2011年3月にリリースされた一曲を、2020年代半ばの耳で聴き直すと、当時とはまったく別の景色が見える。星野源くだらないの中に🛒楽天は、彼のソロ活動の起点であり、いま俯瞰すると「その後の星野源が引き受けることになるほぼ全部」の種がここに撒かれていた曲だと思う。「愛してる」を書かない、ではなく、書けなかった。その不器用さが十数年経ってやっと強度に変わった。この記事は、当時のレビューではなく、今の位置から振り返る後追いの読み直しです。
この曲の要点
- 星野源のソロ名義1stシングル。2011年3月2日、SPEEDSTAR RECORDSよりリリース。
- 作詞・作曲・編曲は星野源本人。ホーンアレンジに横山裕章がクレジットされている。
- 1stソロアルバム『ばかのうた』(2010年)から約9ヶ月ぶりの新音源で、初回盤にはドキュメンタリー映像を収めたDVDが付属した。
- 本人がインタビューで「初めて正面から書いたラブソング」と語っている一曲で、「愛してる」という言葉を使わずに愛を書こうとした実験でもある。
2011年3月にリリースされたということ
まずリリース日を思い出したい。「くだらないの中に」は、2011年3月2日にdaisyworld/SPEEDSTAR RECORDSからリリースされた星野源のソロ1作目のシングルである。この日付を書き写しながら、少し息が止まる。9日後にあの地震が起きた。この曲は震災の曲ではない。震災の前に書かれ、震災の前に届き、そして震災の後の日本で長く聴かれることになった曲だ。
だからこの曲について「時代を射抜いた」とか「予言的だった」みたいな書き方はしたくない。作った本人が一番驚いていたと思う。ただ、結果として「くだらないと言われるような日常の中にこそ愛がある」というテーマが、あの春以降の空気にどう受け止められたか、というのは事実として残った。震災の話ではない曲が、震災を経て別の輪郭を持ち始めた。そういう聴かれ方をした曲は、他にもいくつかある。この曲もその一つになった。
当時の星野源は、SAKEROCKのリーダーであり、俳優であり、ソロ1枚目の『ばかのうた』を出したばかりの、まだ全国区の存在ではなかった。『くだらないの中に』は5曲入りのミニアルバム/シングル形式で、2011年に発表されている。全体で19分。短い。この短さも、いま振り返るとよく効いている。
「愛してる」を書かない、という選択の意味
結論から書く。この曲は、星野源が「ポップスの中で愛をどう扱うか」という自分の主戦場を最初に設定した曲だ。ここが分かると、以後10年以上の彼の全部の曲の見え方が変わる。星野本人はこの曲について「初めて正面から書いたラブソング」「『愛してる』と言わないで、そういう気持ちを伝えられたらいいなって、ずっと思ってはいました」と語っている。ここは重要だ。当時の彼は、「ラブソングをまだ書けていない」自覚を持ったうえで、この曲を1stシングルに据えている。
この選択の重さは、後の彼の仕事を並べてみると分かる。『恋』(2016)、『アイデア』(2018)、『不思議』(2021)、『喜劇』(2022)。全部、直球のラブソングではなく、生活の側から愛に近づくタイプの曲だ。「くだらないの中に」で決めた作法を、彼は10年以上ずっと守っている。若い頃の1曲がその後のキャリアの美学を先に決めることは珍しくないけれど、これほどきれいに一本の線として残っている例はそう多くない。
もうひとつ言うと、「愛してる」を書かないというのは、書ける人にとっては制約でも何でもない。むしろ、書けない人が「書かないという建前」に逃げる、というパターンのほうが多い。だから若い作家が「愛してるを使わないラブソング」を書くとき、たいてい照れの表現になる。この曲がすごいのは、照れではないところだ。照れではなく、日常の解像度で愛を捉えるための必然的な選択として、「愛してる」の外側から歌おうとしている。この違いは大きい。
サウンド:バンドマンが書いた「歌」の質感
いま聴き直してまず驚くのは、アレンジの引き算が徹底されていることだ。ギター、ドラム、ベース、ホーン。それぞれが必要以上に前に出てこない。BPMは急がず、テンポの揺れをわずかに残したまま歩いていく。歌のメロディが真ん中にいて、伴奏はその隣を歩いている。この距離感が、当時のJ-POP的なプロダクションからは少しずれていた。
ホーンアレンジには横山裕章の名前がクレジットされている(全作詞・作曲・編曲は星野源、ホーンアレンジは横山裕章と星野源の連名)。ここに星野源のインストルメンタル・バンド出身らしさが出る。ホーンは装飾ではなく、ハーモニーの骨格の一部として鳴っている。オーケストレーションではなく、SAKEROCK的な「合奏の感覚」で組まれている。だから聴いていて息苦しくならない。合奏の呼吸が入っている。
ボーカルの録りも、いま聴くと相当に生々しい。息の入り方、子音の切れ、語尾の減衰。マイクとの距離が近い。歌が上手いから聴かせるのではなく、話し声のすぐ隣にある歌として設計されている。後年の『Pop Virus』(2018)以降の、リズムを重層的に組んだ「打楽器としてのボーカル」に至る前の、ごく素朴なフェーズの声だ。この素朴さが、後の複雑さを支える地盤になっている。
そう。地盤なのだ。
キャリアの中での位置:ここから何が始まったか
結論から書くと、この曲は「シンガー星野源」の始点であり、それ以上に「作家星野源」の設計図が最初に置かれた場所だ。『くだらないの中に』は、SAKEROCKのリーダーとして活動していた星野源が、ソロ・アーティストとして放つファースト・シングルであり、タイトル曲は歌詞と美しいメロディで聴かせるナンバーで、「ブランコ」「くせのうた」のハウス(家でひとりで録音)バージョンなどをカップリングしている。この「家でひとりで録音」というワード、当時はB面のちょっとした趣向として通り過ぎていたけれど、いま読み返すと重い。
なぜ重いか。彼は2012年末にくも膜下出血で倒れ、活動を一時休止し、復帰後に『Stranger』(2013)を出し、『地獄でなぜ悪い』(2013)、『SUN』(2015)で一気に国民的な存在になっていく。倒れる前と後の断層は誰の目にも大きく、後追いで振り返るとどうしても「病を経て変わった」という物語で読みたくなる。でも、いま『くだらないの中に』を聴き直すと、変わっていない部分の方がむしろ多い。生活の側から人を書く、という姿勢。ホーンの入れ方。声の距離感。設計の骨は最初からできていた。
変わったのは何かというと、その骨に載せる肉の量だ。『くだらないの中に』の頃はまだ骨が見えている。『恋』ではリズムが増え、『アイデア』では構造が複雑になり、『喜劇』では声の重ね方が緻密になっていく。でも骨は同じ。設計者としての星野源は、2011年の時点でもう自分のやり方を知っていた。これは後追いだから言えることで、当時はここまで言い切れなかった。今なら言える。
今こそこう読める:14年後の補助線
結論から書くと、この曲は「くだらない」という語を反語として使っている。世間からは価値のないもの、時間の無駄と見なされるようなもの——髪の匂いを嗅ぐとか、しょうもないことで笑い合うとか——の中に、生きるための重心を置く、という宣言だ。この価値観は、彼の後年の仕事(音楽、俳優業、エッセイ、ラジオ)のすべてに通底している。
もう一歩踏み込むと、この曲は「時代のものになるより、あなたのものになりたい」というモチーフを持っている。2011年時点では、これは私的な恋愛の宣言として聴かれた。ところが2016年に『恋』が国民的ヒットになり、俳優としても『逃げるは恥だが役に立つ』で顔が広く知られたとき、彼は文字通り「時代のもの」になった。時代のものになった後で、この曲の「時代のものじゃなくて」というモチーフをどう扱うかは、たぶん本人にとってずっとテーマだったはずだ。
そう考えると、彼が2020年代に入って発表した『不思議』や『喜劇』が、あれほど個人的な距離感を守ろうとしていたことに合点がいく。時代の中心にいる作家が、時代のものにならないためにどうするか、という自問自答の続きに見える。『くだらないの中に』は、その自問の最初のバージョンだった。今こそこう読める、というのはそういうことだ。
ファンの間で近年再評価が進んでいる読み方もある。『くだらないの中に』で示された「希望は無いもの」という考えから、14年の時を経て、最新アルバムで示された「希望は要らない」という答え。絶望していても、幸せは感じられる。希望が無くても、人は生きていける。それなら、希望はそもそも要らないんじゃないか——という長い時間軸の読み。個人の解釈だけれど、この曲を出発点として彼の全キャリアを読み直そうとする視点は、いまファンの中で確かに動いている。
どう聴かれているか:静かな時間に効く曲
結論から書くと、この曲は「静かな時間の背景」として設計されている気がする。朝ではない。夜でもない。休日の夕方、あるいは、誰かと一緒に過ごした後にひとりになった瞬間、みたいな、生活の隙間の時間に効く。イントロの音数の少なさが、その時間にすっと入ってくる。
盛り上がるための曲ではない。かといって沈むための曲でもない。ちょうど、テーブルの上にマグカップが1つあって、湯気が立っていて、窓の外は少し曇っている、みたいな温度感の曲だ。だから何度でも聴ける。ヒット曲は繰り返し聴くと消耗するけれど、この曲は消耗しない。むしろ聴くほどに、日常の側に馴染んでいく。10年以上前の曲がいまだにプレイリストに残っている理由は、たぶんそこにある気がする。
個人的な話を書くと、この曲を初めて意識して聴いたのは震災の後だった。カフェで流れていて、誰の曲か分からないまま聴いていて、後から星野源だと知って驚いた記憶がある。当時の自分にとってはSAKEROCKの人、というイメージが強くて、こんな歌を書く人だったのか、と少し驚いたのを覚えている。あの驚きが、いま聴いても更新されない。それは、この曲がある種の完成形だからだと思っている。
SAKEROCKからソロへ、越境の初手として
この曲を「星野源のソロ1stシングル」としてだけ見ると、ひとつ大事な角度を落としてしまう。それは、SAKEROCKというインストルメンタル・バンドを長年やってきた作家が、初めて自分の声で客と直接向き合った作品だ、という角度だ。
SAKEROCKは歌のないバンドだった。だから彼は10年近く、言葉を使わずに音でコミュニケーションする訓練を積んでいる。この訓練が『くだらないの中に』のアレンジの引き算に効いている、と思う。歌が真ん中に入ってきても、その周りの音を歌に譲る癖がついている。逆に言うと、歌そのものは初心者に近い。だから声はぎこちなく、その分だけ生っぽく、聴き手との距離が近い。この「達者な作編曲家×まだ初心者のシンガー」の組み合わせが、この曲の独特な質感を作った。
後年の彼は、シンガーとしても達者になる。だから逆に、この時期の「まだ達者じゃない歌」を捕まえた録音は、いまとなっては貴重だ。上手くなる前の声にしかない密度がある。技術がついた後の歌唱では、この密度は出せない。だからこそ、この1曲は原点として何度も聴かれる。
聴き逃されがちな細部
聴きどころ3点
- 間奏のホーンの入り方:ホーンは主役として鳴らず、歌のあとをそっと引き取るように入る。装飾ではなく合奏。SAKEROCK出身のバンド感覚が最も分かりやすく出ている部分。
- ボーカルの語尾処理:語尾を伸ばさず、話し言葉のように切っていく。歌唱で押さず、言葉の粒で押す設計。後年の『恋』『喜劇』にも継承されるスタイルの原型。
- ブリッジ後半のテンポの揺れ:機械的な均一さを避け、生の呼吸で走ったり緩んだりする。宅録的な親密さが、ここでいちばん強く立ち上がる。
この3点は、いま聴いても新鮮に響く。とくに1点目のホーンの使い方は、後の『地獄でなぜ悪い』や『Crazy Crazy』でのブラス活用にはっきり繋がっている。1曲の中にキャリア全体の設計が入っているタイプの、いわゆる「原点」的な作品だ。
関連作と、次に聴くなら
まずこの作品から聴く
- ばかのうた — 1stアルバム。曲の源流
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入門動線
この曲を入り口にした人に、次に手を伸ばしてほしいのは1stアルバム『ばかのうた』(2010)だ。『くだらないの中に』の質感の源流にある、宅録寄りの、もっと素朴なフェーズの星野源が並んでいる。そこから2ndアルバム『エピソード』(2011)に進むと、シンガーとしての手数が一気に増えていく過程が見える。この2枚を通ると、なぜ『くだらないの中に』が1stシングルに選ばれたのかが体で分かる。
そこから先は、病後の『Stranger』(2013)、ブレイク作『YELLOW DANCER』(2015)、集大成的な『POP VIRUS』(2018)と、時系列で聴いていくのが素直に面白い。『くだらないの中に』の骨がどう肉付けされていったか、追いかけるように聴ける。
「くだらないの中に 星野 源」の関連作品
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この曲は、いま何を問いかけているか
最後に、断定せず残しておきたい問いがある。『くだらないの中に』が2010年代前半に果たした役割と、2020年代のいま果たしている役割は、たぶん違う。当時は「有名になる前の星野源が書いた素敵なラブソング」だった。いまは、国民的な作家になった彼が最初に置いた原理として、後追いで読み直される曲になった。
ただ、この曲を「原点」として神格化してしまうと、それはそれで曲を殺す気がする。むしろ、この曲がまだ完成していないもの、途中のもの、若い作家が最初に転がした石ころのようなもの、として聴くと、いちばん強度が出るんじゃないかと思っている。ここは解釈が分かれるところで、正解を出したい話ではない。ファンの中でも、この曲を「完成形」と読む人と「起点」と読む人がいて、その両方が成立する。両方の読みを許すのが、いい曲の条件だと思う。
2011年3月2日にリリースされた4分ちょっとの歌が、14年経ってなおこれだけの補助線を引ける。それだけで、この曲がやっていることの射程は、リリース当時に想定されていたよりずっと長い。時代のものではなく、聴き手ひとりひとりのものになっていく曲というのは、たぶんこういう曲を指す。派手な合唱でも、社会的なメッセージソングでもなく、ただ生活の湿度のところに置かれた小さな歌。それが、いちばん遠くまで届く場合がある、というのを教えてくれる一曲だと思ってます。

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