星野源のCube🛒楽天が、いまチャートの周辺で静かに再浮上している。2021年秋に配信された曲が、4年経ってまだ聴かれ続けている。この曲の”居場所”は当時よりむしろ今の方が見えやすい、という気がしている。
順位のグラフでは語れない曲がある。「Cube」は、星野源が”優しい人”の看板を自分で外しにいった転回点として、あとから効いてくる一曲だ。
この曲の要点
- 「Cube」は2021年10月18日にSPEEDSTAR RECORDSから配信リリースされた星野源の楽曲。
- 菅田将暉主演の映画『CUBE 一度入ったら、最後』(2021年10月22日公開)の主題歌として書き下ろされた。
- プログラミングに星野源本人とmabanuaが参加し、生ドラム的な質感で”人間には叩けない”打ち込みを構築している。
- ミュージックビデオの振付・演出はMIKIKO、菅田将暉がゲスト出演している。
- 星野源が映画のために新曲を書き下ろすのは2018年『映画ドラえもん のび太の宝島』の「ドラえもん」以来の仕事だった。
なぜいま「Cube」を語り直すのか
結論から書く。2025年以降の星野源——「生命体」でアジア大会と世界陸上のテーマを引き受け、アルバム『Gen』を出し、大きな会場でバンドの重心を戻していく星野源——を成立させた土台のひとつが、この「Cube」だと思っている。当時は”映画の主題歌”という枠で受け取られがちだった。いま並べ直すと、位置が違って見える。
2021年10月18日に配信リリース、菅田将暉主演映画『CUBE 一度入ったら、最後』の主題歌という事実だけ見れば、タイアップ仕事の一つに見える。ただ本人が制作の入口に置いた感情は、それまでの星野源の対外的な言葉づかいから明らかにズレていた。
『CUBE 一度入ったら、最後』の根底にある”何があっても「生き抜く」”というコンセプトを軸に、本人は”怒りにも似た爆発するようなエネルギー”を音と言葉に閉じ込めたと語っている。「恋」や「アイデア」で国民的な位置に押し上げられた人が、次に自分から選んだのが、この温度だったという事実。ここを見落とすと、その後の彼のキャリアの読み解きは一段浅くなる。
正直に書く。リアルタイムで聴いたとき、私はこの曲を”作家性の実験”として整理して、少し脇に置いた。3年経って戻ってきて驚いた。骨格の話ではなく、彼の”温度”の話だったのだと。
「怒り」を初期衝動に置いた稀な曲
星野源の代表曲を並べると、多くは”生活の肯定”や”やわらかい連帯”に軸がある。「恋」「Family Song」「アイデア」「創造」——どれも、聴き手の日常に手を差し出す設計になっている。「Cube」はそこから外れる。
本人はインタビューで、絶望や怒りと向き合ってできた新たな居場所という言い方でこの曲を説明している。書き下ろしの発火点が”怒り”寄りにある曲は、キャリア全体でも数えるほど。しかもそれを、映画主題歌という最も広い露出の場に置いた。この選択がすごい。売れ線の再演を回避する動き、と言ってもいい。
面白いのは、”怒り”を”叫び”に短絡させていない点だ。ボーカルは終始、抑制された低めの重心で置かれている。声を張らずに、テンポの側とビートの側で圧を作る。この設計は、後年の「不思議」や「生命体」で洗練されていくアプローチの原型に見える。
“腕が6本、足が4本”の打ち込み——ビート設計を読む
この曲の核はビートにある。ここは断言していい。
本人の言葉が興味深い。最初は人間が叩けるレベルのドラミングに直そうと思ったが、人間に叩けないことをやるからこそおもしろいと思い始め、生ドラムに聞こえるように打ち込みつつ、そのドラマーは千手観音みたいに、腕が6本あって足が4本ある人の設定にした——この一節が「Cube」の全部を要約している。生音のフィジカルな質感を残したまま、人体の物理法則を降りる。ここが妙。
音楽誌の分析では、ドラムンベースとスピーディなスリップを融合させたようなビートで楽曲の幕を開けると、サビではハーフ・タイムに移行。2番へのブリッジではいわゆる2ビート系の疾走感あるフィールや8ビートを織り交ぜたりと、目まぐるしく変化する予測困難な展開と読み解かれている。BPMだけ追っていると迷子になる。骨格の切り替えが早い。
クレジット上は、Programingに星野源本人とmabanuaの名前がある。『POP VIRUS』以降、河村”カースケ”智康、玉田豊夢、石若駿、mabanuaといった一線級のドラマーを回してきた星野が、この曲では”人間の手を借りない前提”を選んだ。誰かに叩かせない、という選択そのものが表現になっている。
聴きどころ3点
- イントロの重心の低さ:ドラムンベース寄りの高速ビートに、生音の胴鳴りを残したキックが乗る。ヘッドフォンで聴くと定位が微妙に揺れていて、これが不穏さの源。
- サビでのハーフタイム転換:忙しさを一気に半分に落として、ボーカルに空間を渡す設計。ここでリスナーの体感時間が伸びる。
- ラスサビ手前のフリー気味なドラム:メロディにドラムがユニゾンで寄り添う瞬間があり、”叩き手が複数の腕を持っている”設定が最も露出する。何度聴いても違う場所に耳が引っかかる。
今なら言える——「Cube」は”生命体”の予告篇だった
ここから後追いの読みを本気で書く。「Cube」は、2023年の「生命体」に地続きだ。当時これを指摘した文章は少なかったと思う。理由は二つある。
一つ目。「生命体」の根幹を握るのは、星野本人とOvallのドラマーmabanuaによるピアノの旋律と、石若駿の躍動するドラム。石若は「不思議」(2021年)以来となる参加——ここで名前が出るmabanuaは「Cube」でも星野と並んでProgrammingにクレジットされている。ビートの共同設計者が同じ。
二つ目。「Cube」の”人間には叩けない打ち込み”を、「生命体」では”石若駿という現代最強の生ドラマーに、人間の生々しさで叩かせる”という反転で受けている。同じ設計思想の、裏返しの答え。この2曲は、たぶんセットで聴くとぐっと解像度が上がる。
「Cube」→「不思議」→「生命体」の3曲を時系列で並べると、星野源のこの数年の主題が見える。生音とプログラミングの境界を溶かし、”叩き手のフィジカル”を演出として設計する仕事だ。「恋」で獲得した広い聴衆を保ったまま、ミュージシャンとしての探求を1ミリも降りていない。この一貫性は、外から見ているより厳しい選択の連続だったはず。
『POP VIRUS』の後、シングル空白期の位置
キャリアの地図の上に置き直す。『POP VIRUS』は2018年12月19日リリースの5枚目のアルバムで、「恋」「Family Song」「アイデア」を含む。ここが商業的なピークの一つだった。次のオリジナルアルバム『Gen』は2025年5月14日リリース——この間、6年以上。
その”アルバム空白期”の途中に、「Cube」はある。俳優としての露出(『MIU404』『大豆田とわ子と三人の元夫』など)、コロナ禍のオンライン活動、結婚——外側の変化が濃かった時期。音楽の側では、シングル配信で試行を続けるフェーズに入っていた。「不思議」(2021年3月)、「Cube」(2021年10月)、「喜劇」(2022年6月)、「創造」(2023年1月)——並べると全部、質感が違う。同じ人が作ったと思えないほど、実験の幅が大きい。
その中で「Cube」は最も”外側”に振れた一曲だ。優しさや祝祭からいちばん遠い。だからこそ、この曲を通過したことでその後の柔らかい曲——「喜劇」や「創造」——に別種の強度が入ったように、私には聴こえる。怒りを一度出しきった人が、次に紡ぐ祝祭は、以前とは違う。
映画とのフィット——スリラーへの応答としての音
タイアップ元の映画についても書いておく。星野が映画に新曲を書き下ろすのは、2018年の映画『映画ドラえもん のび太の宝島』の「ドラえもん」以来3年ぶりだった。3年ぶりの映画書き下ろしの相手が、国民的アニメから、密室スリラーのリメイクへ。この振れ幅がまず面白い。
本人はコメントで、オリジナル版と日本版の両方を観たうえで、これまでになかった新しい自分の音楽が作れる予感がした、と述べている。ここに”依頼→応答”以上の関係がある。「未知のジャンル」を、彼はキャリアの中で”回避せず、まず一度食う”側の作家だ。バラエティでの立ち居振る舞いから、SAKEROCK時代のインスト、俳優業、エッセイまで、そう。「Cube」はその流儀の音楽側の代表例に見える。
MVも同じ思想で作られている。「SUN」「恋」「ドラえもん」のMVをはじめ、コンサートツアーの振り付けでもお馴染みの演出振付家・MIKIKOがディレクションを担当。映画『CUBE 一度入ったら、最後』の主演を務める菅田将暉がゲスト出演——このメンツで映像の重心を、明るいポップから密室の緊張へ寄せていく。振付家に密室スリラーを頼む、という発想の柔らかさ。
詞の側でも起きていたこと——テーマの選び方
ビートの話ばかりしてきたが、テーマの側にも触れておく。歌詞は引用しないが、この曲のテーマ設計は、密室スリラーという題材への直球の応答になっている。閉じ込められた場所での抗い、時間、通り過ぎた過去の扱い方。映画のプロット構造をなぞりつつ、映画から離れた場面でも成立するように言葉が置かれている。
星野源の書き方は、”物語の中の誰か”に寄り添うより、”物語の外にいる自分”の視点で映画を摂取して、そこで動いた感情の側を書く癖がある。「ドラえもん」もそう、「創造」もそう、「Cube」もそう。映画を要約しないから、映画を離れて聴いても機能する。ここが職人的にうまい。タイアップ曲としての義務を最低限で果たしつつ、単体の楽曲として時間を跨げる強度を残す設計。
後追いで気づくのは、この曲の言葉の選び方の”外側の視点”は、そのまま「生命体」や「不思議」にも通じているという点だ。人体を、自分の中から見るのではなく、外側から俯瞰して仕組みごと言葉にする感覚。ここ数年の星野源の書き言葉の重心は、明らかにその方向に寄っている。「Cube」はその重心移動の途中の、外側にいちばん振れた地点にある。
制作環境の変化——鍵盤とDAWで組み上げる時代
もう一つ、制作の物理的な条件についても書いておきたい。本人の発言によれば、この曲も鍵盤とDAWで組み上げている。バンドを召集してスタジオで一発録り、という作り方ではなく、まずビートを組み、その上に自分で楽器を重ね、必要に応じて外部ミュージシャンを招く——このワークフローが定着した後の、明確な代表作の一つが「Cube」だと思う。
この作り方の何が効いているかというと、”人間のグルーヴを一度捨てて、そこから逆算して人間らしさを設計し直す”ことができる点だ。生バンドから出発すると、どうしてもプレイヤーの生理に引きずられる。DAWから出発すると、生理を無視した骨格を先に組めて、その上に人間の温度を後から乗せられる。「Cube」の”腕が6本、足が4本の打ち手”は、まさにその発想の物理的な結晶になっている。
2010年代後半までの星野源は、バンドの生っぽさを前提に組み上げる曲が多かった。「SUN」も「恋」も、生ドラムのフィジカルが軸だった。『POP VIRUS』のあたりから重心が移り始めて、コロナ禍の制作環境で決定的に切り替わった。この転換の代表例として「Cube」を置くと、彼のディスコグラフィ全体の地図が引き直せる、と思う。
この曲は、たぶん夜に効く
使われ方の話を少し。「Cube」を朝に聴く人は少ないと思う。作品として設計されている居場所が、夜の側にある気がしている。ヘッドフォンで、部屋の明かりを落として、一日の終わりの重さを一回引き受けたい時。そういう時に、この曲の重心の低さと打ち込みの過剰さがちょうど良く効く。
星野源の他の曲は、”日常を持ち上げてくれる方向”に効くものが多い。「Cube」だけは方向が逆で、”重いものを重いまま隣に置いてくれる”側にある。だから疲れた夜に選ばれやすい曲になっている、はず。プレイリストの中で他の星野源とは別枠に置いている人、たぶん多いのでは。
チャートの動きと、その外側
チャート上の動きについては、リリース時のBillboard Japan Hot 100やダウンロードチャートで上位に入った実績がある。ただこの曲について”順位”の話に寄せると、たぶんいちばん大事な話を落とす。
「Cube」は、リリースから4年経った今、サブスクの再生が”じわじわ伸びる曲”の側にいる。星野源の楽曲群の中で、季節性が弱く、聴き手の状態に呼ばれて再浮上する。この持続の仕方は、「恋」のような社会現象型のヒットとはまったく別種の資産だ。数字はスナップショットに過ぎない。この曲が積み上げているのは、聴かれ続ける理由の側の資産だと思う。
入門動線
「Cube」から広げるなら、次は星野源「不思議」(2021年3月)。石若駿が参加した”生ドラムの側”のアプローチで、「Cube」の”打ち込みの側”と対になる曲。そこから2023年の「生命体」に進むと、この3曲で星野源のビート観の直近5年が輪郭で掴める。アルバムに戻るならPOP VIRUS🛒楽天が起点。ここで彼が”音楽ファンとしての彼”を最も剥き出しにしている。
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優しさの手前で、一度荒れた人の音
最後にもう一度、後追いの視点で書く。「Cube」を”映画主題歌の変化球”として片づけると、そのあとの星野源が読めなくなる。「生命体」で見せた大きな会場向けの生々しい肉体性も、『Gen』で聴かせるであろう抑制と自由の同居も、この曲を通過したから成立しているように思う。
優しい人が優しい歌を歌い続けるのは、実はそこまで難しくない。優しい人が一度、怒りに近いところまで自分の音を降ろして、そこから戻ってくる方が、ずっと難しい。この曲を出した2021年秋の星野源は、たぶんその難しい方を選んだ。4年経って、その選択の効き目が確かに見えてきた、と思ってる。
ファンとしてこの曲をどう置くかは、たぶん人によって割れる。プレイリストの中央に置く人、端に置く人、避ける人。その割れ方こそ、この曲がまだ生きている証拠だと個人的には思ってる。あなたはこの曲を、どこに置いていますか。

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