブの流れのなかで真価を発揮する。
キャリアの中の位置 化物→SUN→恋→うちで踊ろう→生命体
『Stranger』というアルバム自体が、彼のキャリアの折れ曲がり地点にある。オリコンの初動は約4.3万枚、当時の自身最高位を記録したアルバム。ここから先、彼はソロミュージシャンとしても、俳優としても、”茶の間の顔”に一段近づいていく。
その入口である『化物』を、あえていま並べ替えて聴いてみたい。『化物』→『SUN』(2015)→『恋』(2016)→『うちで踊ろう』(2020)→『生命体』(2023)。この5曲を順に並べると、星野源が”個人の変身”から”みんなの日常”へ、そして”生きている状態そのもの”へと関心を広げていった軌跡が見える。
その出発点で『化物』が扱っていたのは、他人の凄みだった。中村勘三郎という、自分より圧倒的に格上の芸を持つ人が”化けていく”のを間近で見た記憶。自分ではなく他者への畏敬から書き始めた曲だからこそ、この曲は妙に俯瞰の目線を持っていて、後に本人が主人公になる曲群とは明らかに温度が違う。
これは個人的な読みだけれど、星野源が長く息切れせずにポップの中心にいられた理由の一つは、”自分の話ばかりしない”作家性にあると思っている。『化物』はその最初の刻印だ。
作者と作品のズレを引き受ける、という作家性
もう一つ、後追いだからこそ言えることがある。『化物』での”作者の意図と受け手の解釈のズレ”は、その後の星野源作品のいくつかで、明確に反復される。
2016年の『恋』は、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌として社会現象化したが、あの曲の”恋”の意味は、放送前と後、そして放送数年後で明らかに違うものとして流通している。2020年の『うちで踊ろう』は、SNS発の即興弾き語りが、ある政治家の投稿によって別の文脈に上書きされ、作者本人が困惑をにじませる事態にもなった。2023年の『生命体』もまた、彼自身の体調不良からの復帰と重ねて聴かれることが多い。
作者と作品の距離を切り離せない、と嘆く作家もいる。星野源はそれを、割と早い段階で”別に切り離さなくていい”と決めたように見える。その最初の判断が下されたのが、たぶん『化物』のときだ。復活の歌と呼ばれたことを訂正しなかった。訂正しなかったから、この曲は今も生きて、意味を更新し続けている。
これは意外と大きな話で、SNS以降のポップミュージックがどう”公共物化”していくかの、かなり早いケーススタディになっている。書いた人だけの持ち物ではなく、聴いた人の人生に貼り付いた瞬間から共同のものになる。星野源の作家性の中核は、この受け身の勇気にある気がしている。
この曲は”どの時間に効く”曲か
『化物』は朝の曲でも夜の曲でもなく、”何かを再開する日の朝”に効く曲として設計されている気がする。休み明けの月曜、退院の日、離職から次の職場に向かう初日、引っ越して最初の朝。日常が一度切れて、また接ぎ直すタイミング。あの弾みのあるホーンは、そういう日の背中を軽く押すのにちょうどいい強さで鳴っている。
癒しではなく、勢い。慰めではなく、儀式。この距離感が、ほかの星野源作品と少しだけ違う。おそらくファンのなかにも、この曲だけを妙に特別扱いしている人が一定数いるはずで、その理由はここにある気がする。
聴きどころ3点
- イントロの立ち上がり。歌舞伎の口上や出囃子の”はじまりの合図”を、演歌にせず現代のポップの明度で処理している縫い目を聴く。
- ボーカルの距離感。オンマイクの親密さではなく、”劇場の舞台から客席に届ける声”として録られている点。後年の主題歌群と比べると差が分かる。
- タイトルの語彙。以後の星野源作品では正面から使われない”化ける”という古い芸能の言葉が、この曲だけに刻まれている。
関連作 いま『化物』の隣に置きたい一曲
『化物』から広げて次に聴くなら、同じ『Stranger』収録のワークソング🛒楽天をすすめたい。ビッグバンドスウィングの意匠で”働くこと”を歌ったこの曲は、『化物』が持っている”劇場性”を別の角度から補ってくれる。舞台の上と、街の中。この2曲を並べて聴くと、当時の星野源が古い日本の大衆音楽と現代のポップを接ぎ木しようとしていた設計思想が、かなり立体的に見えてくる。
もう1枚踏み込むなら、その先の2015年のYELLOW DANCER🛒楽天。『化物』で試された”芸能の血と現代ポップの縫合”が、アルバム1枚の設計思想として結実したのがこの作品だ。『SUN』のブレイクを含むこの時期からが、いわゆる”茶の間の星野源”になる。『化物』はその前夜、まだ着物の匂いを残したままの過渡期の記録として、聴くたびに違って見える。
入門動線
星野源を『化物』から入るなら、次の1曲は同アルバムの「ワークソング」、次の1枚はブレイク直後の集大成である『YELLOW DANCER』。この3ステップを踏むと、”変身の予告→労働と生活の歌→大衆音楽としての完成形”という彼のキャリアの折り目が、順を追って体感できる。
いま『化物』を聴くということ
この曲を、当時のドキュメントとして聴くこともできる。追悼として聴くこともできる。復活の歌として聴くこともできる。2020年の年末の3曲メドレーの真ん中として聴くこともできる。どれも正解だし、どれも半分しか合っていない。
星野源自身が”作者の意図を超えて曲が意味を持つこと”を早い段階で受け入れた曲、というのが今の私の読みだ。だからこの曲は、聴く側の状況ごとに違う顔を見せる。ここが、単なる名曲以上の余地を残している理由だと思う。
あなたがこの曲を初めて聴いた年と、いま聴いている年で、意味が変わっていたなら、それはあなたが化けたということでもある。この曲は、そういう物差しとして機能する。10年後にまた同じ曲を聴いて、また違うものが見えるとしたら、それは相当豊かな体験だと思ってます。
まずこの作品から聴く
- Stranger — 『化物』を収めた原点アルバム
▶ Amazon / 楽天 で探す - ワークソング — 同作の劇場性を別角度で
▶ Amazon / 楽天 で探す - YELLOW DANCER — 設計思想の完成形
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