ヒットチャートを眺めていて、たまにレキシの曲が上のほうに戻ってきているのを見ると、あ、また誰かが入り口をくぐったな、と思う。2007年のデビューから19年、この人のカタログは古びない。歴史を知識ではなく、身体で踊れるファンクの現在形に翻訳した。それがレキシという発明の芯だ。数字がひと桁跳ねるたびに、「縄文か弥生か」で笑うリスナーがまた増えていく、その静かな連鎖。
このアーティストの要点
- レキシは、SUPER BUTTER DOG・100sで活動した池田貴史(1974年2月15日、福井県出身)による「歴史縛りファンクネスバンド」ソロユニット。
- 2007年に1stアルバム『レキシ』でデビュー。日本史上の人物や出来事をモチーフに、ファンク/ソウル/シティポップを横断するサウンドを鳴らす。
- 代表曲は「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」「きらきら武士 feat. Deyonná」「SHIKIBU feat. 阿波の踊り子」など。
- 楽曲には斉藤和義、椎名林檎、いとうせいこう、三浦大知、秦基博らが『レキシネーム』で参加。ゲスト参加者の異名遊びも作品の一部。
- ライブは客席との掛け合いと即興トークで知られ、時に本編より長いMCが差し込まれる独特の運び。
いまチャートで再会する理由
結論から言う。レキシの曲は、ヒットの瞬間風速で消費されない設計になっている。だから毎年どこかで再浮上する。テレビの歴史バラエティで一節が流れ、居酒屋の有線で不意打ちを食らい、修学旅行のバス車内でクラス全員が笑いながら口ずさんでいる。入口が多い。
音楽ライターとして初期作と近作を並べて聴き直すと、この人の「賞味期限の長さ」は音の質感によるものだと分かる。ローファイに寄せない。生鍵盤とベースの太さ、コーラスの重ね方、ホーンの入れ方、どれも1970年代ソウルとJ-POPの中間で丁寧にチューニングされている。ネタで持たせているのではなく、演奏で持たせている。ここが本質。
「縄文土器と弥生土器、どっちが好き?」という問いかけを、笑って口にしたことがあるだろうか。歴史の授業だと固まっていた語が、リズムに乗った瞬間ふっと軽くなる。あの体験の中毒性が、19年ぶんの下地になっている。
プロフィールと来歴、バンドマンの副業ではなかった
まず事実を並べる。池田貴史は福井県出身、1997年にSUPER BUTTER DOGのキーボーディストとしてメジャーデビュー。アフロヘアがトレードマークで、その後2004年から中村一義率いる100sのメンバーとしても活動した。ここまでで、すでにキャリアは20代のうちに二本立てになっている。
面白いのは、レキシが「思いつき」ではないことだ。1997年頃から永積タカシ(ハナレグミ)の自宅録音機材で、歴史を題材にした楽曲を作り、忘年会など身内のイベントで披露していたという。仲間内で10年温めた冗談が、あるとき本気の形をとった。2003年の「熱血!スペシャ中学」学園祭でScoobie Doの代役として出演した際の予想外の盛り上がりが、外に出るきっかけになったと本人が語っている。
そして2007年6月6日、1stアルバム『レキシ』を東芝EMI(Capitol Music)から発表。ここが公式のスタートライン。以降、活動の軸をレキシに移し、バンドマン時代のセッション力と、日本史オタクとしての知的関心が、一本の線につながっていく。
大事な補助線を1つ引いておく。レキシは「歴史を教材にした企画バンド」ではない。SUPER BUTTER DOG時代からの黒っぽいグルーヴが土台にあり、その上に日本史の語彙を乗せている。順序が逆だと、たぶんここまで長く続かなかった。
音楽性の核と変遷|ファンクを日本語に翻訳する仕事
核はシンプルだ。レキシは「歴史縛りファンクネスバンド」を名乗り、日本史上の人物や史実を主題に、幅広い音楽性を反映したサウンドで歌う。ファンク、ソウル、AOR、シティポップ、ときにヒップホップ的な語りものまで、和音進行の骨格を変えずにジャンルを乗り換える。
面白いのは「テーマの重さ」と「音の軽さ」のズレを、あえて残す設計だ。参勤交代、年貢、明治維新、遣唐使、平安の恋歌。本来はうっすら鈍い響きを持つ単語が、16ビートに乗せられた瞬間、ハンドクレップと一緒に空中に浮く。この浮力がレキシの署名。
歌詞の作法にも触れておく(引用はしない)。教科書の語彙を、恋愛ソングやパーティーソングの文法に翻訳する。「歴史用語 × ラブソング」「歴史用語 × ダンス曲」というレシピを、20年近く飽きずに更新している。飽きないのは、素材(史実)が事実上無限に湧く鉱脈だからだ。ここに気づいた瞬間、コンセプトは短命の企画から、長期戦のフォーマットに変わった。
変遷という視点で言うと、1st『レキシ』のやや手作り感のある温度から、『レキツ』『レキシチ』『レシキ』『レキミ』『Vキシ』『ムキシ』と作品を重ねるごとに、バンドサウンドの解像度が上がっていく。ゲスト陣もどんどん豪華になり、共作の幅が広がる。ただ、方法論の芯は動かしていない。「動かさないこと」が、この人の職人性だと思う。
もう少し踏み込んで書くと、レキシのグルーヴは「頭より腰で受け取る」設計になっている。フックの言葉は頭に残るが、身体が先に動く。この順番、意外と大事だと思っていて、頭で「これは歴史のパロディ音楽です」と分類してしまうと、途端に消費期限がつく。逆に、腰から入ると19年経っても踊れる。「戦国武将×ダンストラック」という記述は、この体験の解像度をずいぶん下げてしまう。実際に鳴っているのは、もっと繊細なリズムの快楽だ。
もう一つ、鍵盤奏者としての池田貴史の技量を軽視しないでほしい。1997年から現場に立ち続けているキーボーディストの手癖が、コード進行の裏側に染み込んでいる。ソロのフレーズ、リフの返し方、ゴーストノートの入れ方、和音のボイシング。ここが土台にあるから、企画性が強い曲でも音として痩せない。「面白い企画のバンド」ではなく「腕の立つバンドマンが企画を貫き通した結果」。順番を間違えないでほしい、というのが個人的な希望。
聴きどころ3点
- 鍵盤の腰:池田貴史のキーボードプレイは、コード感より「置き方」に個性が出る。四つ打ちでも跳ねる。バンドマン時代からの腕がここで効く。
- ゲストの『レキシネーム』:椎名林檎=カブキちゃん、チャットモンチー=阿波の踊り子など、参加者に歴史的な異名が与えられ、クレジット自体が笑いのネタとして機能する。
- コーラスワーク:ソウル/ゴスペル譲りの分厚いコーラスが、日本語の頭韻とぶつかったときの気持ちよさは、この人の隠れた発明。
代表作・ディスコグラフィの読みどころ
まずレキシ🛒楽天(2007年)。始まりの一枚。「歴史ブランニューデイ」「Let’s忍者」「真田記念日」「参勤交代」「HiMiKo」「LOVEレキシ」などを収録し、フォーマットの原型がほぼここに揃っている。手書きジャケットの初回盤も含めて、『仲間の遊びが作品になった』熱がまだ生々しい。
次の弾みがレキツ🛒楽天(2011年)。ここに「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」が入っている。作詞は池田貴史・いとうせいこう、作曲は池田貴史。2011年3月16日発売。彼の代表曲を一つ挙げろと言われたら、多くのリスナーがこの曲を挙げるはず。「縄文土器か弥生土器か」というフックだけで、教科書の白黒ページに色をつけてしまった曲。
そしてレキシチ🛒楽天以降のシリーズ。「鬼の副長HIZIKATA」「SEGODON」(大河ドラマ『西郷どん』パワープッシュソング)「SHIKIBU feat. 阿波の踊り子」「年貢 for you feat. 旗本ひろし、足軽先生」などが収録され、キャラクターの引き出しが確実に増えていく。個人的にはSHIKIBU🛒楽天(2016年)が転機だと思っている。平安の恋歌のフォーマットに、80s〜シティポップの上物を被せる手つきが完全に洗練された。
アルバム名の並び、『レキシ』『レキツ』『レキシチ』『レシキ』『レキミ』『Vキシ』『ムキシ』、を見て笑うかどうかで、この人の作品との相性がだいたい分かる。文字遊びを本気でやる。そういう美学。
シングルではギガアイシテル🛒楽天(2020年)。テレビアニメ・映画『クレヨンしんちゃん』のタイアップとしても知られる曲で、レキシ流の『愛歌』としての完成度が高い。歴史縛りの文法から少し離れた場所での軽やかさが心地よい。
レキシ の関連作品・グッズ
※本セクションは楽天市場の商品情報(アフィリエイトリンク)です。
ライブという第二の作品
音源だけでレキシを判断すると、たぶん半分しか受け取れていない。この人のライブは、演奏と同じくらいMCで持っている。客席とのやり取り、いじり、時系列を飛ぶ長い脱線、そして呼吸を合わせて戻ってくる本編。あの間合いは、DVDや配信では再現しきれない。
ライブ映像を見ると分かるが、演奏中に急に演奏が止まって、また戻る。止めた分だけ、次のイントロが跳ねる。あの緩急は、ファンクの本場のギグと感触が近い。日本語のMCという別レイヤーで、それをやっている人はそう多くない。
フェスに出るときも同じで、周りが全力の縦ノリでぶつけてくるなか、レキシは横ノリと笑いで場を持っていく。この差別化が、フェス常連としての強さになった。
カルチャーの文脈|参加者リストが物語る
結論を先に言う。レキシは、2010年代以降の日本語ポップシーンの『交差点』の一つだ。斉藤和義、三浦大知、いとうせいこう、椎名林檎、持田香織、中村一義(100s)、秦基博、山口隆(サンボマスター)らが『レキシネーム』を与えられて楽曲に参加してきた事実は、そのままシーンの相関図として読める。
ハナレグミ・永積崇との関係は特に重要で、初期の制作環境そのものが彼の家の機材だった。ソロ活動の『インキュベーター』としての盟友関係。ここを知っていると、初期音源の距離感の理由がすっと入ってくる。
もう一つ、面白い補助線がある。影響源として本人がさだまさし、ドリフターズを挙げているという事実。フォーク/歌謡の物語性と、コント/音楽ショーとしてのエンタメ性。この二つが混ざったところに、レキシのステージがある、と思うと納得感が高い。
俳優としても、テレビドラマやバラエティに出演し、独特のキャラクターで存在感を出している。音楽の『外側』にも顔があること自体が、レキシというプロジェクトの間口を広げてきた。
『レキシチ』の収録曲一覧を眺めていて笑ってしまうのは、featの表記が完全にネタとして機能していることだ。「足軽先生」「東インド貿易会社マン」「阿波の踊り子」「旗本ひろし」「ぼく、獄門くん」「ネコカミノカマタリ」。本名や普段のアーティスト名は隠され、レキシネームだけが並ぶ。クレジットを読み解く楽しみが作品の一部になっているアーティストは、日本のポップスの中でも珍しい。ライナーノーツを毎回楽しみにできる、というだけで長期戦の相手として強い。
もう一つ、大河ドラマ関連の仕事にも触れておきたい。「SEGODON」が『西郷どん』のパワープッシュソングに位置付けられたのは象徴的だった。歴史を主題にした音楽が、歴史ドラマの現場から真面目に呼ばれる、この循環。企画としての強度が、19年で完全に社会側に認知された、と読める瞬間だった。
レキシの曲は、いつ効くのか
ここで、ファンなら首を縦に振ってくれそうな話をひとつ。レキシは『移動中』に化けるアーティストだと思う。渋滞中の車、家族での長距離ドライブ、修学旅行のバス、電車の窓の景色が流れていく時間。あの、ちょっとダレる区間で流れると、車内の温度が2度上がる。
もう一つは、宴席の後半。誰かがカラオケでレキシを入れると、『歴史』というだけで年齢層の壁が下がる。20代も50代も、同じフックで笑える。この汎用性、そう簡単に作れる資産じゃない。BGMとして流すというより、場を柔らかくする『潤滑油』として設計されている気がする。
だから、『深夜に一人で沈む』タイプの音楽ではない。反対側にある。開けた場所、複数人、笑いが起きても構わない時間。そこで一番効く。ここを踏まえて選曲すると、外さない。
ライブに一度でも足を運んだ人なら分かる話をもう少し。あの空間はステージ上の池田貴史が「歴史クイズ的な脱線」で客席を巻き込みながら、バンドの側は淡々とグルーヴを維持している、という構造で回っている。トークが乗ってきても、音は緩まない。この二重構造が、レキシのライブを『音楽ライブ』として成立させている核心。笑いの部分だけを切り出すと、印象を大きく取り違える。
今チャートでの立ち位置
結論としては、レキシは「新譜で瞬間最大風速を取りに行くタイプ」ではなく、「カタログ全体でじわじわ長く残るタイプ」の存在だ。上位を席巻するというより、上位付近やその周辺に、思い出したように顔を出す。テレビの歴史特番、大河ドラマ関連の話題、フェスのタイムテーブル。トリガーはいくつもあって、そのたびにストリーミングの数字が上がる。
数字の話で言えば、19年分のディスコグラフィがまだ現役で回っている、という事実の方が大きい。1stの「歴史ブランニューデイ」も、2010年代の「狩りから稲作へ」も、2020年の「ギガアイシテル」も、同じ日のプレイリストの中で違和感なく並ぶ。この『時系列の平坦さ』が、彼のカタログの強さ。
入門動線
- まずこの1曲:「狩りから稲作へ feat. 足軽先生・東インド貿易会社マン」。フックの強さ、コーラス、遊びの塩梅、全部入ってる代表曲。
- 次にこの1枚:『レキツ』(2011年)。フォーマットが確立された時期の充実作。ここから世界観に入るのが分かりやすい。
- 深めるならこの1枚:『レキシチ』または『レキミ』。ゲスト陣とサウンドの練度が上がった、成熟期のレキシを味わえる。
これから聴くならどこから|ファンへの余白
最後に、ファンに問いを一つ残しておきたい。「レキシは日本史でしか成立しないのか」。世界史バージョンや、地方史バージョン、あるいはもっと小さい時代、たとえば平成の30年を素材にしたらどうなるのか。本人が今後どこまで題材を広げる(あるいは広げない)のかは分からないが、この問いを立てられるアーティストは、そう多くない。
個人的には、レキシがずっと日本史の中に留まっていることが、逆に強度を生んでいる気がしている。制約こそがフォーマット、というやつ。ただ、20年目のどこかで一度だけルールを外した曲を聴いてみたい、とも思っている。この解釈、たぶん人によって割れるところ。ファンの数だけ、答えがあるはず。
入口はいくつでもある。歴史好きなら題材から入ればいい。ファンクやシティポップが好きなら、鍵盤とホーンから入ればいい。ゲスト参加のアーティスト経由でもいい。どこから入っても、最後は同じ場所、「あの人、実はちゃんとしたバンドマンなんだ」という気づきに着く。そこから、初期の音源に戻ると、また景色が変わる。長く付き合える音楽って、たぶんそういうものだと思う。


コメント