TOKIO HOT 100 ランキングアーカイブ(1991年12月22日放送)

TOKIO HOT 100 1991-12-22 放送回ランキング ランキング

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1991年12月22日放送の J-WAVE「TOKIO HOT 100」を振り返る回顧コラムです。当時のチャート上位曲を手がかりに、その週の音楽シーンを読み解きます。

本サイトは非公式のファンサイトです。チャートデータの出典:J-WAVE「TOKIO HOT 100」(1991年12月22日放送回)。

この週の音楽シーン

1991年12月22日放送の「TOKIO HOT 100」でトップに立っていたのは、マイケル・ジャクソンの「BLACK OR WHITE」だった。この年の秋にリリースされたアルバム「Dangerous」からの先行シングルで、当時はテディ・ライリー印のニュージャックスウィング的なビート感と、ロック的なギターリフを大胆に組み合わせたサウンドが強く印象に残った一曲だ。ミュージックビデオでは人種や国籍を超えて人の顔がモーフィングしていく演出が話題になり、映像面でも時代を象徴する存在だったことを記憶している人は多いだろう。年の瀬という時期にこの曲が1位にあったという事実だけでも、1991年という年がマイケル・ジャクソンにとって大きな転換点だったことがうかがえる。

この週のTOP10を眺めると、1991年後半という時代の空気がよく伝わってくる。2位のリサ・スタンスフィールドは英国出身ながらソウルフルな歌唱で知られたシンガーで、「CHANGE」はその実力を示す一曲だった。3位のジョディ・ワトリーもまた、R&B/ダンスミュージックのフィールドで独自のポジションを築いていたアーティストで、都会的で洗練されたサウンドが当時のラジオでもよく流れていた。こうした顔ぶれから、ブラックミュージックとポップスの境界が溶け合っていく90年代初頭の潮流を感じ取ることができる。

一方でロックサイドに目を向けると、4位にU2の「THE FLY」がランクインしている。アルバム「Achtung Baby」からのこの曲は、80年代までの荘厳なU2のイメージを一新するような、歪んだギターとダンサブルなビートが融合したサウンドで、バンドが新たな表現へと踏み出した瞬間を捉えた作品だった。5位のジェネシスの「NO SON OF MINE」も、フィル・コリンズ在籍期の同バンドらしい、メロディアスでありながら重厚なアレンジが光る楽曲だ。ロックの名門バンドたちが、それぞれのやり方で90年代への適応を模索していた時期だったと言える。

6位のエンヤ「CARIBBEAN BLUE」は、幻想的で透明感のあるサウンドスケープが特徴的で、他の楽曲とは一線を画す存在感を放っている。多重コーラスと電子的な音響処理を組み合わせたその世界観は、当時のポップチャートの中でも独特の位置を占めていた。7位のリチャード・マークス、10位のマイケル・ボルトンといった、いわゆるAOR/産業ロック的な文脈を持つシンガーソングライターたちも上位に名を連ねており、こちらは80年代からの流れを引き継ぐ、大人向けのメロディアスなポップスが根強い支持を集めていたことを物語っている。

8位のポーラ・アブドゥル、9位のマライア・キャリーという顔ぶれも見逃せない。ポーラ・アブドゥルはダンサーからポップスターへと転身した経歴で知られ、ダンスミュージックとポップスの融合を体現する存在だった。そして当時まだキャリア初期にあったマライア・キャリーは、圧倒的な歌唱力でシーンに新風を吹き込みつつあった時期であり、この後の90年代を通じて彼女がチャートの中心的存在になっていくことを思うと、この週の一枚がその序章として響いてくる。

こうして振り返ると、1991年の年末というタイミングは、80年代的なロックやAORの残り香と、ニュージャックスウィングやダンスミュージックといった新しい潮流、さらにはエンヤのような独自路線までが同居する、非常に多層的なチャートだったことがわかる。マイケル・ジャクソンの「BLACK OR WHITE」が頂点に立っていたこの週は、まさにポップミュージックが次の時代へと橋を架けようとしていた瞬間を切り取ったものとして、今聴き返してもなお新鮮な発見がある。

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1991年12月22日付 TOP10(出典:J-WAVE TOKIO HOT 100)

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