あいまいでいいよ🛒楽天を、今の羊文学の位置から改めて聴き直してみる。アニメタイアップで名が広く届いた後の耳で聴くと、この曲の輪郭は当時よりずっとくっきり見えてくる。「あいまいでいいよ」は、羊文学が“大きくなる前”に鳴らした余白の設計図だった。派手なフックがあるわけじゃない。それなのに、5年経ってもプレイリストから外せない人がいる。理由は多分、この曲が「決めない」ことを音で決めているからだ。
この曲の要点
- 羊文学のメジャーデビューアルバムPOWERS🛒楽天(2020年12月9日リリース)のリード曲。先行配信は2020年11月18日。
- 作詞・作曲は塩塚モエカ(Vo/Gt)。バンドの全楽曲を手掛けている。
- MV監督は石田清志郎。前作「1999」に続く再タッグ。
- タイアップは付かない純粋なリード曲として発表された(後年の「光るとき」「more than words」等のタイアップ曲群とは位置づけが異なる)。
- 後の『our hope』『12 hugs (like butterflies)』へと続く“ポップとオルタナの均衡”の起点として語られる曲。
2020年冬、メジャー移行の第一声として
この曲がなぜ重要か。答えは単純で、羊文学がインディーからメジャー(F.C.L.S./ソニー系)へ足を踏み出した最初の名刺だったからだ。SPICEの当時のニュースによれば、POWERS🛒楽天の発売は2020年12月9日、「あいまいでいいよ」はそのおよそ3週間前、11月18日に先行配信されている。コロナ禍のライブが止まった時期、バンドが世に問うたのが、シングル的なキャッチーさを敢えて避けたこの一曲だった。
2020年の羊文学は、フジロック出演が決まりながらもフェスの多くが延期・中止となり、EP『ざわめき』などで積み上げた勢いをどう繋ぐかという局面にあった。そこで最初に切った札が「あいまいでいいよ」。これは今振り返るとかなり批評的な選曲だと思う。派手な曲でメジャー第一弾を張るバンドはいくらでもいる。彼らはそうしなかった。
塩塚モエカは以前、CINRAのインタビューで「許し」という感覚を作品のテーマに据えたいと語っている。「あいまいでいいよ」のタイトルはその延長線上にある。何かを決めきらない、輪郭を残したまま置いておく——それを「弱さ」ではなく「肯定」として鳴らす態度が、この曲の骨格になっている。
音の作り——ドリームポップとオルタナの境目で
サウンド面から見ると、この曲はいわゆる“90sオルタナの再解釈”では収まらない。イントロのギターの残響処理を聴くと、いわゆるシューゲイズ的な壁を作らず、意図的に空気を透かしている。Big Muff的な歪みで塗り込める選択肢もあったはずだが、そこは選ばれていない。歪みは薄く、リバーブは長く、ドラムはあくまで人の呼吸のテンポで置かれる。
ミドルテンポ。急がない。サビでBPMを煽ることも、コード進行で劇的に落とすこともしない。J-ROCKの定型でいえば「サビで開ける」瞬間があるはずのところを、この曲は「開けない」まま押し通す。開けないことで、逆に景色が広く見える。ここが不思議なところで。
塩塚モエカのボーカルの置き方も特徴的だ。歌い上げず、囁きすぎず、マイクとの距離を一定に保ったまま、母音の抜きだけで感情の温度を変えている。バックのコーラスも重ねすぎない。3ピースの音像を尊重して、シンセや装飾を最小限に絞った結果、聴き手の耳が勝手に「余白を埋めたくなる」設計になっている。ここが後の作品との違いでもあり、共通点でもある。
ベースのゆりか(河西ゆりか)のラインは、ルート弾きで空間を支えつつ、要所で歌に寄り添うメロディを差し込む。フクダヒロアのドラムは、フィルを我慢する種類の巧さで、この曲を“押さない”演奏に留めている。3人の“引き算の合議”がそのまま音になっている、と言ってもいい。
今こそ言える——「あいまい」がバンドの武器だった
ここが今回いちばん書きたかったところ。この曲が出た2020年末、多くの評は「都会的」「浮遊感」「ドリーミー」といった形容を並べていた。間違いではない。ただ、その後の羊文学のキャリアを知った耳で聴き直すと、この曲の本質は別のところにあった気がする。それは「意味を決めきらない強さ」だ。
2022年の『our hope』、2023年の『12 hugs (like butterflies)』、そしてアニメ『葬送のフリーレン』OP「Anytime Anywhere」、『【推しの子】』第2期EDの提供、Coldplay来日公演のオープニングアクト、アジアツアーの拡大——羊文学のこの数年は、規模も文脈も一気に広がった。広がっても「羊文学の音」であり続けられている理由の一つが、あの日「あいまいでいいよ」で鳴らした“余白の設計”だと思う。
タイアップ曲は、映像や物語の温度に寄り添うために、どうしても輪郭が濃くなる。それでもバンド本体の色が薄まらないのは、輪郭を敢えて残さない曲を、キャリアの土台に何曲も置いているからだ。「あいまいでいいよ」はその代表格。答えを出さない曲を持っているバンドは、答えを出さなきゃいけない場面でも動じない。
もう一つ、今なら言えること。この曲の「あいまい」は、逃避じゃなくて技術だ。決めないことを気分で書いてしまうと、ただの散漫な曲になる。決めないことをコード進行・音数・歌の温度で設計しきる技術がないと成立しない。5年前の時点で、塩塚モエカのソングライティングはもうそのレベルに達していた——という事実が、後追いで見るとよく分かる。
いつ効く曲か——生活のなかでの居場所
個人的な体感を書く。この曲、休日の午後に効く気がしている。朝でもなく、夜でもない、なんとなく手持ち無沙汰な時間帯。予定を入れそこねた日曜の15時とか、雨の平日午後にリモートワークの手を止めたときとか。あの中途半端な時間の、あの中途半端な気分に、この曲はぴたっとハマる設計になっている。
盛り上げにも来ないし、慰めにも来ない。ただ「そのままでいいよ」と隣に座られる感じ。だから、頑張りたいときのプレイリストじゃなくて、頑張らなくていいと自分で決めたときのプレイリストに入る。ファンの間でも、この曲を「休日の曲」「一人の時間の曲」として聴いている人は多いんじゃないだろうか。もし違う聴き方をしている人がいたら、それはそれで気になる。
キャリアの中の位置——助走ではなく、基準点
羊文学は塩塚モエカ(Vo/Gt)、河西ゆりか(Ba)、フクダヒロア(Dr)の3ピースで、2017年に現編成となった。EPを重ね、2020年のPOWERS🛒楽天でメジャーへ。その後『our hope』(2022年)、『12 hugs (like butterflies)』(2023年)と、ほぼ絶えることなく作品を積み上げている。作詞作曲は全曲、塩塚モエカ。
この年表の中で「あいまいでいいよ」を“メジャー初期の助走”として片付けるのは、たぶん間違っている。むしろ、その後の楽曲が広がった振れ幅を測るための“基準点”として機能している。「Girls」の跳ねるようなキュートさも、「光るとき」の清冽なアンセム感も、「more than words」のバンドサウンドの厚みも、この曲の余白と対比することで解像度が上がる。
そう考えると、「あいまいでいいよ」を最初のリード曲に据えた判断は、5年後の景色から見て正解だった。派手な曲で船出していたら、後のタイアップ曲群と地続きにならなかった気がする。バンドの根っこがどこにあるかを最初に置いたから、枝葉がどれだけ広がっても幹がぶれない。
「あいまい」を選んだことの、時代的な意味
もう少し補助線を引きたい。2020年という年を、音楽の側から思い出しておく。パンデミック元年で、フェスもツアーも止まり、多くのバンドが「配信でどう届けるか」を試行錯誤していた。J-POP全体で言えば、TikTok経由の短尺ヒットが本格化し、イントロが短く、サビが早く来て、フックが強い曲が可視化されやすい時期に入っていた。
その流れの正反対に「あいまいでいいよ」はある。イントロは急がず、サビで爆ぜず、フックを一発で刺しに来ない。TikTok的な最適化の逆側に立っている。逆張りに見えるが、実際は逆張りですらなくて、単にバンドの音がそこにあるだけ、という佇まいだった。それが今から振り返ると、たまたま強かった。短尺最適の波が一段落した現在の耳で聴くと、この曲の”腰の据わり方”がむしろ新鮮に響く。
もう一つ、時代の話。2020年前後の日本のインディー〜メジャー越境の系譜——羊文学、Tempalay、DYGL、CHAI、そして少し前のPeople In The Boxやceroの延長線——を思い浮かべると、「日本語の歌をオルタナ/ドリームポップの音像で成立させる」という共通課題があった。羊文学はそこに「決めない」ことを持ち込んだ。声を張らず、意味を強くしすぎず、それでも歌として立つ。この設計思想が「あいまいでいいよ」で明快に鳴っている。
塩塚モエカのソングライティング——「許し」の系譜
塩塚モエカは羊文学の全曲の作詞作曲を手がけている。同時期のインタビューで彼女が繰り返し口にしていたのが「許し」というキーワードだった。CINRAの記事でも、彼女は「このままでいいんだ」と思ってもらえる曲を作りたい、と語っている。この文脈で「あいまいでいいよ」というタイトルを置き直すと、これは主人公への呼びかけでもあり、聴き手への呼びかけでもあり、書き手である塩塚自身への呼びかけでもある、三重の宛先を持つ言葉になる。
後の「光るとき」「Addiction」「more than words」「Anytime Anywhere」といった代表曲を並べてみても、彼女の書く歌の芯には、この「許し」のトーンがずっと通っている。強い言葉で断罪しない。弱い者を弱いままで肯定する。ただし甘やかしはしない。距離の取り方が上手い。「あいまいでいいよ」はその作家性が、いちばん素直に、いちばん剥き出しで出た一曲かもしれない。
語尾の柔らかさも印象的だ。「〜いいよ」で終わる曲名を、これほど自然に成立させられる書き手はそう多くない。押しつけがましさゼロ。命令でもなく、諭しでもなく、ただ差し出されるだけ。この距離感が、羊文学の歌を「刺さる」ではなく「留まる」タイプの音楽にしている。
ライブでの佇まい——スタジオ録音との差
この曲はライブでの佇まいも面白い。スタジオ録音では余白を残すために抑えられていた各パートが、ライブになると自然と体積を持ってくる。ドラムのシンバルの残響、ベースの胴鳴り、ギターアンプの空気の揺れ——3ピースの生の音が会場を満たすと、スタジオ版で意図的に空けられていた”余白”が、逆に「観客と共有する空間」として立ち上がる。
羊文学のライブを観たことがある人は分かると思うが、彼らはMCが多いバンドではない。塩塚モエカのMCも短く、要点だけ。それでも会場は温度が上がっていく。「あいまいでいいよ」のような静かな曲が、その温度を作る要になっている。飛ばす曲ばかりでは、ライブは疲れる。この曲があるから、羊文学のセットリストは呼吸できる。
プレイリスト文化と、この曲の生き延び方
もう一つ書いておきたい。ストリーミング時代における「あいまいでいいよ」の生き延び方は、けっこう独特だ。Spotifyの「Dreamy Vibes」「Chill Japanese」系のプレイリスト、Apple Musicの「シティポップ/インディー」系の枠、YouTubeのローファイ〜ドリームポップ系プレイリスト——ジャンルの縦割りを横断して、いろんな入口からこの曲に辿り着ける動線ができている。
これが可能なのは、曲の情報量が過剰でないから。ジャンルの旗印を強く立てていない曲は、いろんな文脈に馴染む。逆に、ジャンルの旗を強く立てた曲は、その旗の外では聴かれにくい。羊文学の「あいまいでいいよ」は、旗を立てないことでプレイリスト時代を生き延びている。設計時点でそこまで狙っていたかは分からないが、結果として時代に合っていた。
MVと共作者——石田清志郎との継続
MVは映像作家の石田清志郎が監督した。前作「1999」に続く再タッグで、男女のドラマを織り込みながら曲の余韻を映像に落とし込んでいる(Billboard JAPANの当時の報道)。羊文学の映像面は、この時期に「1999」→「あいまいでいいよ」で一定の作家性が固まり、以降のビジュアル戦略の土台になった。
MVの色調・カット割り・光の使い方は、曲の“開けない構造”に呼応している。派手なカメラワークで気を引くのではなく、日常の光を丁寧に拾って、見る人の記憶と結びつけていく作り。楽曲と映像が同じ思想で作られているから、5年経っても古びない。
アルバム『POWERS』の中での位置
アルバムPOWERS🛒楽天全12曲の中で、「あいまいでいいよ」がどこに置かれているかも重要だ。同アルバムには、当時すでにロングヒットしていた「1999」、配信シングルの「Girls」「砂漠のきみへ」といった顔の異なる楽曲群が並ぶ。その中で「あいまいでいいよ」は、アルバムの重心を静かに担う役割を果たしている。派手な曲が並んでも、この一曲があることでアルバム全体が浮つかない。
「1999」がクリスマスの光の曲だとしたら、「あいまいでいいよ」は日常の午後の曲。「Girls」が跳ねる曲だとしたら、こちらは留まる曲。バンドが持っている振れ幅の”低い方の極”を担当している。極があるから、他の曲が伸びる。アルバム構成の妙という意味でも、この曲の存在は効いている。
そういえば、羊文学のディスコグラフィを追っていくと、各アルバムに必ず「留まる曲」が置かれていることに気づく。『our hope』の「涙の落ちる音」、『12 hugs (like butterflies)』の「hopi」など、テンポやトーンの違いはあっても、アルバム全体を静かに支える曲が必ずある。その系譜の起点が「あいまいでいいよ」だ、と言ってもいい。
チャート・受容の観点から
「あいまいでいいよ」はシングルとしての大きなチャート成績を狙って作られた曲ではない。アルバムPOWERS🛒楽天のリード曲として、バンドの世界観を広く提示する役割で世に出た。そのぶん、長く聴かれる曲になった。ストリーミング時代の“じわ売れ”の典型例で、リリースから年数を経てから知る層が今もいる。
後のタイアップ経由で羊文学を知った人が、遡って必ずと言っていいほど辿り着くのがこの曲——という現象は、TOKIO HOT 100のようなラジオチャートの外側で静かに続いている。数字の派手さで測れない曲の強さがある、というのはこういうことだ。
聴きどころ3点
- サビで“開けない”設計——J-ROCKの定型を外して、静けさで押し通すサビの引力に注目。
- 3ピースの引き算——ドラムのフィル、ベースのメロディ、ギターの残響、それぞれが「入れない」勇気を持って音像を作っている。
- 塩塚モエカの母音の抜き——歌い上げず、囁きすぎない、絶妙な距離感。ここが後の全楽曲の基準になっている。
入門動線
この曲で羊文学に触れた人には、まず同アルバム収録の「1999」を。クリスマスソングとしてすでにロングヒットしていた1曲で、「あいまいでいいよ」の余白と対になる、光の強い曲。そこから2022年のアルバム『our hope』に進むと、バンドがどう景色を広げていったかが分かる。もう1枚踏み込むなら『12 hugs (like butterflies)』。現在地の羊文学がどこに立っているか、地図がはっきり見えるはずだ。
それでも残る問い
最後に、答えの出ない問いを一つ置いて閉じたい。この曲を、今聴いて「懐かしい」と感じる人と、「新しい」と感じる人がいる。どちらも正しい。5年前の曲でありながら、まだ古びていない——というより、古びる基準そのものを外して作られている。だから世代によって、いや、同じ人でも聴くタイミングによって、この曲の顔は変わる。
あなたにとって「あいまいでいいよ」はどの時間の曲だろうか。決めないままでいいことにも、決めない技術がいる。この曲を大事にしている人ほど、そのことをどこかで知っている気がする。

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