山本彩『愛せよ』を今読み直す──阿久悠の遺した詞と、卒業後のさや姉に届いた補助線

夕暮れの街並みの上に浮かぶ、少しだけ震えているマイクスタンドのシルエット。手前にギターの弦の反射。人物やロゴは含まない。 楽曲

本ページには広告(Amazonアソシエイト・楽天アフィリエイト等)を含みます。

山本彩の愛せよ🛒楽天について、いま改めて書いておきたい。2017年10月にアルバム『identity』の中の一曲としてひっそり置かれた曲だ。当時はシングル曲でもタイアップ曲でもなく、アルバムの8曲目に静かに座っていた。それでも、卒業から数年が経ったいま聴き直すと、明らかに座標が変わっている。『愛せよ』は当時「豪華タッグの一曲」だった。今は「卒業後のさや姉がずっと守っている姿勢の、最初の宣言」に変わって聴こえる。

※広告 「愛せよ 山本 彩」を聴く / 買う ▶ 試聴(YouTube Music)🛒 Amazon🛒 楽天

この曲の要点

  • 2017年10月4日リリース、山本彩の2ndソロアルバム『identity』収録曲。
  • 作詞は阿久悠の未発表詞、作曲は水野良樹(いきものがかり)、編曲は亀田誠治という三代の音楽家のクレジットが並ぶ。
  • 2007年に他界した阿久悠の没後10年に合わせた「阿久悠未発表詞105080プロジェクト」の一環として制作された。
  • NHK Eテレ『いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話』(2017年9月23日放送)の企画内で楽曲化の過程が記録された。
  • タイアップは公表されていない。アルバム収録曲としての静かなリリースだった。

🎧 この曲を聴くなら[PR]

まず、どんな曲か。事実の輪郭

結論から言えば、『愛せよ』は「歌謡曲の骨格」と「現代シンガーソングライターの声」を、一度ちゃんと接木した曲だ。

阿久悠が書き遺した詞は、若者に向けて放たれる呼びかけの言葉として構成されている。ピンク・レディーや沢田研二、山口百恵らを成立させた昭和のヒットメーカーが、亡くなる前まで書き留めていた未発表詞のひとつだ。詞そのものは引用しないが、テーマは明快で、「どこから来て、どこへ行くのか」を問うたうえで、それでも生きるなら愛せ、と繰り返す。祈りに近い。応援歌の顔をしていない応援歌、と言ってもいい。

この詞は、阿久悠没後10年の節目に立ち上がった「阿久悠未発表詞105080プロジェクト」の中で発掘された。105080は「没後10年・作詞家50年・生誕80年」の意味だ。膨大な未発表詞から選び出された詞に、現代の作家が曲を付けていく試みで、『愛せよ』はその中の一編に位置する。

水野良樹はこの詞にメロディを付けた。いきものがかりが放牧期間に入っていた時期で、水野がソロで作家仕事に軸を移していたタイミングと重なる。編曲は亀田誠治。前作『Rainbow』(2016年10月)から続く、山本彩ソロのサウンドの背骨を作ってきた人だ。

そして歌うのが、当時24歳、NMB48のキャプテンだった山本彩。この人選のいびつさが、そのまま曲の面白さになっている。阿久悠の詞を今、誰に歌わせるか。ベテラン女性歌手でも、朝ドラ女優でも、シンガーソングライターのビッグネームでもなく、大阪のアイドルグループのキャプテンだった。この飛び方が結果的に正解だった、と今なら言える。

なぜ「山本彩」に託されたのか、を今考える

いま振り返って引っかかるのは、この曲がなぜ他の誰でもなく彼女に来たのか、という一点だ。

2017年の山本彩は、まだNMB48のキャプテンだった。翌2018年10月に大阪・万博記念公園で卒業コンサートを迎える、その1年前。ソロとしては亀田誠治プロデュースで『Rainbow』(2016年)、『identity』(2017年)と2枚のアルバムを積んだ段階で、シンガーソングライターとしての輪郭は既にあった。ただ、世間の視線はまだ「NMB48のさや姉」に強く紐付いていた。

本人は当時のインタビューで、「本来であれば私が阿久悠さんの楽曲を歌える時代じゃない」と言葉を選び、水野良樹への楽曲提供の依頼も自分の意志で行ったことに触れている。これは「アイドルが大物作家に歌わされている」ではなく、「一人のシンガーが企画に手を挙げた」構図だ。ここが後々効いてくる。

阿久悠の詞が問うのは、根本的に「あなたは何者か」という主語の問題だ。アルバムのタイトルがそのまま『identity』であることは、偶然にしては効きすぎている。当時これを「うまく揃った」と読むこともできるが、いまから見ると、翌年の卒業を控えた歌い手が、卒業後の自分に何を残すかを先に選び始めていた、と読める。順序が逆なのだ。曲がテーマを与えたのではなく、テーマを探していた歌い手のところに、詞が来た。

サウンドの読みどころ──「盛らない」というプロダクション

結論から言えば、亀田誠治の編曲は「盛らない」方向で徹底されている。

水野良樹のメロディは、いきものがかり的な開けた歌謡サビの気配を残しつつ、Aメロを低めに落として言葉を運ばせる作りになっている。ここに亀田が過剰な華やかさを乗せず、バンドの余白を残して仕上げた。ストリングスの厚みで押し切るのではなく、山本彩の声の中域が全部聞き取れる音量バランスで、歌詞の呼びかけがそのまま届く設計だ。

面白いのは、サビの届き方が「合唱的」ではなく「独白の延長」になっている点。呼びかけの詞を、群れではなく一人の声で歌わせる。ここに現代性がある。昭和歌謡なら大サビでオーケストラを分厚く盛って合唱的な高揚に持っていくところを、この曲はほとんどそれをやらない。声が一段上がっても、伴奏はあまり跳ねない。だから、聴き手は「聴かされる」というより「話しかけられている」ような感覚になる。

もうひとつ。山本彩の声質は基本的にまっすぐで、ビブラートの深さも控えめだ。歌謡曲を「演じ切る」歌唱ではなく、素の声で読み上げに近づける歌唱を選んでいる。これは阿久悠×水野良樹の詞曲に対して、ある意味で最も勇気のある選択で、装飾で誤魔化さないぶん、フレーズの立ち上がりの息の量までそのまま聴こえる。歌い上げないことで、詞のメッセージ性が却って前に出ている。

小学5年生からギターを始め、高校時代は軽音楽部でバンドをやっていた、という彼女の音楽的な出自も、この歌い方に関係している気がする。歌謡曲の作法で育った歌手ではなく、弾き語りの延長で歌を積み上げてきた人だから、詞を「聞かせる」ときの重心が声帯ではなく胸のあたりに来る。マイクとの距離、息の押し方、フレーズの終わりの抜き方──ライブでギター1本で歌ってきた蓄積が、そのままレコーディングのマイクの前でも出ている。

だから逆説的なんだけど、この曲は「歌謡曲」ではない仕上がりになっている。詞は完全に歌謡曲の書法、メロディも歌謡曲寄り、それでも出てくる音はフォークやシンガーソングライターの領域に近い。この着地は狙って作れるものじゃなくて、3人の作家と1人の歌い手のそれぞれの体重の掛け方の結果として、たまたま生まれた場所だと思う。

後追いで見えてくる補助線──『愛せよ』と、その後のさや姉

ここからが、本当に書きたかったところだ。

2018年にNMB48を卒業した山本彩は、シンガーソングライターとして活動の軸を移した。ライブツアーを重ね、自身の作詞作曲曲をアルバムに積み、亀田誠治との仕事も続けている。世間の看板は「NMB48のキャプテン」から「シンガー・山本彩」へと、時間をかけて置き換わっていった。

この置き換えの過程を全部知ったうえで『愛せよ』を聴き直すと、当時は気づけなかった補助線が引ける。この曲は、彼女がその後ずっと選び続けた「歌い手としての姿勢」の、最初のはっきりした宣言だったのだ。

具体的にはこういうことだ。ひとつは、詞を上から与えられるのではなく、自分から企画に手を挙げて招き寄せるやり方。もうひとつは、大物の作家仕事に対して過剰に演じず、素の声で受け止めるやり方。この二つは、卒業後のソロ活動でずっと繰り返されている。作家仕事も自分の曲も、同じ声で、同じ距離感で歌う。アイドル卒業後にありがちな「大人の歌手像を演じる」路線を、この人は最初から選ばなかった。『愛せよ』はその宣言の最初の1本だった、と今なら言える。

もうひとつ、当時は書きにくかった補助線を足す。阿久悠の詞は本質的に「時代への警鐘」であって、若者への応援歌ではない。だから若い歌い手が明るく歌い切るには、実は難しい詞だ。山本彩はそこを、応援歌に寄せず、諦観と祈りの中間くらいのトーンで着地させた。この距離の取り方は、後年の『イチリンソウ』や『追憶の光』といった曲でも一貫している。歌い手としての「重心の低さ」は、この時点で既に固まっていた。

ここでもう一段踏み込むと、『愛せよ』は「歌い手が自分の未来を選ぶ曲」として機能している。呼びかけの詞の宛先は表面的には若者一般だが、実際にマイクの前で歌うとき、その言葉は自分に返ってくる。若い歌い手が「愛せ」と繰り返せば、それは自分に対する誓いになる。翌年に卒業を控えた時期の山本彩にとって、この詞は結果として自分自身を鼓舞するモノローグになった。当時本人がそれをどこまで意識していたかは分からない。ただ、聴き手の側から見れば、そのモノローグの気配は明らかに録音に残っている。

2018年10月27日、大阪・万博記念公園で行われた卒業コンサート『SAYAKA SONIC』には3万人が集まった。そこから彼女のシンガーソングライターとしての本格的な航海が始まる。『愛せよ』が録音されたのは、その1年前。だから時系列で見ると、卒業前の助走区間に置かれた曲、ということになる。この助走の内容が何だったかは、後から辿ってみると分かる。「作家の格に飲まれずに、素の声で立つ」という基準を先に作っておくこと、だった。

聴かれ方の読み──夜、電気を消してから効く曲

この曲は、たぶん朝には効かない。

『愛せよ』は、通勤の背中を押すタイプの曲でも、休日の朝に窓を開けて流すタイプの曲でもない気がする。効くのは夜、それも電気を消して1日を畳んだあと、寝る前の10分くらいに、イヤホンで1人で聴くとき。呼びかけの詞と、盛らないアレンジと、山本彩の押し付けない声が、ちょうどこの時間帯の耳に合う。ライブで大合唱するタイプの曲としてではなく、1人で受け取る曲として設計されている気がする。

ファンの中には、卒業ライブや配信ライブで聴いて「意外と刺さった曲」としてこれを挙げる人が一定数いる。派手な代表曲ではないのに、時間が経ってから重さが増すタイプの一曲だ。そういう曲は、たぶんアルバムの中盤に置かれることを最初から狙われていて、シングル的な派手さで消費されずに残る。8曲目という配置は、いま思えば正しかった。

年齢を重ねて聴き直したときの効き方が変わる、というのもこの曲の特徴だ。24歳の山本彩が歌ったこの詞を、30代になったリスナーが聴くと、若者への呼びかけとしてではなく、「過去の自分に届けたい言葉」として響く。逆に10代のリスナーが聴くと、まっすぐに投げつけられた言葉として届く。同じ音源が、聴く年齢によって役割を変える。これは阿久悠の詞が持っている懐の深さでもあり、山本彩がそれを装飾せずに歌ったからこそ成立している効果でもある。

3人の作家の遺したもの、という視点

もうひとつ、『愛せよ』を今から振り返るときに外せない視点がある。この曲は、阿久悠・水野良樹・亀田誠治という、三代の日本のポップスの書き手が同じテーブルに着いた稀な一曲だ、という点だ。

阿久悠は昭和の歌謡曲の設計思想を作った人。水野良樹は2000年代以降のJ-POPを国民的なところまで押し上げた作家。亀田誠治は椎名林檎から数え切れないアーティストの音を整えてきた編曲家/プロデューサー。この3人が一堂に会する企画は、狙って作ろうとしてもなかなか成立しない。それが未発表詞プロジェクトという一度きりの器の中で実現し、歌い手として山本彩が呼ばれた。

いま思うのは、この座組みは山本彩のキャリアにとって「格を上げる仕事」ではなくて、「基準を作る仕事」だったということ。この座組みに立ち会った経験が、その後の彼女の楽曲選定や、作家との組み方の基準として、ずっと働いているように見える。派手なタイアップよりも、詞と作家の質で自分の場所を決めていく、という基準だ。

聴きどころ3点

  • Aメロを低く抑えて言葉を運ばせ、サビでも過剰に盛らない亀田誠治の編曲設計。合唱的高揚ではなく独白の延長として届く。
  • 装飾を最小にして素の声で読み上げに近づけた山本彩の歌唱。呼びかけの詞を「演じ切らない」勇気が全体を支えている。
  • 阿久悠の詞にある諦観と、水野良樹のメロディが持つ開けた気配のあいだで、山本彩の声が中間の温度に着地しているバランス。

チャートでの位置づけと、その後の評価

結論から言えば、『愛せよ』はチャートで大きな数字を残した曲ではない。アルバム『identity』の収録曲であり、シングルカットされていない。だから週間チャートでの動きは、アルバムそのものの動きに紐付く形になる。

そのうえで、この曲は「アルバム発表当時よりも、後追いで聴かれた回数の方が多いかもしれない一曲」として語られることが多い。理由は明快で、NHK Eテレの番組で制作過程が可視化されたこと、阿久悠プロジェクトという文脈が話題になったこと、そして山本彩がNMB48卒業後にシンガーとしての地位を固めていったことで、遡って再評価されたからだ。数字上のヒットではなく、「静かに評価が積み上がった曲」と言った方が近い。

チャートの数字は、この曲の価値を測るのに向いていない。むしろ、リリースから時間が経ってなお、彼女のライブのセットリストや作家仕事のリファレンスとして参照されるかどうかの方が、この曲にとっての実質的な指標だ。

入門動線

『愛せよ』で山本彩のシンガーとしての骨格に触れたなら、次に聴くべきは同じアルバム『identity』の中の1曲目『追憶の光』。亀田誠治サウンドの「盛らない」設計思想と、彼女の中域の声の届き方をより明確に確認できる。もう少し広げて聴くなら、卒業後の到達点として『イチリンソウ』も並べたい。『愛せよ』で選ばれた「素の声で立つ」姿勢が、卒業後にどう更新されているかが分かる。

最後に──この曲を今どう置くか

『愛せよ』は、当時の紹介文の中では「阿久悠×水野良樹×亀田誠治という豪華タッグ」というフレーズで語られがちだった。それは間違いじゃない。ただ、その一言で片付けると、この曲がその後の山本彩のキャリアで果たしている役割が抜け落ちる。

いまから読むと、これは「アイドルが大物作家の詞を歌わせてもらった曲」ではなく、「シンガーとしての自分の基準を、この座組みの中で先に決めた曲」だ。卒業も、その後のソロ活動の方向も、この曲を経てからの数年を見れば、地続きに繋がっている。だから『愛せよ』は、いま棚から取り出す価値がある。この曲を聴くことは、山本彩の現在地の輪郭を、少し違う角度から見直すことでもある。

ひとつだけ、答えを出さずに置いておきたい問いがある。この曲を「阿久悠の遺した詞の一つ」として聴くか、「山本彩というシンガーの起点の宣言」として聴くか。どちらの重心で聴くかで、同じ音源が違う曲に聴こえる。この分かれ目は、たぶんファンの数だけあっていい。

まずこの作品から聴く

  • identity(山本彩 2ndアルバム) — 『愛せよ』を含む文脈を全部聴ける
    Amazon / 楽天 で探す
  • Rainbow(山本彩 1stアルバム) — 亀田誠治サウンドの起点
    Amazon / 楽天 で探す
  • 追憶の光 — 同アルバムの背骨となる1曲
    Amazon / 楽天 で探す
  • イチリンソウ — 卒業後の到達点として並べたい
    Amazon / 楽天 で探す

※リンクはアフィリエイト(広告)です。

スピーカーで鳴らすなら[PR]

あわせて読みたい

コメント

タイトルとURLをコピーしました