cero 入門|『Obscure Ride』以降を軸に辿る東京インディーの現在地

都市の夜景を遠くから眺めるような、シンセとホーンが交差する抽象的な音楽イメージ アーティスト

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2004年に東京で結成されたceroが、いまも新しいリスナーを増やし続けている。ストリーミングのプレイリストでたまたま「Summer Soul」に出くわして遡り始めた、という20代の話をこの1年で三度は聞いた。ceroは流行を追わない。自分たちの手癖と偏愛を掘り続けた結果、いつのまにか時代の側が追いついてくるバンドだ。チャートの上下動でなく、10年単位で効いてくるタイプの仕事をしている。

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このバンドの要点

  • ceroは2004年に東京で結成された3人組バンドで、髙城晶平(Vo, G, Flute)、荒内佑(Key)、橋本翼(G, Cho)で構成される。所属レーベルはカクバリズム。
  • 3枚目『Obscure Ride』(2015年)でネオソウル/現行ジャズ/ヒップホップ以降のブラックミュージックを日本語ポップスに接続し、日本のインディーシーンの流れを大きく変えた。
  • 4枚目『POLY LIFE MULTI SOUL』(2018年)はポリリズムを主題化した実験作で、雑誌『ミュージック・マガジン』の「2010年代の邦楽アルバム・ベスト100」で12位に選出された。
  • 5年ぶりの5枚目『e o』を2023年5月にリリース。宅録的な方法論に回帰し、バンド演奏一辺倒ではない編成へ舵を切った。
  • 3人がそれぞれ作曲・アレンジ・プロデュースを手がけ、サポートメンバーを加えたライブ/制作でコンダクトを執る形態を取る。

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プロフィールと来歴 ― 阿佐ヶ谷の3人がバンドになるまで

ceroの始まりは、都会のど真ん中ではない。髙城晶平、荒内佑、そして初期ドラマーの柳智之が高校を卒業したばかりの2004年、Hi-STANDARDの影響で街中がスリーピース・パンクだらけだった時期に、その流れとは別のことをやろうとして組んだのがceroだった。当初はポストロック寄りだったという。この「隣で流行っているものと、あえて違う地図を広げる」姿勢は、後の変遷を辿るうえで大きな補助線になる。

2006年頃、ジオラマシーンとして活動していた橋本翼が加入。2011年には柳が脱退し、その後は髙城・荒内・橋本の3人体制で今日まで続いている。柳はバンドを離れてからも、アルバムのジャケット絵を描く形で関わり続けている。この関係の続き方も、ceroの人選のあり方をよく表している。切れたら終わり、という切り方をしない。

初期の彼らのホームは阿佐ヶ谷から吉祥寺にかけての、中央線沿いのやや外れた街だ。髙城は過去のインタビューで「西東京の外れののどかなところ」に住み、遠くに新宿のビルを眺めながら育った距離感を語っている。都市に憧れつつ、渦中に飛び込むと空洞に感じる ― この二重性は、彼らの詞世界の背骨としてずっと通底している。

2011年、1stアルバムWORLD RECORD🛒楽天でデビュー。翌2012年、東日本大震災を経た2ndアルバムMy Lost City🛒楽天で、都市の享楽性と虚構性が崩落していく物語を書き切って、日本のインディーシーンでの位置を決定づけた。ここまでが第一期、と言っていい。

音楽性の核 ― 「エキゾチカ」と「物語」という2本の柱

ceroの音楽性を一語でまとめるなら「エキゾチカ」だ。バンド自身も、様々な感情や情景を広く「エキゾチカ」と捉え、それをポップミュージックへと昇華させる、と説明している。この語の使い方が重要で、彼らにとってエキゾチカは、外側の異国情緒を借りてくることではない。むしろ、自分たちの生活圏の中にすでに存在している「見慣れているのに輪郭が奇妙なもの」を掬い上げる態度に近い。

もうひとつの柱は「物語」の設計力だ。荒内はかつて、藤井洋平のようなR&B的な色気を日本語で歌うアプローチと対比させて、ceroの場合は歌詞が「物語」になっていく、と語ったことがある。言葉数が多く、それが物語として自立していて、音楽性はブラックミュージック ― この配合はceroにしか作れないバランスだ、と。この自己認識は正確だと思う。日本語詞と現行ブラックミュージックの折衷は他にもあるが、そこに「三人称の視点で街を歩く小説」のような時間軸を編み込んでいるのはceroの発明に近い。

キャリアを通じたサウンドの変化を大づかみに整理するとこうなる。初期はスチール・パンやSufjan Stevensに象徴されるフリーフォーク、そしてヒップホップ的な発想を絡めたエキゾチックなポップ。『Obscure Ride』でネオソウルと現代ジャズのリズム語彙に大きく舵を切り、『POLY LIFE MULTI SOUL』でアフロ的なポリリズムまで踏み込む。そして『e o』では、身体的なバンド演奏の比重を下げ、ホームレコーディングとプログラミングを軸にした宅録的な方法論へ回帰した。

初期作と『e o』を並べて聴き直すと分かるが、変わっているのは表層のリズムとテクスチャで、深いところの手つきはあまり変わっていない。日常の一場面を、少し斜めから凝視すると輪郭が歪んで見える ― その視力を、その時々に一番効きそうな音楽言語で提示している。だから振れ幅の大きさに対して、聴後感が驚くほど一貫している。

聴きどころ3点

  • 3人ぶんの作家性が並列で走る。髙城・荒内・橋本の3人がそれぞれ作曲・編曲・プロデュースを手がけるため、1枚のアルバムの中に別々の景色が同居する。1曲単位よりアルバム単位で聴いた方が構造が見える。
  • コーラスワークと管の使い方。特に2016年以降、サポートに古川麦・小田朋美・角銅真実らが加わってから、コーラスは単なる装飾でなく主旋律と対等の楽器として機能している。
  • 詞の視点の切り替え。一人称と三人称が同じ曲内で入れ替わり、都市の風景と個人の内面が地続きになる。歌詞カードを開いて追うと、曲の設計図が透ける。

代表作を軸に辿る ― 4枚のアルバムの読みどころ

結論から言うと、ceroに入るなら『Obscure Ride』か『e o』のどちらかから入るのが早い。ただし4枚を通して聴くと、明確に「別々のバンドが同じ名前で活動してきた」ように聴こえる贅沢がある。

2012年の『My Lost City』は、震災後の東京を舞台にしたパラレルワールド的な物語アルバム。都市の虚構性が崩れていく感覚を、多層的なアレンジと文学的な詞で描き切った。ceroの存在をシーンに明示した決定打、と当時多くの媒体で書かれた。いま聴き直すと、ここに『Obscure Ride』以降の展開の種がほぼ全部埋まっているのが分かる。

2015年のObscure Ride🛒楽天が、ceroにとっての「後戻りできない橋」だった。新世代ジャズとヒップホップ、その源流にある90年代のネオソウルからの刺激を、薄めずに、濃いまま日本語ポップスとして成立させてしまった。「Summer Soul」「Elephant Ghost」「Yellow Magus」など、いま入門者に最初に届く曲の多くはこの流れに位置している。日本のCDショップ大賞にも入賞し、以降の日本のインディー/シティポップ系の流れを大きく引き寄せた1枚だ。

2018年のPOLY LIFE MULTI SOUL🛒楽天はさらに先鋭化する。前作の路線に、複雑かつ高度なアフロ的ポリリズムを重ねた。オリコンデイリー1位を記録し、雑誌『ミュージック・マガジン』の「2010年代の邦楽アルバム・ベスト100」で12位に選出されている。正直に言って、初聴では拍が取れない曲が何曲かある。それでも聴き通せてしまうのは、リズムの複雑さがコーラスワークやアレンジの精度で包み込まれているからだ。頭で聴くより、身体を預けた方が入ってくる。

そして2023年のe o🛒楽天。5年ぶりのアルバムは、それまでの「バンドとして生演奏で組み上げる」プロセスをいったん脇に置き、橋本翼が住んでいた吉祥寺のマンション、次いでカクバリズムの事務所の一室で、3人だけで宅録的に組み立てた。荒内は「3人とも宅録出身なので、自然なやり方に戻った」と、髙城は「高校生の頃はこんな感じで曲を作った」と振り返っている。ここが面白い。過去2作の「バンドとしての到達点」を捨てて、原点回帰と一体化させた。約42分というコンパクトな尺で、5分を超える曲は1曲だけ。フリーキーさを保ったまま、風通しがいい。

『e o』は、ライブの熱量よりも、朝や夕方に自分ひとりで聴くときに輪郭が立ち上がる作品として設計されている気がする。実際、日曜の朝に「Fuha」から流し始めると、部屋の空気が微妙に変わる。長く聴いてきたファンほど、この「軽さ」に最初戸惑って、二周目から効いてくる ― そういう聴かれ方をしているアルバムだと思う。

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髙城・荒内・橋本 ― 3人の作家性の違い

ceroを深く聴くほど、3人の書く曲が別のバンドの音楽のように違うことに気づく。同じアルバムに同居していることの方が、よく考えれば不思議なくらいだ。ここに補助線を引いておくと、ディスコグラフィの見晴らしが一段よくなる。

髙城晶平の曲は、時間軸を含んだ物語を1曲の中に折り畳むタイプだ。街の風景と個人の記憶を横断しながら、映画のワンシーンのような場面を提示する。ボーカリストとしての彼の呼吸が、そのまま曲の骨格になっている。ソロ名義でも活動しており、ジャズ/R&B系のプレイヤーと組んだときの語り口には、ceroとはまた違う体温がある。

荒内佑は、アルバムの中で最も実験的な構造を担う書き手だ。『POLY LIFE MULTI SOUL』のポリリズム路線を強力に牽引したのは彼の作家性で、和声とリズムを同時に組み替える手つきが独特だ。編曲面での貢献も大きく、ceroのアレンジの「涼しさ」の相当部分は彼の設計に依っている。

橋本翼は、加入時期の関係もあって語られ方が控えめだが、実は近年のceroの空気感を決めているのは彼の書く曲の割合が大きい。ギタリストとしての音の選び方に、他の2人にはない都会的な湿度がある。『e o』の制作の場が彼の吉祥寺のマンションから始まったのも象徴的で、あのアルバムの部屋の匂いのような感触は、橋本の生活圏を通過している。

3人の作家性が並列で走っているからこそ、ceroのアルバムは1枚ごとに景色が変わる。逆に言うと、この構造を知らずに1曲だけ聴いて「ceroってこういうバンド」と括ると、ほぼ必ず外す。少なくとも1枚を通しで、できれば2枚を並行して聴くのが最短ルートだ。

ライブというもう一つの本体

ceroはスタジオ盤のバンド、と長く思われがちだったが、2016年以降のライブは明確に別の本体になっている。古川麦、小田朋美、角銅真実といったサポート陣が加わったことで、コーラスとホーンとパーカッションの層が厚みを増し、スタジオ盤の緻密さを保ちながら現場でしか鳴らない熱量が乗るようになった。

ライブ映像を追っていくと、『Obscure Ride』ツアー、『POLY LIFE MULTI SOUL』ツアー、そして『e o』ツアーで、バンドの重心が明らかに変わっているのが見える。特に『POLY LIFE MULTI SOUL』期の演奏は、ジャズフェスに出しても違和感のない完成度で、複雑なリズムを笑顔で回している。あの光景をリアルタイムで観た人と観ていない人では、ceroへの印象がかなり違うはずだ。

初めてライブに行くなら、対バンより単独公演を勧めたい。1枚のアルバムを通したセットリストで、初めて曲の並びの意味が立ち上がるバンドだからだ。フジロックなどのフェス出演ももちろん見応えがあるが、あれは入口としてより、ある程度アルバムを聴き込んでから再確認するための場と考えた方がいい。

同時代のシーンとの関係 ― カクバリズムという場

ceroを語るときにレーベル・カクバリズムの話は外せない。角張渉が主宰するこのレーベルは、ceroのほかに片想い、YOUR SONG IS GOOD、思い出野郎Aチームなどを擁し、東京のインディーシーンの中でも独特のコミュニティを形成している。ceroの音楽的な冒険は、この「同じ場所に長くいる仲間がいる」という土壌に支えられている部分が大きい。

周辺への影響という意味では、『Obscure Ride』以降のceroが果たした役割はかなり大きい。当時の日本語ポップスと、ロバート・グラスパー以降の新世代ジャズやディアンジェロ的なネオソウルとの間には、正直に言えば分厚い壁があった。R&Bと言えばいきなりオーバーグラウンドのメガヒット狙い、というのが日本の実情で、その間を取り持つ媒介者が不足していた。その空白に、ceroの音楽と、藤井洋平のような同時代の作り手が飛び込んで、以降の折坂悠太、Suchmos、KIRINJIの新章など、隣接するシーンの動き方を変えていった。

ライブ映像を見ると分かるが、サポートメンバーの人選にもceroの美意識が現れる。古川麦、小田朋美、角銅真実 ― 単独の作家としても第一級の面々が、ceroの現場に長く出入りしている。バンドの外との回路がずっと開いているから、内側だけで煮詰まらない。ここは他の長寿バンドと比べても目立つ特徴だ。

いまチャートで聴かれている理由

ceroの曲が2020年代半ばの今もチャートやプレイリストに現れ続けているのは、単純にリバイバルではない。むしろ「先に鳴らしていたものに、時代の耳が追いついた」現象だと考えている。ネオソウルやポリリズムに慣れたリスナー層が国内でようやく厚みを持ってきた結果、10年前の『Obscure Ride』が「懐かしい過去の名盤」ではなく「いま鳴っていても違和感がない作品」として再生されている。

もうひとつは、聴き方の変化。サブスクの普及で、アーティスト単位のディスコグラフィをまとめて聴くリスナーが増えた。ceroのように「1枚ごとに別のバンドみたいに見える」歩みは、シングル単位よりディスコグラフィ単位で受け止められた方が魅力が伝わる。時代のフォーマットが、ceroの作り方に少し追いついた面もある。

チャート上での動きに一喜一憂するタイプのバンドではない。順位はスナップショットに過ぎない。ceroが積んでいるのは、20年後にも参照される「日本のポップスの座標軸」の方だ。

ファンの間で解釈が分かれる論点

長く聴いてきた人ほど意見が割れるのが、「ceroの最高到達点はどれか」という問いだ。『My Lost City』の物語構築力を推す派、『Obscure Ride』のブレイクスルーを推す派、『POLY LIFE MULTI SOUL』の実験性を推す派、そして『e o』の軽やかな成熟を推す派。それぞれに理があって、答えが出ない。

個人的には、『POLY LIFE MULTI SOUL』を「頂点」と呼ぶのは少し違う気がしている。あれは頂点というより、限界地点だった。だからこそ次の『e o』で、頂点を目指すのをやめて別の山に登り直した。ceroの面白さは、頂を極めた後に降りて、別のルートを歩き始めるところにあると思う。ここは異論を歓迎したい論点だ。

これから聴くなら ― 入門動線

結論から言うと、迷ったら『Obscure Ride』から入って、次に『e o』へ飛ぶといい。時系列に沿わなくていい。まず「今のceroが好きになれるか」を確かめてから、過去へ遡ったほうがハマる確率が高い。

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入門動線

  • まずこの1曲:「Summer Soul」(『Obscure Ride』収録)。ceroの提示した日本語×ネオソウルの均衡点が、3分半で分かる。
  • 次にこの1枚:『Obscure Ride』。ここが基点。以降のシーンを含めて聴き方が変わる。
  • 深めるならこの1枚:『e o』。宅録回帰の軽やかさと、20年やってきたバンドだからこその筆致を味わう。合えば『POLY LIFE MULTI SOUL』へ。

ceroは、聴くたびに解像度が上がる。1回目で好きにならなくても構わない。半年後、朝の電車で「Elephant Ghost」がプレイリストの流れで再生されたときに、ふと輪郭が変わる ― そういう出会い方をする音楽だ。ここまで読んでくれた人が、そのタイミングに立ち会えることを願っている。

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