羊文学・塩塚モエカの音楽性を辿る|『our hope』から『12 hugs』への軌跡

夜の窓辺に置かれた白いテレキャスターと、ぼんやり滲むアンプの赤いパイロットランプ アーティスト

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羊文学のフロント・塩塚モエカについて書こうとして、ずいぶん長くカーソルが止まった。轟音のバンドなのに、聴き終えたあと部屋が静かになる。この感触をどう言葉にすればいいのか。彼女の轟音は破壊のためではなく、聴き手の内側にある柔らかい場所を守るために鳴っている。まずはここから始めたい。

2023年秋、TVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」のエンディング「more than words」で、彼女たちの音は一段と広い場所に届いた。2024年以降のアジアツアー、2025年の日本武道館公演——ここ数年の羊文学は、インディーの尊さを保ったまま規模だけが静かに膨らんでいる、という不思議な線を描いている。今回は塩塚モエカという人と、羊文学というバンドの音楽性を、代表作を横に並べながら読み直したい。

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このアーティストの要点

  • 羊文学は2011年、塩塚モエカが中学3年の時に5人組のコピーバンドとして結成され、メンバーチェンジを経て2017年から塩塚・河西ゆりか・フクダヒロアの3人で活動開始、2020年にメジャーデビューした日本のオルタナティヴ・ロック・バンド。
  • 塩塚モエカは1996年、東京生まれ。羊文学のギターボーカルで、全楽曲の作詞・作曲を務める
  • メジャー2nd『our hope』は第15回CDショップ大賞2023で大賞〈青〉を受賞した
  • 「more than words」はTVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」エンディングテーマとして書き下ろされた楽曲
  • 2025年末にフクダが脱退、2人組となることが発表され、現在は塩塚と河西ゆりかの2人体制。

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プロフィールと来歴——中3の教室から武道館まで

塩塚モエカの経歴を追うと、決して短距離走ではないことに気づく。2011年に中学3年で結成された5人組のコピーバンドが原型で、そこから何度もメンバーが入れ替わっている。この「粘り」がまず面白い。中高生のバンドで10年以上続くケースは、そもそも稀だ。

2017年にベースのメンバーが脱退し、Twitterによるメンバー公募の結果、ゆりかが加入して現在のメンバー編成になった——このエピソードは何度読んでも良い。SNSで人を募る、というやり方が2010年代半ばのインディーの空気そのものだからだ。2018年には初のワンマンライブを開催し、そこから数年で景色は変わっていく。

2020年8月、ソニー・ミュージック傘下のレーベル F.C.L.S. からメジャーデビュー。同年12月にメジャー1stPOWERS🛒楽天をリリース。2022年4月20日にはメジャー2ndフル・アルバム『our hope』をリリースし、第15回CDショップ大賞2023 大賞〈青〉を受賞する。CDショップ大賞は、全国のCDショップ店員が投票で選ぶ賞だ。数字ではなく、日々レジで音源を売っている人たちが「これを推したい」と手を挙げた作品。この事実の意味合いは、オリコンの週間何位よりずっと重い、と個人的には思う。

そして2025年末にフクダヒロアが脱退、羊文学は2人組となる。ドラマーが抜けたバンドがどう鳴るのか、これから聴く側も試される。ここまでの歩みを見ると、羊文学は「変化を怖がらないバンド」だ。編成が変わっても曲が続く。塩塚のソングライティングが器のかたちを決めているからだと思う。

音楽性の核——シューゲイズとポップスの、あわいで

音楽性を一語でくくるなら、オルタナティヴ・ロック。ただ、これでは何も言ったことにならない。もう少し踏み込みたい。

羊文学の音の中心には、歪みの層がある。My Bloody Valentine 以降のシューゲイズ、90年代米インディーのオルタナ、そして日本語ポップスの歌メロ——この3つを、塩塚モエカの声がひとつの平面に載せる。轟音の海に、細い蛍光ペンで線を引くような、あの独特の歌唱。声を張らない。声を透かせる。この選択がそのままバンドの肌ざわりを決めている。

塩塚のギターも独特だ。ジャガーやジャズマスターの鋭い高音、そこにリバーブとディレイを重ねて、輪郭をあえて滲ませていく。曲の頭で鳴る単音のフレーズが、そのまま曲の情景を決めてしまうことが多い。初期の「トンネルを抜けたら」から、最新期の「more than words」まで、この「イントロで景色を出す」設計は一貫している。

作詞面では、断片的な情景と、内省的なモノローグの往復が特徴。恋愛や成功譚のわかりやすい叙述ではなく、ある夜の思考、ある窓の光、ある人の言葉の記憶——そういう小さな粒を拾い集めるように詞が組まれている。だから聴き手は、自分の生活のどこかにその粒を接続できる。ここが羊文学の詞の強さだ。

聴きどころ3点

  • 轟音と歌メロの共存:ギターがどれだけ歪んでも、塩塚のボーカルラインは澄んだまま前に出る。ロックバンドとしてかなり難易度の高いバランスを、当たり前のように成立させている。
  • イントロの景色:曲の最初の数秒で「どこにいるか」を決めるコード感とギターの残響。夜の車内、放課後の教室、無人駅のホーム——曲ごとに場所が浮かぶ。
  • ドラムの奥行き:3ピース時代のフクダのドラムは、手数で押すのではなく空気の圧で押すタイプだった。2人体制以降の再構築も、ここが聴きどころになる。

代表作を辿る——3枚のアルバムでキャリアを読む

羊文学を初めて聴くなら、メジャー期の3枚が入口になる。順に見ていこう。

POWERS(2020年12月)。メジャー1st。インディー期の緻密な音像を保ちつつ、メジャーの制作環境で鳴らし直したような手触り。「1999」「マフラー」「あいまい」など、インディー時代からの代表曲もこの流れの中で聴くとより輪郭がはっきりする。歌モノとしての骨格と、シューゲイズ的な音の壁が、まだ拮抗している段階。

our hope🛒楽天(2022年4月)。個人的にはここでバンドが一段化けたと思っている。「光るとき」や「マヨイガ」など全12曲が収録されたアルバムで、歌の座り方が明らかに違う。轟音の中で歌が痩せない。むしろ音の壁を背中にして歌が自立している。CDショップ大賞〈青〉受賞は、ライブハウス側から見た彼女たちの完成度への同時代的な返答だった、と読むのが自然だ。

12 hugs (like butterflies)🛒楽天(2023年12月6日)。前作『our hope』から約1年半ぶりとなるフルアルバムで、前作以降にシングルとして発表された「永遠のブルー」「FOOL」「more than words」を含む全12曲が収録された。アルバムタイトルはバタフライハグに由来し、「自分自身をハグする12曲」という意味が込められている。バタフライハグはトラウマケアで用いられるセルフタッチの手法で、このタイトルの選び方に、いまの塩塚モエカの立ち位置が透けている。外に向かって拡張し続けるのではなく、内側の自分と和解する曲を、聴き手に手渡すこと。轟音バンドがこの角度に降りてくるのは珍しい。

タイアップ面では、「more than words」がTVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」エンディングテーマとして書き下ろされ、羊文学の名前を一気にアニメリスナー層にも広げた。この曲を書くにあたり塩塚は書き下ろしのために漫画全巻を読んだという。既存曲を差し込むのではなく、作品を読んで、自分たちの言語に翻訳して書き下ろす——このプロセスがちゃんと曲に出ている。だから、原作ファンからの反発が少なかった。

加えて「永遠のブルー」はNTTドコモ「iPhone14/青春割」CMソング、「FOOL」はMBS/TBSドラマイズム『往生際の意味を知れ!』ED主題歌となっており、アルバム収録曲がそのまま外部媒体との接点をつくってきた。ここ数年の羊文学は、タイアップの窓口をひとつずつ丁寧に開けていった印象がある。無差別に量産するのではなく、作品側の温度に合うものだけを引き受けている。

カルチャー的な文脈——2020年代日本のオルタナを担う位置

2020年代の日本のギターバンドを俯瞰したとき、羊文学の位置はかなり独特だ。ネット発のバンドでもなく、ロキノン系フェスの中心にいるわけでもない。かといってアンダーグラウンドに閉じてもいない。ライブハウスからフェスの上段まで、地に足のついたキャリアの積み方をしている数少ないバンドのひとつだ。

2020年のFUJI ROCK FESTIVAL出演以降、フェスの現場での存在感は年々増している。大音量のPAを前提にした彼女たちの音は、屋外の広い空間で本領を発揮する。日中の日差しの下でシューゲイズが鳴る、というのは本来ミスマッチのはずなのに、羊文学のライブでは違和感がない。ここは実際に現地で観るまで分からない部分だ。

塩塚モエカ個人の活動も広がっている。ソロ活動では、羊文学とは異なる楽曲を、時にボーカルエフェクトも使いギター弾き語りで演奏。浮遊感のあるパフォーマンスが特徴的で、バンドの外側でも音を鳴らし続けている。アイコニックなキャラクターから、ファッションブランドや広告でのモデルを務めるなど活動の枠を拡げている。音楽以外の領域からも「彼女」を発見するリスナーが増えている、というのが2020年代らしい。

興味深いのは、中村弘二は羊文学がインディーズバンドとして活動していた頃から本バンドの音楽性を称賛しており、2017年には中村と唯川恵の制作した楽曲「地図にないルート feat. moekashiotsuka」に塩塚モエカがボーカルとして参加しているという事実。90年代〜00年代の日本のオルタナを牽引した先人が、まだ無名だった羊文学を早い段階で見つけていた。この系譜のうえに、いまの塩塚モエカがいる。

いまチャートで鳴っている意味

チャートの数字だけで羊文学の現在地を測るのは、少し勿体ない。もちろん「more than words」以降のストリーミング数は明らかに伸びているし、ラジオでのオンエア回数もじわりと積み上がっている。ただ、彼女たちの本当の強さは、リリース直後のスパイクではなく、リリースから半年経ってもプレイリストに残り続ける「粘り」のほうにある。

ここが冒頭に置いた核心につながる。ヒット曲を出したから聴かれているのではなく、日々の生活の中で「この温度の音がいま欲しい」というリスナーの需要に、静かに合致し続けている。だから消費されにくい。バズって終わり、にならない。

個人的な話をひとつだけ。2023年12月8日にTHE FIRST TAKE で「more than words」を披露した映像を、私は何度か見返している。3ピースオルタナティブロックバンド羊文学が1年7か月ぶりに登場し、TVアニメ『呪術廻戦』第2期「渋谷事変」エンディングテーマとして書き下ろした「more than words」を披露するという短い告知文の裏で、あの日のスタジオは相当な緊張感だったはずだ。塩塚のギターは、一発録りだと歪みの微妙な残響がごまかせない。にも関わらず、あの映像の演奏はスタジオ音源よりむしろ静かに聴こえる。轟音バンドが静けさを鳴らす。ここが羊文学の最も難しい芸当で、今のチャートで彼女たちが持っている固有の価値だと思う。

塩塚モエカという書き手——「透ける声」の設計

バンド全体の話をひとしきりしたので、ここからは書き手・塩塚モエカ個人にもう一段ズームインしたい。彼女の声について、である。

塩塚のボーカルは、音圧で押すタイプではない。むしろ抜くタイプだ。母音を張らない。子音を強調しない。息が半分混ざったような発声で、ギターの歪みの層の「上」ではなく「あいだ」に潜り込んでいく。ロックバンドのボーカルとしては珍しい設計で、真似しようとしても大抵は音の壁に負けて聴こえなくなる。彼女の場合は負けない。音量ではなく、音の”距離感”で前に出ている。

ソングライティング面も少し変わっている。幼稚園の頃からずっと歌手に憧れていたという塩塚モエカは、小学生のころにYUI、そして映画『NANA』をきっかけに中島美嘉が好きになり、自分もシンガーソングライターになりたいと思っていたという。日本語のシンガーソングライター文脈から出発した人が、UKやUSのオルタナ/シューゲイズを吸収してバンドを組む——このルート自体がわりに珍しい。だから羊文学の曲は、洋楽オルタナのフォーマットに乗せながらも、歌のメロディラインが徹底して「日本語ポップスの発想」で書かれている。羊文学の音楽ジャンルは、型にはまらないと評されるのはこのハイブリッド性ゆえだ。

作詞に関しては、比喩の使い方が独特。夜、光、水、動物、季節——身近なモチーフを、意味を確定させないままに置いていく手つき。「これはこういう意味です」と説明されない。だから聴くたびに違う情景が立ち上がる。ここは書き手として相当に意識してやっている部分だと思う。歌詞をSNSで引用したときに、多義的に読める余白がちゃんと残っている。

ライブの現場——空間を鳴らすバンド

音源だけで判断すると、羊文学は「内省的な宅録寄りのバンド」に見える瞬間がある。ライブに行くとその印象は覆る。彼女たちは空間を鳴らすバンドだ。

ライブハウス規模での羊文学は、音源よりずっと荒々しい。塩塚のギターがステージ上でフィードバックを起こす、そのノイズが曲間の余白に残っている。恵比寿リキッドルームでファイナルを迎えたワンマンツアーは全てソールドアウトになった、というのは2020年頃の記述だが、この時期の彼女たちはライブごとに音の重心が変わっていた印象がある。曲の輪郭が固まる前の、生々しさが残っていた。

フェスの現場での羊文学は、また違う顔を見せる。屋外の日中、遠くまで音を届ける必要がある場所で、彼女たちは音源よりむしろ歌の輪郭を強く出す。轟音は保ったまま、ボーカルのミックスだけを一段前に押し出す運用。この切り替えができるバンドは意外と少ない。

そして2025年の武道館。ここでの羊文学は、また別の課題に直面していたはずだ。武道館はスタジアム級より小さいが、ライブハウスよりずっと反響が長い。彼女たちの得意な「残響を含んだ音の壁」が、会場の反響とぶつかる。ここをどう処理したかは、映像作品でチェックできる予定なので、興味のある人は追ってほしい。

これから聴くならどこから

初めて羊文学に触れる人が、どこから入るかで印象がだいぶ変わるバンドでもある。順序を間違えると、単なる「アニメタイアップの綺麗な歌もの」で終わってしまう。それは勿体ない。以下の3ステップを提案したい。

まずこの作品から聴く

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  • our hope — 受賞作。歌が最も強い一枚
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  • more than words — アニメ経由の入口曲
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  • POWERS — メジャー期の始点
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入門動線

  • まずこの1曲:「more than words」。羊文学の入口として、いま最も広く共有されている曲。呪術廻戦との接点で聴く人が多いが、原作を知らなくても、歌とギターの均衡の面白さは伝わる。
  • 次にこの1枚:『12 hugs (like butterflies)』。シングルで拾ってきたヒット曲群と、アルバム曲の間にある温度差を体験してほしい。バタフライハグというタイトルの意味を知ってから聴くと、曲順の設計も見えてくる。
  • 深めるならこの1枚:『our hope』。CDショップ大賞〈青〉受賞作。「光るとき」「マヨイガ」を含む12曲。羊文学が「メジャーで鳴らすオルタナ」という難題にどう答えを出したか、を最もクリアに聴ける一枚。

ライブに行ける機会があれば、ぜひ現場で音圧を浴びてほしい。スピーカーの前で低音が胸を押してくる、あの物理的な感覚は音源だけでは分からない。塩塚モエカのギターは、耳ではなく胸で聴く楽器だと私は思っている。

2人体制に移行した2026年以降の羊文学がどう変わるか、正直まだ分からない。ドラムを迎える形になるのか、打ち込みや別の質感を取り込むのか。ただ、塩塚モエカの書く曲が続く限り、羊文学の芯は揺れないはずだ。轟音の中に、聴き手の柔らかい場所を守る場所を、彼女はもう10年以上作り続けている。それは編成の話ではなく、書き手の話だから。

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