チャートを眺めていて、Adoの名前を数年ぶりに見ないで済んだ週があっただろうか、と思う。デビューから丸5年。10代の終わりにいた歌い手が、いまや日本の音楽シーンで最も引き受けている案件の量が多いソロシンガーの一人になっている。にもかかわらず、依然として素顔は出さない。この矛盾のようなあり方が、彼女の面白さの入口だ。
Adoは歌い手ではなく、他人の書いた曲を自分の物語に書き換える翻訳者だ。初期からの楽曲を並べて聴き直すと、この見立ての方が座りがいい。彼女は自作曲を発表するタイプの表現者ではない。ボカロP・作家陣が持ち込む多様な曲を、あの声で一度全部くぐらせる。だから毎回別人みたいに聴こえるし、それでもAdoにしか聴こえない。
自分自身の話をひとつ入れると、Adoを初めて意識したのは2021年の春、通勤電車の中で高校生2人が「うっせぇわ」の話をしていた場面だった。彼女たちはAdoの顔を知らず、それでも曲を口ずさめる。当時、これは何かの分岐点だと思った、と今でも記憶している。歌手の像を知らずに曲だけを消費できる文化は、CD時代には成立しにくかったからだ。
このアーティストの要点
- Adoは2002年生まれの日本の女性シンガー。2020年10月23日にsyudou作の「うっせぇわ」でユニバーサル ミュージック内のVirgin Musicからメジャーデビューした。
- ニコニコ動画で歌い手として活動していた出自を持ち、デビュー以降も一貫して素顔を公表せず、シルエットやアニメーションで表現される。
- 2022年公開の映画『ONE PIECE FILM RED』では劇中の歌姫ウタの歌唱を担当し、主題歌「新時代」を含む劇中歌アルバム『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』が同年の大ヒットとなった。
- 1stアルバム『狂言』(2022年1月26日)、映画劇中歌集を挟み、ワールドツアーも敢行するなど活動範囲を国外にも広げている。
17歳最後の日に始まった、匿名のキャリア
Adoの経歴を一言で言えば「歌い手からメジャーへ」だが、その移動の仕方が独特だった。2020年10月23日、17歳最後の日にリリースされた「うっせぇわ」は、ボカロPのsyudouが書いた曲だ。ニコニコ動画の「歌ってみた」文化から地続きの声質と、メジャー流通の物量が同じパッケージに入った瞬間だった、と今でも思う。
初めて聴いた人がまず驚いたのは、あの声の振れ幅だろう。囁くような低音から、喉を裂くようなシャウトまで、同じ人が同じ曲の中で切り替える。しかも高校生。当時のタイムラインは「これ本当に一人で歌ってる?」の反応で埋まった。声帯の使い方が、いわゆる歌唱コンテスト的な「うまさ」の系譜ではなく、ボカロを人力で再現しようと格闘してきた歌い手文化の側にある。ここが、他の若手ソロシンガーとの決定的な違いだ。
デビュー前は現役の女子高生。ライブ経験はほぼゼロ。それが2021年1月、Zepp DiverCity(東京)でメジャーデビュー後初の単独公演をやることになる。ツイートで自分でも「どうしよう」と漏らしていた記憶がある人も多いはずだ。この覚悟の決め方の速さと、素顔を出さないという設計は、初動から一貫している。
もう少し具体的な話を足す。「うっせぇわ」がバズ切った時、彼女はまだ高校3年生。テレビ番組が取り上げれば取り上げるほど、本人はスタジオに来られず、名前だけが独り歩きした。この「本人不在のヒット」という状況が、逆にAdoの匿名性を強化した気がする。実物の姿を見ないまま曲だけが街に流れる。カラオケランキングで上位に居座り、街の高校生が口ずさむ。歌手のパーソナリティを介さず、曲そのものが受け手に届く経路がここで完成した。
本人はSNSのポストで、幼少期はコンプレックスの塊で、家族関係も含めて言葉にしにくい時期があったことを断片的に語ってきた。深掘りはしないが、あの初期の曲群が持つ鬱屈の生々しさは、そこと無縁ではないと思う。10代の内側を10代の声で叫ぶ機会は、意外と多くない。ボカロ文化はその機会を提供した領域で、彼女はその出口としてメジャー流通を選んだ。
声質の設計思想:ボカロを人力で歌う
Adoの音楽性の核をひとつだけ挙げるなら、ボカロ的な音符の詰め込みを、人間の身体で成立させていることだ。これがsyudou、Giga、DECO*27、TeddyLoid、Vaundy、水野良樹といった多様な作家が彼女に曲を渡しやすくしている理由でもある。書き手からすると、譜面上の情報量をそのまま乗せられる稀有なボーカリストなのだ。
初期作を聴くと、怒りや皮肉の感情の乗せ方がとにかく直接的だった。「うっせぇわ」「ギラギラ」「踊」あたりを並べると、10代の内側にある鬱屈を、フィクションのキャラクター越しに叫ぶ構図が見える。当時のインタビューで彼女自身が繰り返していた「私は演じている」というスタンスは、いま聴くとより鮮明だ。歌詞の一人称は「私」や「僕」にコロコロ変わる。声は同じ、器だけが違う。
これが2022年の『ONE PIECE FILM RED』でウタを歌ったあたりから変質する。感情の起伏を極端に振るだけでなく、キャラクターの物語を長い尺で背負う歌い方が入ってきた。「新時代」のポップスとしての抜け方、「逆光」のロックの重心、「私は最強」の突き抜けた明るさ。同じ映画の中で、キャラの心理変化に合わせて声色を切り替えていく。この経験値が、後の楽曲に効いている。
ライブ映像を見ると分かるが、Adoは音源よりステージの方がむしろ振れ幅が大きい。音源では抑えているキーの上げ下げを、その日の観客の反応で変えてくる。歌い手時代の「歌ってみた」の即興性が、まだ身体に残っているのだと思う。この即興性は、レコーディングされたポップスをただ再生するタイプの歌手には出せない質のもので、彼女のライブが毎回違う体験になる根拠でもある。
聴きどころ3点
- 音域と切り替えの速さ。1曲の中で低音のスポークンから最上域のシャウトまで、地続きに繋げる。ここが他の女性シンガーとの分岐点。
- 作家との化学反応。自作しない代わりに、ボカロPから商業作家まで色の違う書き手を毎回連れてくる。曲ごとにキャラが変わるのはこの構造ゆえ。
- 匿名性の演出。素顔を出さないから、聴き手は「声だけ」を頼りに物語を組み立てる。ライブ演出のシルエットや薔薇のモチーフも、その延長にある。
代表作を追う:『狂言』から『ウタの歌』まで
ディスコグラフィで最初にあたるべきは、2022年1月26日発売の1stアルバム狂言🛒楽天。デビュー曲「うっせぇわ」に加え、「ギラギラ」「踊」「レディメイド」「夜のピエロ」、テレビ朝日系ドラマ『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』主題歌の「阿修羅ちゃん」、映画『かぐや様は告らせたい ファイナル』挿入歌「会いたくて」など、当時のシングル群を1枚にまとめた総括的な作品だ。ここまでの怒りと諧謔の総集編、と考えていい。
次に外せないのが2022年のウタの歌 ONE PIECE FILM RED🛒楽天。映画公開に合わせて発表されたキャラクター名義のアルバムで、Adoは劇中の歌姫ウタの歌唱を担当した。主題歌「新時代」(作詞・作曲・編曲は中田ヤスタカ)は日本国内のヒットにとどまらず、海外配信でも数字を伸ばした。楽曲提供陣がFAKE TYPE.、Vaundy、澤野弘之、秦基博、Mrs. GREEN APPLEらと並ぶ、通常のシングル集ではあり得ない座組になっている。Adoの声を「器」として、複数のトップランナーが同じキャラの内面を書き分けるという企画自体が面白い。
『ONE PIECE』以降も曲は途切れず出ている。ゲゲゲの鬼太郎の劇場版主題歌「唱」、SPY×FAMILYの劇場版に絡む楽曲、ちびまる子ちゃんOP「おどるポンポコリン」のカバーなど、アニメ・映画方面のタイアップが多い。同世代のソロシンガーの中で、彼女ほど大型IPと並走している人は少ない。素顔を出さない設計が、キャラクターの声を担うのに向いている。この運用の合理性は、あとから見るとよく分かる。
逆に、シングルの粒でおすすめしたいのは「踊」だ。Giga、TeddyLoid、DECO*27という3人の共作で、ボカロ的な情報量とダンスミュージックのリズム設計が同居する。Adoの声質を「音符が多くて速い曲」にぶつけたときの気持ちよさが、この曲に一番出ている、と感じる。
アルバム未収録の粒でも、聴いておきたいものがある。2023年の「唱」は映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の主題歌で、TikTokのダンス動画きっかけで小学生層にまで広がった。子どもが「うっせぇわ」ではなく「唱」で最初にAdoと出会う、という現象がここで起きている。ヒット曲の入口が世代ごとに違うタイプの歌手になりつつある、と考えると面白い。
2024年以降はコラボや客演も増えている。同世代の書き手や、上の世代のロックバンド、海外のトラックメイカーまで、声を貸す先が広がった。自作しない歌い手にとって「誰と組むか」は作品性そのものだが、その選択がこの2年、明らかに攻めている。安全な人選ではなく、Adoの声が化ける可能性のある座組を優先している気配がある。
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素顔を出さないことの意味
Adoは、テレビの音楽番組でもトーク番組でも、シルエットや後ろ姿で映る。2024年7月には『徹子の部屋』『あちこちオードリー』に相次ぎ出演したが、そこでも顔は見せない。ライブでは薔薇のモチーフをあしらった巨大な装置の中に入って歌う演出が定着している。
この方針は、単に「顔バレを避ける」以上のことをやっている。歌い手時代のニコニコ動画的な「名前と声だけ」のカルチャーを、メジャーの流通に持ち込んでそのまま維持している、と言った方が近い。同じく素顔を出さない米津玄師(ハチ)が2010年代前半にやったこと、YOASOBIやEveが2010年代末に別の形で継いだこと。その系譜の中で、Adoは「顔を出さないまま国民的タイアップを引き受ける」というモードを一段先へ進めた。
ここには副次的な効果もある。声が唯一の記号なので、曲ごとにキャラを乗せ替えても違和感がない。むしろ「今回はどんな声で来るか」が毎回の楽しみになる。ウタの歌唱を任されたのも、この匿名性が「キャラクターに声を貸す」仕事と噛み合ったからだろう。
Adoの曲は、どう聴かれているか
Adoの曲は、感情のボリュームを一段上げたい時間帯に効くように設計されている気がする。通勤の駅の階段を上がる直前、締切前の深夜、部活の試合前。静かなBGMでは足りないが、洋楽の激しさは今日は違う、みたいな微妙な帯域。そこに「うっせぇわ」や「踊」がハマる。声がすでに怒っていて、聴き手はそこに乗るだけでいい。
一方で「新時代」「唱」「私は最強」といった劇伴側の曲は、休日の朝や運転中に強い。キャラクターの物語を背負っている曲は、聴き手を一時的に別の誰かの人生へ連れていってくれる。Adoのプレイリストは、この「怒りモード」と「物語モード」の2つを行き来する構成にすると、彼女の幅がよく分かる、と思う。
カルチャー的な位置づけ
2020年代の日本のポップスは、ボカロ文化がメジャーに完全に接続した10年だ。YOASOBI、Vaundy、Eve、須田景凪、ずっと真夜中でいいのに。、そしてAdo。書き手・歌い手・演者の三役を一人で兼ねるスタイル(YOASOBI、Vaundy、Eve)と、歌い手専業として作家と組むスタイル(Ado)が並走している。この構図の中でAdoの位置は、ジャニー時代の歌謡曲的な「歌手」に近い。曲を書かないから逆に、書き手を選ぶセンスがそのまま作品性になる。
2024年にはワールドツアーも敢行した。国内で顔を出さない歌手が、海外の会場で英語圏のリスナーに声だけで対峙する。その光景は、日本のポップスの輸出が「アイドル的な顔」だけではないことを示した数少ない事例だと思う。中田ヤスタカ経由でPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅがやってきた海外進出の系譜に、「顔を出さない」新しい章が足された、と読める。
もうひとつ、あまり指摘されないが重要な点がある。Adoはニコニコ動画時代からのファン層を、メジャー行きで切り捨てなかった。ピアプロにoff vocal音源を公開して「歌ってみた」を促したり、初音ミクへの敬意を折に触れて表明したりと、出自の文化への足場を残している。歌い手からメジャーへ移った先輩たちの中には、この橋を燃やすタイプの人もいた。Adoは燃やさなかった。だから2010年代の歌い手カルチャーを追っていた層は、いまも彼女を「こちら側の人」として見ている。
今チャートでの立ち位置
週次のチャートで名前を見ない期間の方が珍しい。デビュー曲がロングヒットしているうちに映画タイアップが乗り、その主題歌がまたロングヒットする。この積み上げ方をこの5年ずっとやってきた。単発の爆発ではなく、複数の曲が並行して走り続けるタイプの数字の作り方だ。
だから彼女のチャート順位を1週で見ても、あまり意味はない。半年、1年、3年のレンジで見て初めて、「まだいる」という事実が効いてくる。デビュー時に「一発屋になるのでは」と書いていた記事は、いま読み返すと少し気の毒だ。
Adoが海外で通用している事実は、日本のポップスの輸出議論に少し新しい材料を入れる。従来「なぜ日本のポップスは海外で売れないのか」という問いに対して、言語の壁・ビジュアル戦略の弱さ・ジャンル的な独自性の欠如、といった説明が繰り返されてきた。Adoの海外配信の伸びは、これらの前提を全部にはひっくり返さないが、少なくとも「顔とダンスがなくても輸出できる声はある」ことを示した。次の世代がここから学ぶことは、たぶん多い。
これから聴くならどこから
初めてAdoを聴く人には、いきなり「うっせぇわ」から入るより、少し順序を変えることを薦めたい。あの曲は強すぎて、他の曲が「うっせぇわのAdo」のフィルターで聴かれてしまう。彼女の幅を最初に知る方が、あとの体験が長く楽しめる。
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入門動線
- まずこの1曲:「新時代」。中田ヤスタカ提供の、ポップスとしての完成度が最も分かりやすい入口。声の伸び方に驚くはず。
- 次にこの1枚:『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』。複数の作家がAdoの声を器にキャラクターを書き分けた実験集。1枚で彼女の振れ幅が体感できる。
- 深めるならこの1枚:『狂言』。初期シングルを総括したデビュー期の記録。ここから逆算すると、以降の変化がよく見える。
最後にひとつ、聴き手に投げておきたい問いがある。Adoが今後、自作曲を出す日は来るのか。歌い手として選び続けるのか、あるいは書き手も兼ねるモードに入るのか。この分岐は、彼女のキャリアの後半を決める気がする。どちらでも面白い、と正直思っている。あなたはどちらを聴きたいだろうか。


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