2013年10月2日にリリースされた星野源の6thシングル地獄でなぜ悪い🛒楽天。園子温監督の同名映画の主題歌として書き下ろされた1曲が、10年以上経ったいま、あらためて聴かれ直している。2024年末の紅白では弾き語りバージョンで披露された。当時の紹介ではなく、「今この位置から振り返るとどう読めるか」を書きたい。
病室で書かれた曲が、10年経って『生き延びる歌』としてキャリアの根に残ったのは偶然じゃない。ここに書きたいのは、そういう話です。
この曲の要点
- 2013年10月2日リリース、星野源の6thシングル。映画『地獄でなぜ悪い』(園子温監督・2013年9月28日公開)の主題歌として書き下ろされた。
- くも膜下出血による2度目の活動休止中に発売された作品。レコーディング自体は活動休止前に行われていた。
- 2015年12月2日リリースの4thアルバム『YELLOW DANCER』に収録。同アルバムには「SUN」「Week End」なども収録されている。
- 作詞・作曲は星野源本人。編曲は岡村美央・武嶋聡・星野源の連名。
- 2024年の第75回NHK紅白歌合戦で、弾き語りバージョンとして再び披露された。
10年越しに見えてくる「位置」
結論から言うと、この曲は星野源のキャリアの分岐点の直前に置かれた楔だ。当時はそう見えなかった。むしろ「活動休止中の作家が、療養の合間に映画のために書いた6枚目のシングル」という位置づけで語られていた。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌「恋」が国民的ヒットになるのは2016年。ここから3年後の話です。
だから当時のリスナーは、この曲を『闘病中のシングル』として聴いた。今聴くと違う。「SUN」「恋」「アイデア」「不思議」と続いていくポップな星野源、いわゆるYELLOW DANCER以降の身振りの起点が、ここに全部入っている。ホーンの入り方、ゴスペルコーラスの用法、モータウン的なバックビート、ソウルの語彙で日本語ポップスを書くという設計思想。全部この曲で試された。そう。試作機なんです、これは。
2015年に4thアルバム『YELLOW DANCER』が出て、「SUN」で紅白初出場、翌年「恋」が社会現象になる——その未来を知ってから2013年のこのシングルを聴き直すと、あの華やかな一連の勝利は突然発生したものじゃなかったとわかる。むしろ「作家が動けなくなった時間」に静かに準備されていた。この観察は、当時のリアルタイムのリスナーからは絶対に見えなかった補助線です。
制作背景:病室と園子温、二つの地獄
この曲を語るときに避けて通れないのが、二重の「地獄」の存在だ。ひとつは映画『地獄でなぜ悪い』——園子温監督のカルト的な狂騒劇。もうひとつは、星野源自身が2012年末に発症したくも膜下出血。2013年3月に一度活動を再開したものの、6月の検査結果を受けて再び活動休止に入り、再発防止のための治療に専念していた。9月末に再手術の成功が発表され、その直後にこのシングルが発売されている。
星野源本人が出演もしている映画からのオファーで書き下ろされた曲。レコーディングは活動休止前に行われていた。つまり、リリースされた時点で作者はまだ本人が動けない状態にあった。この事実がこの曲の残り方を決めている、と今なら言える。
面白いのは、園子温監督の作品世界と星野源の当時の状況が、まったく別種の地獄だったことだ。映画のほうは血まみれの狂躁で、星野源のほうは静かな病室。そこにひとつのタイトルで橋を架けた。「地獄で、なぜ悪い」——このフレーズが映画の題であり、書き手にとって自分自身への言い聞かせでもある構造が、この曲を単なる映画タイアップの枠から押し出した。今のタイアップ楽曲の作られ方、つまりアーティスト側の私的な文脈を作品世界に接続するやり方の、教科書的な例に見える。まだそういう作り方が今ほど一般化していなかった時代の話です。
サウンド:モータウンの語彙でJ-POPを書き直す実験
この曲のサウンドは、いま聴くと驚くほど具体的な設計がされている。イントロで鳴るホーンセクションの入り方は、明らかに60年代モータウンのアレンジ様式を意識している。武嶋聡のサックス、岡村美央のホーン・アレンジ、そして星野本人。三者の連名クレジットからも、これがバンドサウンドではなくアレンジャーの音楽として組まれたことがわかる。
特に注目したいのはリズムの重心の置き方だ。BPMそのものは中速、日本のJ-POPの標準内に収まっている。しかしバックビートの取り方、ドラムのハイハットのゆらしが完全にソウル/ファンクの語法で書かれている。当時の日本の主流ポップスからすると、この重心の低さはかなり異物だった。それでもポップソングとして聴こえるようにギリギリのバランスを取っている。ここが技術的にすごい。
コーラスワークも、ゴスペルの応答形式(コール&レスポンス)を援用している。日本語詞をこのフォーマットに乗せると、たいてい歌詞が浮くか、フォーマットが崩れるかのどちらかになる。この曲は乗り切っている。おそらく星野源がボーカルのフレージング自体を、コーラス側のリズムを想定して書いているからだ。作詞・作曲・編曲を一人で握っている作家の強みが、いちばん出ている箇所だと思う。
そしてこの音響設計が、そのまま2年後の『YELLOW DANCER』の音像に接続されていく。アルバムを通して聴くと、この曲がアルバムの中盤(7曲目)に配置されているのは偶然じゃない。全体の音色の中心軸として置かれている。
2013年のJ-POPシーンでの位置
この曲が出た2013年の日本の音楽シーンを、少し思い出しておきたい。オリコンの年間シングル上位はAKB48グループ、嵐、SMAP、EXILE系が並ぶ時代。ストリーミングはまだ本格化前、CD市場の重力が最後に強かった年です。その中で、ソウル/ファンクの語彙で真剣にポップスを組もうとしている日本人ソングライターは決して多くなかった。
もちろん先行する仕事はある。細野晴臣、久保田利伸、鈴木雅之、山下達郎——日本のブラックミュージック受容の系譜は太い。星野源自身、細野さんへのリスペクトは常に公言してきた。ただ2013年時点でその系譜を、シングルという最も大衆的なフォーマットで、しかも映画タイアップという商業的な文脈で真剣にやろうとしていた同世代作家は、ほとんどいなかった。この曲の”孤立感”は、当時の音楽状況を見ると際立つ。
そこから10年経って、日本のポップスは大きく変わった。King Gnu、藤井風、Vaundy、adieuなど、ソウル/R&Bの語彙を当たり前に扱う次世代が主流化した。この地殻変動の入り口に、星野源のこの時期の一連の仕事があった、というのは言い過ぎではないと思う。「YELLOW DANCER」というアルバムタイトル自体が、”黄色人種がソウル/ファンクを踊る”という自覚的な宣言だった。その宣言の第一稿が、この2013年のシングルです。
テーマの読み直し:「明るさ」の設計思想
結論を先に言うと、この曲の明るさは自然発生ではない。設計されている。ここが今聴き直して一番のポイントだ。
底抜けに明るいメロディと軽快なリズム。しかしその下で書き手が向き合っていたのは、生死に関わる病だった。この落差を「明るく歌うことで前向きになる」という単純な話に回収してしまうと、この曲の核心を外す。星野源がこの時期以降ずっとやっているのは、「暗さを暗く歌わない」という選択の反復です。それがコンテンツとしての機能を持つ、と発見した。
療養中の作家が「地獄で、なぜ悪い」と書いたとき、それは強がりでも達観でもなくて、地獄の存在は前提として認めた上で、そこでどう振る舞うかは自分の設計次第、という極めてクールな認識だったのではないか。この視点は、後の「恋」の陽性の弾力、「アイデア」の構成の勇気、パンデミック期の「うちで踊ろう」の即応性、そこまで一直線に通っている。彼のポップスの背骨は、ここで作られた気がする。
2024年の紅白でこの曲が弾き語りで披露されたことは象徴的だった。フルバンドの華やかなアレンジを剥がして、骨組みだけで成立するかを本人が試したように見える。10年以上経って、作家自身が「この曲は骨組みだけで立つ」と判断した、ということです。
聴かれ方:夜の曲、あるいは働き終わりの曲
この曲の聴かれ方について、ひとつ静かな読みを置いておきたい。これは朝の曲ではないと思う。むしろ、一日が終わった後、まだ何かが残っている夜に効く。
底抜けに明るいサウンドなのに、なぜかテンションを上げるためのプレイリストには入らない。運転中に流しても盛り上がらない。この曲が本当に効くのは、疲れて帰宅した平日の夜、部屋の電気をつける前の数秒、みたいな時間帯として設計されている気がする。「今日は今日でひどかった」と思いながらも、明日を諦めない、というくらいの温度で置かれる曲。
おそらく作り手が病室で書いているとき、外で元気に踊るための曲としては書いていない。もっと個人的な、部屋の中の曲として書かれている。だから10年経っても、聴き手側の個人的な夜と結びつく。この曲を長く聴いてきた人は、たぶん自分の「地獄でなぜ悪いを聴いた夜」を1つか2つ、具体的に思い出せると思う。そういう曲です。
俳優・星野源との地続き
もう一つ、後追いで見えてくる補助線がある。この曲は星野源自身が出演している映画の主題歌だ、という事実。当時は当たり前のこととして流されていたが、10年経って振り返ると、「作品世界の内側に自分の身体を置いてから、外から主題歌を書く」という彼の職能の原型がここにある。
『逃げるは恥だが役に立つ』の「恋」も、『不思議』の主題歌になった作品も、彼は俳優として作品の内側にいながら主題歌を書いている。これは意外と珍しい仕事の形で、しかも高い精度でこなせる作家は少ない。作品への外側からの敬意と、内側からの体温、両方を持たないと成立しない。その二重の視点が最初に完成した形で出たのが、この2013年のシングルだった、と今なら言える。
だからこの曲を映画と切り離して聴くこともできるし、映画とセットで聴くこともできる。どちらの聴き方でも成立する。この”独立性と接続性の両立”は、タイアップ楽曲としてかなり高い達成です。園子温監督の映画は好き嫌いが分かれる作品だけど、主題歌の完成度に異論を挟む人はほとんどいない。この一致は偶然じゃない。
キャリアの中の意味の変化
この曲のキャリア上の意味は、時期によって3回書き換えられている、と整理できる。
第一期(2013〜2015)は、闘病中のシングルとして受け取られた時期。映画主題歌としての意味と、作家の身体的な文脈がどうしても前景化した。第二期(2015〜2019)は、『YELLOW DANCER』収録曲として、そして「SUN」「恋」の連続ヒットの中で、星野源のポップネスの原型として読み直された時期。第三期(2020年以降)は、パンデミック期を経て、生き延びるための曲としての側面が浮上した時期。
特に第三期の変化が大きい。2020年の「うちで踊ろう」以降、星野源は社会的に機能する明るさを持つアーティストとして再定義された。そこから遡ると、2013年の地獄でなぜ悪い🛒楽天の位置がもう一度動く。あれは「私的な暗闘を、公共的なポップソングに変換する」という彼の職能が、最初に完全な形で出た曲だった、という読み方が可能になる。
この読みは、当時のリアルタイムでは絶対にできなかった。10年分のキャリアが積み上がって初めて、この曲を起点として位置づけ直せるようになった。ここに、後追いで聴き直すことの面白さがある。
ここが分かれ道:この曲を「乗り越え」の物語にするか、しないか
この曲の解釈でいちばん意見が分かれるのは、これを「病を乗り越えた前向きな曲」として読むか、そう読むことをむしろ拒否する曲として読むかだ。両方の読みが成立する。
前者の読みは分かりやすい。療養中に書かれた明るいポップソング、というだけで感動的な物語が立ち上がる。ただ、この読みは作家が意図的に避けてきたものでもある気がする。星野源は自分の病気を美談にしない方向でずっと言葉を選んできた。だとすれば、この曲を「乗り越えの物語」で消費してしまうと、作品の輪郭がぼやける。
むしろ「地獄は続いてる。でもここで踊るしかない」という、乗り越えを保留したまま続けるモードの曲として聴くほうが、10年後の今の位置から見ると納得がいく。ここはたぶん、聴き手ごとに答えが違っていい部分。答えを一つに決めない曲だからこそ、10年経っても聴かれ続けている。
聴きどころ3点
- イントロのホーンアレンジ——60年代モータウンの語彙をそのまま日本語ポップスに接続した瞬間。岡村美央・武嶋聡が組んだアレンジ設計を、耳を澄まして追ってほしい
- コーラスワークとボーカルの噛み合わせ——ゴスペル的なコール&レスポンス構造を、日本語詞のフレージングで浮かせずに乗せている技術。星野源が作詞作曲アレンジを一人で握っている作品ならではの精度
- 紅白2024の弾き語りver.と原曲の比較——豪華なバックを全部剥がした状態で、この曲の骨がどこにあるかが露わになる。作家自身によるセルフ検証として聴くと面白い
入門動線
この曲を入り口にするなら、次に聴くべきは4thアルバムYELLOW DANCER🛒楽天(2015年12月2日)。「地獄でなぜ悪い」を7曲目に据えて、そこから前後に「SUN」「Week End」「Crazy Crazy」「桜の森」などが配置される構造がわかると、シングルの音響設計がアルバム全体の設計にどう拡張されたかが見える。1曲だけ聴いてきた人にこそ、アルバムでの位置を体感してほしい。
もう1曲挙げるなら、同じシングル群の流れにある「SUN」。ドラマ『心がポキッとね』主題歌として2015年に発表され、紅白初出場の曲になった。この2曲を並べて聴くと、病室で試された設計がお茶の間まで届く設計にスケールアップしていく過程が、はっきり見える。
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10年経って残ったもの
最後に一つ書いておきたい。2013年10月にこのシングルが出たとき、私はまだ星野源をコラムニスト/俳優としての側面のほうで知っていた。SAKEROCKも聴いてはいたけれど、ソロの本気度をきちんと受け取れていなかった。この曲が出て、そこから2年後の『YELLOW DANCER』で完全に認識が変わった。あの2年間、彼が動けなかった時間に、彼のソロ作家性はむしろ濃縮されていた気がする。
10年経って残るポップソングというのは、たぶんヒットのサイズでは決まらない。この曲は「恋」ほどのメガヒットではなかった。それでも紅白で本人が10年以上経って弾き語りで選び直すくらいには、作家自身にとって手放せない曲になっている。おそらくファンにとってもそうだ。派手な数字の外側に、こういう曲が1つあることが、アーティストの持久力を作る。
後追いで聴き直すことは、当時の熱狂を再現することじゃない。10年ぶんの文脈を足して、新しい輪郭を見つける作業のことだ。この曲についてはそれがとても豊かにできる。まだ聴いてない夜があるなら、今夜あたり、部屋の電気をつける前に流してみてほしい。


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